つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

自らに由る、道理である

2023-02-28 | Weblog
陰謀論だと言われたことが真実であったとなり、
真実であると言われていたことが嘘であった、とする逆転現象が粛々と現れ始めている。
偽善者は偽善が故に正義を装って現れる。本物の善の正義は、手間暇故に疎まれて、なかなか浸透しない。
甘い言葉と暗い道は世の道理である。
地道に手間暇惜しまずにいれば、本物の正義に出会う。これも世の道理である。
分断は、悪と善の正義にはっきりと表れ始めた。
まさに空を飛ぶ者と地を這いずりまわる者とに、それぞれの道筋を与えて、
どちらもまことに正論だと分かれた者たちは思う。
気質というのは、自ら気が付かなければただされない。
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不思議なこととなる

2023-02-25 | Weblog
本当に不思議なことだ。
不思議なことが起こるのは、自身の心の思い通り、それも
全くの他愛無い思いの中の不思議である。
もう、あれこれ迷い戸惑うことは要らないことである。
揺るぎなく自身を信じ愛するなら、信じることはかなうことになる。
覚悟というのはさとる、(覚る悟る)と念を押す。その心念の力は、
観音の力となって、思い通りの不思議となる。
人間万事塞翁が馬、一念揺るぎなくあれ!
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揺るぎなくぁる揺るぎを見る

2023-02-23 | Weblog
情報氾濫時代だ。 何が真実で何が嘘何のかわからない。 愉快犯という輩もいる。 ただし、自身が優しい人なら、愛ある人なら、情けある人なら・・・ その縁あって、歪な事柄を正しく精査できていく。不思議なことにそれが自然だ。 自然=自らに然り、その通りだ、となる自由。 自分自身は、迷い惑わされる身にあれど、 一喜一憂にあれども「人間万事塞翁が馬」として、泰然自若なるが好し。 必ずや春は訪れる。もうそこまで来ているのだから。これは世の必然である。
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倫理的?

2023-02-21 | Weblog
追い詰められたものの悪あがき状態が今現在である。だから、
今少し目に余る事柄が起こる。なぜ今この時期にという事柄が合わさって起こっている。
地位も名誉?もある人達が、まさかこんな人倫に反することを平気で言うなんてということがらが、
大手メディアを通して報道される。海外ではもっと悲惨な事故が合わさって起こっているにもかかわらず、
我が国では一切報道は無い。情報統制というのは、マスメディアは操れるのである。
誰しも自分たちに不都合な事柄は伏せておきたいものである。が、・・・
倫理的にどうか?
テレビ、ラジオ、新聞などの影響は実に大きい。情報統制は心理を操れるのであるから。
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永遠という遥と彼方の称賛

2023-02-19 | Weblog
意識はただ称賛を求め続ける。
称賛されるまでいろいろ努力し、拡張していく。
拡張はとどまることを知らない。次から次へと生じてくる。
やがて出発点を包み込んでしまい見えなくなる。だから、ただそれを繰り返す。
それは増えているようにして増えているわけではない。そういう意識があるだけである。
存在という意識である。エネルギーという。陽炎のような無いでもない、在るでもない。
それは、遥かと言い時間も空間もない彼方と言う。
とてもワクワクドキドキときめいてある。これを忘れないで。
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常識とは何か?

2023-02-17 | Weblog
今の世の中様々な情報媒体がある。
マスメディアだけではない。若い人は特に新聞、ラジオ、テレビ以外の情報媒体を使う。
そのため、意図して一律にある方向に導こうとしてもなかなか難しい。
特にテレビなどの影響は大である。マスメディアの情報だけしか見ない聞かない読まないという人は、
偏った情報に陥ってしまう。大手企業が正しいとは限らない。
まして、お金が絡んでいれば余計に乱れてしまう。
日本がまだ戦時中、戦争に負けているにもかかわらず、我が国は優勢であると報道されていた。
権力は嘘をつかないとするのは洗脳に他ならない。時に、どうだろう、地位も名誉もありながら、
平気で不正などをしていたではないか。嘘はいけないとする教育は微塵にも砕かれている。
でも、世の道理は善である。その正義故に私達は存続している。だから悪事はばれてくる、露呈し亦暴露されてしまう。
道理に善悪などは無い。善悪を思うのは人の思いである。道理に善悪など無い。
善悪など無いために絶対善となって存在している。これは、悪いことが無ければすべて善いことではないかとする
自由だからである。この自由はどんな力をもってしても変えることはできない。もちろん核の力を持っても無理である。
存在の法則はこの自由をもって存在となっている。無くなってしまうことは無い。消滅してしまうことは無い。
永遠の存在である。なぜなら円運動の自由となっているエネルギーだからである。

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レトリックに騙されないように

2023-02-16 | Weblog
世の中に暴力団という人たちがいるように、
この社会は悪い人達が闊歩している。
悪が善であり、善が悪となっていればすべからく悪なる社会となってしまう。
これから、ほんの少しの間だが社会は庶民につらいものとなるが、3月4月と行くうちに、
まさかと思う坂が現れてくる。それは悪党には負の坂として現れ、庶民には正の坂として現れてくる。
2024年から2025年にかけて、今までの常識が覆されてくる。
それは、過去を見て当然の不思議なことである。
この不思議を解せない人には否定ばかりが付きまとう。
現世の中は、不安と恐怖とそれから来る苦しみとで操られている。
自身の思い、不安も苦しみも恐怖も洗脳に他ならない。
大丈夫、まだ生きていられる、そう思うことである。くれぐれも頑なに!
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立春、目覚めの時

2023-02-14 | Weblog
春、三寒四温のように一喜一憂するも、
人間「万事塞翁が馬」、春は刻々と迫ってくる。もう目覚めなさい。
いつまでも寝ている人は、置いていかれていつまでも寒いまま、さぁっ起き上がりなさい。

地位も名誉もない、ごく普通の人々が
耐え忍ばなければならないような
社会に極めてなってきている。
人々から搾取したと言っていい税金で政治を行っている権力者たちは、皆裕福である。
巧妙にして自分たちに有利になるような法律を作り生活をしている。
国民の為と言いながら、何一つためになっていない現実を見てレトリック(巧妙な言い回し)で批判を避ける。
まさに狡賢い人達に、気違いに権力を持たせた社会となっている。巷の生活が生き苦しいのはそういう事である。
人々が目を覚まし、口だけの政治にNOと言い立ち上がらなければならない。
目覚めた世論の力こそ、彼らの最も恐れることであるから。
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雇用という淘汰

2023-02-12 | Weblog
世の中には非道な人がいる。
どうしてこうも悪いことが平気でできるのかと哀しく思うが、いるのである。
頭の回転がずるい方に回るのであるから、ずる賢いという。
ずる賢いためにいろいろ企てる。企むのである。「企む」=よくない計画を考える。と辞書にある。
不正が横行する現社会の企業の何と多いことか。企む組織(会社)だからか?辞書にある言葉を借りてなるほどとうなずく。
もし、
社会が金融制度支配から脱却できるなら世界は共和に向かう。
君主制から離れ、現常識とされている金融支配をやめることができるなら、
隷属することの奴隷から抜け出せる。
「奴」=自由を奪われた最下層の使用人。軽蔑すべき人間の称、と辞書にある。
格差是正の歩みは現社会の常識から一歩踏み出すだけでよい。
現常識は非常識として思い始めてこそ、歩みだされるのである。そうすれば劇的に社会は善くなる。
邪なる者は必然淘汰されていく。邪悪はずる賢い。
実に私達を巧妙に騙す。口柔らかく、振舞滑らかにしてきらびやかにささやきかける。
偉い人という権力の肩書を後ろ盾にして尤もらしく。
だが、
自然淘汰は始まった。
次から次と、孰れにしても。



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節の分け

2023-02-10 | Weblog
節分を越えた。自然の景色もカレンダーのずれと共に、目に見過ごすところで準備は着々とできている。
見る人には見えてくるが、見ない人には何も見えては来ない。
見ても知らない人の中で、見る人のことを見て知る人もいる。
見ても見えない人のなんと憐れな事か。これこそ自業自得の縁、仕方なさにある。が、
見ても見ない人の悲しさは最も憐れむことである。見ても見ない人ほど自己中で、救いようは無い。
何事も自身が気づかなければ始まらないことである。
井の中の蛙は、犠牲となって初めて大海を見る。その羽目は大切となる。
もう節を分けたのだから、見る人、見た人、見なかったが見えた人に、応えない答えの
識別が正しくされた。
景色の彩は、貴方に今までになく艶やかに彩るが、その魅力は痛みの伴わない
素敵な景色である。安心しなさい、生きていることに花は咲くことができる。
つい、あぁ~しあわせと呟く。
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