よく自然を見て暮らす。
自然は何もしなくても美しい。
それは、自然が浄化の法則となっているために、
人の手を加えなくとも整然となっていく。
自然の持つそれぞれの時間によって浄化されていくのである。
植物はその土地に合えばよく育つ。
寒いところには寒さに耐えられる育ちがあり、
暑いところには暑さに耐えられる育ちがある。
普通に道理を見て、
寒い時期には寒さに耐えられる食物がなる。
暑い時期には暑さに耐えられる植物がなる。
重力によくかかるものは、重力に耐えられる形を成している。
‘頑丈な’、‘がっちりとした’というように。
それぞれに見合った形を成しているものである。
山が高ければ谷も深くというように、道理というのは釣合いをとっている。
まぁ、単純にそのように道理を見て、様々、生活に当てはめる。
道理に合っていれば、不都合が生じたりはしないものである。
人は、その自然を人工的に人に合わせて生きている。
自然を変えてという言い方をするには語弊があるかもしれないが、
他の動物のように、自然に合わせて生きてはいない。
だから、肉体の進化は止まって、退化していくばかりである。
自然の中では暮らしてはいけなくなっている。
人工的に植物を栽培し、冬でも夏の食べ物を作り食べている。
太陽の恵みを必要とせず、大地の力も必要とせず、人工的に作られた栄養素で育てたりもする。
そのようなものは、色も形も育ちも大きく早くできる。
人の好みとするところに当てはまるようにだけ作られているために、見た目はきれいである。
不自然に。
人の知恵で作られているものであるが、道理を無視しているために、知恵でも悪知恵である。
暑い国には暑い国の食べ物、
暑い時期には暑い時期の食べ物、つまり、水分が多く、体を冷やすような食べ物になっている。
寒い国、或いは、寒い時期には、水分が少なく、体を温める働きのする食べ物になっている。
道理はそのように辻褄が合うように作る。それが自然である。
その自然を操って、人の感情に合うものだけで作られたものが、害になる事を知らない。
どれが季節に合った食べ物なのかも分からなくなってしまう。一年中作られてあるために。
して、道理に合わないものを食べて、体は変調をきたす。様々な病が起こる。
慢性的に、生きていれば病気にかかって当たり前と納得してしまう。自らの誤った行為に気付かない。
自然を見て、なぜ?を思い道理に合った生き方をしていれば、不都合が生じたりはしないものであるが・・・。
こんな一つの事柄にしても、
人は、知恵を悪く使ったりする。それはかなわない。すべてに。
悩み苦しむ事を自ら作る。よいとしたことが、ただ無知のために。