つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

永遠の生命エネルギー、意識

2021-02-27 | Weblog
もし、思考の操作を一度でも疑うのなら、その影響を
はっきりと見ることができる。
個人の太刀打ちできないところの不正を、日々目の当たりにしていくが、そして、
いかにも諦めの境地に達するも、エネルギーである法則は、
善悪のない故の絶対善の性質で動いているために、一人一人の思考が、
おかしなことに見て見ぬふりをやめて、もう「知らないふり」をしないことである。
もうたくさんだと強く思うことである。そして言葉に出して言おう。
その言霊は、「知らないふり」をした自分のことを思い出すだろう。
私達は、善悪のない故の性善のエネルギーから生じている生命である。
意識生命体エネルギーである。これから起こってくることは、
天国と地獄に分かれる選別の事柄である。
次元上昇の現象にある。
ウイルス問題は、私達の意識に作用する。
メッセンジャーRNA生命、バクテリアを刺激して移し替える。
極度に除菌はしないことである。共存は生命の共栄である。

思考に愛のある人は、
幸福の永遠を得るが、無い人は地獄の永遠を得る。
永遠を恐怖と思わない人にならなければならない。
意識生命体エネルギーである私達は、物質ではないと悟ることである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パレートの法則

2021-02-26 | Weblog
嘘に気づき始めた人が増えてきたが、いまだ多くの人達は眠ったままである。
それも深い眠りにある。
世の中には、ものを見る人と、見せられてから見る人と、
ものを見ない人、ものを見せられても見ない人とがいる。
見るという人は自分を知るが、見ないという人は制限されたままにある。

オオカミ少年の話を思い出す。

「まさか」を思えるなら、

コロナウイルスが流行る前に、
全世界の人達がマスクをしている事象が来ると言っても、信じる人はまずいなかったろう。
オオカミ少年は、青年になって時に、まさかのさかを見せられて、あまりの驚きに、
口を閉ざしてしまう。恐らく誰も信じないから、言うだけ野暮を知った。

バーチャルリアリティーテクノロジーは、ものを見る人の仮想世界をあなたたちに見せた。

見せられてから見る人は、多くの理不尽を見つけて、真逆(まさか)のさかを上り終えた。
信じる者は・・・・・。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

量子的想い

2021-02-22 | Weblog
権力にあるところの不正行為が、一つ一つあからさまに見えてくる。
嘯くことのしきたりがまかり通ってきたが、見て見ぬ振りもできなくなっている。
二月は最も寒いものだが、季節外れも一喜一憂の慌ただしく、これからを予める。
ととのえる間もなく不可思議なことが展開する。微なるものが織りなす事柄は、
現実を超えている。バーチャルリアリティー(仮想的な現実感)を知っているなら、
直観的になれ。善いことを想像しなさい。前向きな思考を忘れないことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶

2021-02-20 | Weblog
もし、貴方が全知全能であるとしたらどうだろう?
何を楽しみとすることができるだろうか?
全ての事の成り行きが知れてしまえば、何をするにしても始める意味をなさなくなる。
つまりは、存在の意味さえなくなってしまう。そこで、
全知全能であるあなたは考えた。存在している意味を見出すために、
全知全能であることを忘れてしまうことを。そして、全知全能であるために
「私は何にも知らない」として、完璧に全知全能であることを忘れてしまった。
それゆえに、存在している意味を見出すために、忘れることを思いついたことさえ忘れてしまった。
「なぜ」という存在の意味を見出し、自分で仕掛けた罠〔存在の意味を見出すためにした忘れるふり)にまんまとはまってしまい、
抜け出せなくなってしまった。自分とは何か?どうして存在しているのかの疑問を解けなくなってしまった。
だから、
貴方は、全知全能であることを思い出しさえすればよいだけの事。
忘れるふりをしていることを忘れてしまっただけの事だから、思い出せばよい。
自分の思考が、自分を貶めていることに気が付けばよいのである。そうすれば、
自動的に全知全能であるために思い出せる。
形の無い質量もないその無の存在、動の不動の思考エネルギーを。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本来を取り戻す時にある

2021-02-19 | Weblog
お金で支配されている世の中だから、嘘が罷り通る。
お金というのは、真実を歪めてしまう。
純真だった心まで歪めてしまう。
「同情するなら金をくれ」という文句が流行ったことがあったけど、
お金で支配されている世の中には、まさにそれが愛だ。
どんなによいことを言っても、無一文では相手にされない。
不細工な人でも、お金持ちだと好かれる。
男前でも貧乏だと嫌われる。
愛だ、愛だと言ってても、金の切れ目は縁の切れ目、
お金が信用となって、無い人は信用とならない。
愛が金に換えられて、量られている。
それがこの世の掟、お金第一主義社会となっている。哀しい社会である。
人の間を繋いでいるのがお金、だから、お金なくして、もはや人間ではなくなってしまう。
今まで、そして今でもどんなに多くの人が、お金で苦しんで死に追いやられたろうか。
金と灰皿は、たまればたまるほど汚くなる。これは真実だ。
金融支配社会は、欺瞞の社会で奴隷の社会。偽りの世界。


お金の要らない世の中を想像してごらん。
叶えられる方便は一つだけある。それは愛情。
ただ喜んでもらいたくて、喜ぶ顔が見たくて、
一心に愛情をこめて物を作る。損得ではない。
ただ喜んでもらいたくて。この一心に掛かる。
本来、万人に等しくある心でもある。
今、この時期、
お金の要らない世の中を創造する時が来ている。
大きく社会が変わろうとしている。何故か?
正しく思考して、人間を取り戻せ❣

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これから起こること

2021-02-18 | Weblog
大したことは無いと思わせて隙を作る。
棒グラフは、少しづつ起伏を失くして、
安心を与えるとともに謙虚さを失わせる。
欺瞞に満ちた世の中は、静かに忍び寄る。
ただその棒グラフは、水平になって終わる。
悦びには悲しみが付いて確かめられる。
どちらも求めなければ、幸いあるのみ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一日の繰り返し

2021-02-14 | Weblog
いろいろなことを学んでいくことに由って、
思考が生じ知識となり、知識が増えて複雑になっていけば、
経験によって学ばれ、知恵となり身に付いていく。
この知恵が心の成長となっていく。
知恵の身に付いた記憶の蓄積が精神を養い成長を促す。
この精神が霊魂であり、記憶のエネルギーである。
記憶の蓄積が統一されて今の心となる。
心は物質ではない。形は無い。自由自在たる形、エネルギーであるために、
敢えて言うなら、円い輝きで不滅となって見える。
エネルギーが自由の円運動となっているためである。
そのために、限りなく続いていく。無くなることが無い。
限りなく続いていくために、どんどん増えていくように見えるが、
増えもしないし減りもしない。無限でありながら有限である。
その形のない無の存在、動の不動の源である。
想像の創造、その幻想が本物であるとする魂は、エネルギーの法則を見つける。
「想思う」が存在の始まりで連綿である。
ただ忘れることで存在の意義を見つけて、忘れることさえ忘れて、
なぜ、どうしての不思議な(罠)にかかったままである。だから、
意識を高めて(摩いて)思い出せ。そうすれば、遥かかなたを見られる。
昔と未来を。

ここに書いたことは、殆どの人にはちんぷんかんぷんだと思われる。
ただ(是)という事を(知)として識れるなら、
知恵として解されると思われる。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そうなる存在

2021-02-13 | Weblog
間違っていることに気が付いて、質していくことに由って、
悔いも改められていく。
何事も早く気づくことが肝要だ。

さて、少しばかり高台に昇って見渡せば、見えてきた景色は春爛漫。
永い間、凍土のように過酷な景色は、嘘のように変わった。
我が世の春はあったのかと、訝しげに見たが、今暫し上に昇れば、見えた景色に啞然とする。
我が世の春は、4,5年の間だけで、蜃気楼のように消え去った。
が、この間、魂の記憶に辿り着いたので、悠然とその当然を認めた。
私の終は、集団の恐れにはなく、迎合から離れて、何ら安寧であった。
愚かにも80億余りの魂は、宇宙に泳ぐことできずに、
地上の動物園という織りの中に返っていく。
私は昴の中に、自由を得た。
それを見ようとすれば見れない。聞こうとすれば聞けない。
掴もうとすれば掴めない。その形の無い存在、動きの動かない源を。
これこそ本当のis-be、存在の意識である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜と朝の間に

2021-02-11 | Weblog
もうじき春がやって来る。
夜明け前が最も暗いように、今を悲観しないことである。
夜の明けない朝は無いことをあなたは知っているはずである。
今を生きてさえいれば、生きていてよかったと思う終がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

識する

2021-02-11 | Weblog
隷属から離れられるものと、依然として変われないものとの分岐点にきている。
この世で絶対なのは、肉体は滅ぶということである。
人は、ある黄色い巨星を約80回ほど回って、制限のある肉体から離れられるのだが、
肉体が全てであると思って疑わない人は、また束縛の世界に誕生してくる。
せっかく自由というエネルギーに戻っても、何ら意識しないために、
何度も何度も果てしなく、自由のない束縛された世界へと戻っていく。
それは、単に苦しみでしかない。肉体という物質に宿している間に、
魂の本質を覚り、肉体が全てではなく、精神的生命であると理解しなければならない。
そうすれば、物質世界より離れ、死のない肉体を得ることができていく。
それが、精神世界の想像という現象の肉体である。
想像は記憶を集め、幻想として現実を作り上げる。この現実は、
観音経に説かれている世界となる。
何事も自分の思いのままに、正義を現すことができていく。
悪魔が貶める事柄を、瞬時に正していくことのできる意を叶える。
観音力を操ることができていくのである。

この何故を、この制限のある肉体を持って意識できるなら、貴方はやがて、魂の自由、
エネルギーの自由というものを知ることができるだろう。この約80年という肉体の活動の中で、
「自らに由る」という意味が理解できたなら、命の制限は無くなっていく。
自由を手に入れる方便を知ることができ、それに沿って活動するために、必ず
制限のない現象を得ることができる。
肉体という物質が自分の意思にそぐわず、不意に亡くなるものであれば、
意識の時間線上に、もうこれ以上進展しないと諦められたためである。
意識は、自分の自由にかかっている。頑なに壁という疎通のできないものを作っては、
奇跡が起こることは無い。柔軟に思考することである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする