つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

現実

2018-05-30 | Weblog
遺伝子組み換え、一代交配種、食品添加物、ケムトレイル散布、
=人口減。戦争、世界人口五億人調整にまっしぐら。
如実に効果は現れ始めて、独裁体制。
煩悩具足に付け込まれて、もはや王手状態。
AIとトランスヒュウマンは間に合うのだろうか?
虚の世界は実に虚空に還る。
虚虚実実、
虚実を尽くして戦う。
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安の定

2018-05-29 | Weblog
凹凸がない。起伏がない。上下、いわゆる高低差はない。
平坦である。
これが楽園。天の国。
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かたずをのんで・・

2018-05-28 | Weblog
戦争は起こるだろう!
それを第三次大戦とするのかは、核の使用の有無にあるが、
核の使用となれば、地上に君臨する神々が黙ってはいない。
人類の歴史そのものをを封じ込めてしまう発端となってしまう。
暴君は、ピンポイントで撃たれることによって、歴史に刻まれて、
終止符が打たれる方便がとられるだろう。神々はただその自由に委ねて、
導くに至る。
トランスヒュウマンはAIを凌ぎ、先見の明を知っての自由に託す。
それでも、一寸先は闇として、時は流れている。
神とてある程度の制御はできても、「自由」に手出しはできないものであるから。
固唾を飲んで見守るだけにある。
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最重要道徳教育

2018-05-27 | Weblog
今生の不幸が前世の業より与ったものであるなら、前世の生き様が悪かったことになる。
そうすると、今生幸せである人を見て、前世の生き様がよかったからと見てしまい、当然、その人は、
善い生き方のできた人、善い人に違いないと解釈してしまう。
だとして、自分は不幸を地で行っていると思うなら、前世、善からぬことを生きてきた罪人と解釈し、
今生の不幸を釈然としない気持ちで生きなければならなく、更に悩み落ち込んでしまう。
前世、どんな罪を為したのだろうと、哀しくなってしまう。
今生の幸不幸が、前世の業によって、
おぎゃと生まれた罪のない体に背負わされるのは、縁起の法則と言えども、間違った解釈である。

エネルギーの法則は、永遠と繋がっていくものとなっているが、一旦と区切りをもって繋いでいる。
昨日と今日が同じ一日であるが、全く新しい一日となって繋がっていくように。
浄化されて繋がっているのである。所謂、白紙態となって回りゆくのである。
それが、様々に長短をもって繋がるものである。
たとえば、時間に一秒、一分、、一時間、一日、一週間、一ヶ月、一年、或いは時間のゼロ等々等、
あるなしは自分の思いの自由である。
連綿が、全く同じを引きずるとするもしないも心の捉え方に過ぎない。
心はエネルギー、始終は存在せず自由なのである。

宿命と運命も、縁起の法則の捉え方の自由。
宿した命は、人生として命を運んで行くことによって変わってい事ができる。
どう命を運んでいくかによって、つまり、人生をどのように生きていくかによって、
幸不幸の思いは変わっていく。自由である。

エネルギーの法則は、浄化である。
一旦がゼロと言い、浄化となり、繋がっているから永遠となる。
ゼロは曖昧であり、以って、中が膨らんで空ろであることを意味する。これを自由、
空中、空間と言い充てる。
だから、「空」は「空しい」とも読み、」「から」とも読み「うつろ」と読み「そら」(宇宙)として、
「あの世」、「天」国と「地」獄を指す。曖昧として自由からきている言葉。
だから、自在菩薩の説いた般若心経の「空」は「あの世」という意味なのである。
空しいとした幻の意味で充てられている文字ではない。
死して「この世は即あの世となり、あの世もまた即この世となる」「色即是空 空即是色」であると、
輪廻の法則であることを説いている。
つまり、エネルギーの法則が回るが故の永遠の法則となっていることを説いているのである。
死んで、浄化となってあの世とこの世を繰り返す。間違った浄化とならぬよう、
エネルギーの法則をよく理解すれば、道理を知り、知れば間違いを起こすこともなくなり、
その道の徳となるために、道徳と言い、道徳を学ぶことこそ人生の最も大事な教育となる。
道徳を理解する人こそ頭の良い人である。
頭の良し悪しは、勉強のできの良し悪しではない。道徳を知らないために、
頭がよくても悪いことをする。昨今のニュースはよくそれを示しているはずである。
あの世に行って、今生の罪を償い、無垢になってこの世に還る。
そして亦・・・
だから、天国と地獄がある。
業の報い、この報いが報われるとなるのか報いとなって現れるのか、自分の自由からくる。

今生の立場は、前世の報いというのではない、
魂の根性、意地の浄化に為される試しである。
立派な立場にある人は、それだけ重い罪障、罪状を受ける試しにある。
ある意味、とっても恐ろしい人生を与っている。
心の真実が、あまりに曖昧にあるためである。が、その人生善く貢献すれば、
三世、天国を享受する。


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通貨

2018-05-24 | Weblog
貨幣というものが作られ階級が生じ、無意味な差が現れた。
エネルギーの
法則に対峙する正義は悪と称し、悉く世を支配していった。
そして、
地上の善となって回った。
欲望に付け入った神々の思惑のいたずらは、
先んずば人を制すで、案の定、人々は地上の善に従った。
「すべての隷属は苦である」に疑問を持つこともなく、
「鎖につながれた犬の自由」を幸せとして、井の中の蛙のように生きた。
束縛が自由の産物であるとして、不自由は致し方なしと、
ただ己の制御にあることとした。
相対するものの別々を内包にして、異世界という外延を知ることがなかった。
そうして、従属することに安堵を覚え、
通貨は人々の命の値となり、お金に縛られた社会が作られて、不自由を強いていった。
不幸と幸福がお金ではかられた。

時の流れは進化にあるも、変わることのない元に戻りつで、
常住となる自由を元にしてある。
元(はじめ)に、自由であるために生じているエネルギーの法則は、
善も悪もなくただ回る故の理由から、浄化となり、以って絶対善となっての正義である。
この道理を知る由もなく生きて、人はただ不幸を繰り返す。
思いの外は何もなく、意のままに世界は現れることを知るが、
心の制御をできずに、無知のままを輪廻する。
この世の地獄を、地獄に仏として心に刻み、
蜘蛛の糸に助け合って登れば、道理は、「助けるものを助ける」である。
対峙する神々は、ただ自由を尊重し、見守るだけである。

通貨による不幸な幻影社会は、ビットコインの現われで揺らぎ始めた。
いよいよ自由が対立する。






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顛末

2018-05-23 | Weblog
国のトップ、企業のトップ、指揮指導にある者等々、
地位と名誉にある者などの乱れが激しくあり、道徳も地に落ちた感は否めない。
互いに平気で嘘をつき、挙句は、身の潔白さをそれでもあげつらう。
世の道徳もこれほど体たらくとなれば、予めも目に見えて酷である。
独楽が乱れて立ち直ることは無く、ただ一途に暴走の末、弾き飛び止まるように、
つまり、この先は悲惨を露にする。
痛みは多くを伴うが自業自得の縁である。致し方なし!
一言に、人間は愚かにある。

「如何に死するか」に救いの道を残すのみとなったようだ。
あらゆる様相が、消えゆくろうそくの火の状態を見せる。
あたかも持ち直したかのように世が逆巻く。

ただ崩壊の道標。
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自分が自由を理解する自由

2018-05-21 | Weblog
自由を理解することは、エネルギーの法則を理解することになる。
単純に考えれば単純になる。難しく考えれば難解である。
どう考えるかはらにる。
すべてが自由から生まれる。
自由に「なぜ?」?という疑問符は付かない。
これを理解できるなら、法則を知ることになる。
エネルギーの法則は、ただ回ることにある。
そのために、相対が同時となり、一瞬という間に帰すことになるが、
それまでである。つまり、自由なる世界が理解できても刹那にあり、
自分なる主観に戻る。
自分なる主観が、法則を理解した主観、つまり、法則の身に付いた観、感となっていれば、
はじめて客観的となり、客観視となる。
何もかも即断でき、瞬時の対応となる。
主観に戻ったとしても、誤りのない判断となっていく。
これを俗に言えば、知恵の身に付いた判断という。
地球の一日が24時間であるように、そして、25、26、27・・・と続いていかず、
必ずゼロ、元にもどって繰り返していく。それが常にであり、
だから、永遠となり絶対となっている。
地球がある限り変わらない。
地球が無くなっても、エネルギーが無くなることは無く、
根本的に法則は変わらない。
自分がいるいないにかかわらず、常に明日はやってくるように!




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フリーエネルギーの世界

2018-05-18 | Weblog
自由がすべてである。
だから、自分次第の今がある。
自由とはかくも難しくあり、かくも単純にある。

自由がすべての創造の主であり破壊の主である。
それがエネルギーというものである。
相対にあり存在している。

自由を享受して道理に適う。
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思議不要

2018-05-17 | Weblog
あれこれ思いを議論することの要らないことを不思議という。
知恵は道理から学んだ経験の識、だから、
頭で考えたわけではない、身体の経験、つまり、体験の記憶である。
そのために、瞬時の判断ができ、咄嗟に対応できるもので、だから、
一瞬の判断で動くことができる。
以って、
災いは瞬時避けられて、好機は逃さず手に入れることが可能となる。
智慧を付けるというのは、法則を身に具えるということになる。
智慧の身に付いた判断というのは、法則の判断となり、道理の判断であるために、
誤りのない判断となる。そして、
それは常であり、忘れてしまうということがない。
不思議というのは、そういうことである。
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不思議を得る

2018-05-16 | Weblog
経験の識が知恵である。
知恵は道理の判断となり、誤りのない判断となる。そのために、
この知恵を身につけることによって、無知は克服されていく。
法則を身に具えた人というのは、不思議となる。

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