つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

非日常

2020-08-31 | Weblog
急転直下、彼の灯は風前である。
またまた人々は驚きの中に、我が身を案ずることになる。
悪行悪果は道理である。回避することはできない。
償いをもってそれを知るだろう。後悔先に立たずである。
想像もしなかったことが目の前に繰り広げられているのに、
これからは想像もできなかったこととしてかたずけてはいられない。
覚悟は味方となるだろう。

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思い違い

2020-08-29 | Weblog
次々と起こる驚きの現象、事態は急展開していることに、
どれほどの人達が気づいているだろうか?
例年通りの日常の変化に過ぎないと思っているのだろうか?
そう思う人達は、来年はオリンピックも開かれて、遅ればせながらの隷属にある社会生活に戻るとでも思っているのだろう。
任期を待たずに一国の総理が辞意を表明するほどの難局にあることを
人々は、単なる日常にある変化としか捉えていないのなら、あまりにも自信の身に迫る危機的状況を免れることはできない。
過去の歴史を見て、繰り返される悲劇は、何の教訓にもならないために起こる習慣、恐竜時代のように、
全く絶滅的事件があって初めて新秩序となる。
常に明日はどうなるかという不安定の歴史では、苦の消滅には至らない。

記憶は生命エネルギーである。
死というものを存在とするのも意識である。
その意識は、劫の時を物理の中に閉じ込めて封印し、
覚醒することを忘れている。
意識が自由であることを思い出し、物理から解放されて、
記憶の中から不自由を思わなくなったとき、死王は私達を見ることは無い。
明日は、文字どうり明るい日ばかりである。
思い出しなさい。意識に死が無いことを。恐れなど無くなるものである。

迫りくる物理的衝突の脅威は、意識さへ法則を理解していれば、
瞬時に明日は、明るい日となって現象する。
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80億の選別、意識改革

2020-08-24 | Weblog
隷属にある社会、
濾過性病原体は、膿み出しの過程にして、
禍の現象。
人の意識に愛があるなら、
「同情するなら金をくれ」である。
隷属にある社会において、まず行動で示すなら、
この方便は即効となり、世界は転換していく。
希望の光がさしている。闇は消えていく。
隷属の消滅、自由の選択、昔に囚われるな。
意識は自由、死は無い。
80億の淘汰は迫る。
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意思疎通

2020-08-24 | Weblog
いよいよ待ったなしの事態となってきた。
この未曽有の事態に、貴方達はうろたえるばかりである。
未知との遭遇というのは、何もかも無知にして、対処の遅滞を免れないものである。
そのために、右往左往するものほど禍を被る。
貴方に、愛する心、意識がある者なら、「案ずるより産むが易し」となろう。
禍に於いて、瞬時を持ち、避けられていく。
不思議なものだ。それは、心、意識に愛があるためで、思議の必要のないこととなっているからである。
何もかも、瞬時に避けられていき、大事には至らない。
意識が法の意識となっているからである。
誰が教えることも無く、自然と感受し、道標となってくるからである。
法というのは実に不思議なことで、法を身につけた人には、道理に守られるのである。
知恵の身に付いた人は、一を知ることに十を覚るのであるから。
過の中にあって、覚悟さえ持っていれば、憂いは優しさに変わる。
動かぬこと山の如しと、どっしりと構えよ!
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意識を正す

2020-08-20 | Weblog
宇宙はフリーエネルギーである。
無尽蔵、尽きて無くなることが無い。
それは、エネルギーが円運動の自由であるためで、
この自由を理解できれば、不自由をもって束縛という物理から
意識は脱却できていく。
人の意識もこの宇宙のエネルギーから出来ている。
宇宙が意識というエネルギー体であるために、
その意識から分かれて、自分となっている。
回る変化の刺激を受けて、それぞれに反応するエネルギーである。
だから、この世界、エネルギー世界は「受」の世界となっている。
刺激に反応して、どう応対したかの意識、思いが自分という意識の現象世界である。
それを「受想行識」として、それぞれの世界となっている。
エネルギーの波長に同調した意識集合の世界現象。
人の意識次元一、二から
三次元現象、四次元、五次元と続き十一次元までのエネルギー世界である。
エネルギーは自由、フリーであるために、意識は自由でありどこへでも行ける。
不自由とするのは、自分が「忘れた」としたことに気が付かないためである。
もともと存在は、全知全能エネルギーである、。
後も先も知るものである為に、存在の意義を無くさないために、
全てを忘れることにして、存在を永遠にしている。
だから、自分の意識を自由として覚悟すれば、存在の無知を悟る。
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覚悟はできているか?が分岐点

2020-08-16 | Weblog
11,22と受す。キュウベコロナは
耐性をもち、その凶暴性を抗する方便が無い。
その脅威は裏返して、あなた方の気持ちに応対している。
酷く荒んだ気持ちへの反応。蔑み侮るための現れである。
改めどこまでも謙虚にあらねば、その応対は已むことが無い。
イナンナコロナは変異して、強靭である。あなた方に勝ち目はない。
20201122より選り分ける。
濾過性病原体は、起死回生の崖っぷちにして、強靭である。
ただ闇雲ではない、あざといばかりに煩瑣な悪に反応する傾向にある。
全く想像だにしないことが、目の前に広がる。
それは、何もかもあなた方の汚れっぱなしの心から起きている。
助けられるのは、覚悟を持った者となっている。
彼等には、隷属のない未来が開けている。
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誰でもなれる知ったか仏陀

2020-08-15 | Weblog
私達は、エネルギーの法則で作られている存在である。
エネルギーの法則は、円運動である。そのために、ただ回るという性質である。
円となっているために、回ることでまた元に戻ってくる。
円はゼロと言う形となって、だから、減りもしないし増えもしない。
ゼロであるためにきれいな状態になっている。つまり、何も無い。
始まりが終わりであり、終わりが始まりである。
一日という姿を見れば分かるだろう。

回る変化が進化となってもとにもどるために、不増不減であり、不垢不浄であり、不生不滅となっている。
つまり、永遠に変わらない存在、常住となっている。これがエネルギー、円運動の存在である。
突き詰めると、超微細な粒子が揺らいで力を発している。陽炎のように、あるでもない、無いでもないとして、
力の規則性をもって自由に動いている。
同じ性質が集まっていき、それぞれの姿を作る。すべてが円運動の仕草を為している。
回る変化が進化となってゼロに帰着するために、どんどんきれいになっていく。
動き回ることで精げられていくためである。これが浄化である。
変化は進化であり浄化となっている。この自由が自然である。だから、自然は美しい。
この逆の進化が地獄絵図。
これがエネルギーの正義である。善いとか悪いとかはない。そのために、絶対
善となって正義となっている。善悪が無いことの意味を誤れば、真逆の地獄絵図が現れてくる。

宇宙のあらゆるものが、消滅を繰り返して、辿り着くゼロ地点が静寂である。
清らかな世界、動きのない故に変化のない永遠となっている。
私達動物は、この消滅(生死)を幾多くりかえして、意識というエネルギーを精げ、
清らかな世界の現象(覚って)ゼロ地点(静寂)に返る。
輪廻という苦しみの(人生)旅を終える。



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緊急事態に打つ手なし

2020-08-13 | Weblog
いままで中央の災害はそれほどなく、地方に多かった。そのため他人事のような振る舞いで、
血も涙もないような指揮であった。
これからは当事者となって、災害の非情さを思い知らされる。
理に適った助けの必要性を思い知らされるだろう。
災いは禍となって中央を翻弄させる。それは、「情けとは何か」を
一から知らしめるためとなっている。
だから、事件は中央から起こり、中央から広がっていく。
中枢が用を足さないものとなり、統率が取れなくなっていく。
悪いことが起これば重なって起こっていく。
流感は変異をもって鬱を積もらせ、心の隙をつくらせる。
そこに、天は雨風で煽り、地を揺さぶる。
人々のストレスは頂点に達し、免疫をことごとく下げる。
重症者は時間さを持って現れ、中央の指揮は滞る。
もうどうしていいかわからなくなる。
日本沈没を思い起こさせる。
神々は、手助けはしない。
中央が地方にしたように。




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意識改革

2020-08-12 | Weblog
とにかく、想像もしなかったことが起きている事実を認識する事。
常に変わりゆくものであること。
肉体は無常、生死にあるが、宿る意識に死は無い。
肉体は心に付き従い動かされるものである為に、
約百年弱の生涯を、正しく動かしていかなければならない。
意識が肉体に支配されてはいけない。意識が肉体を支配するものであるから、
逆になっては物欲の世界、執着の世界となって、生きている意味が無い。
生きるというのは、心の成長のためである。肉体はそのための道具に過ぎない。
与えられた肉体をどう使うかで寿命となっている。寿ぐ命となるための使い方をしなければならない。
長短それぞれあるけれども、
意の識を、エネルギーの法則と識られたなら、たとえ一日の命であったとしても、
寿ぎの命である。
肉体が生命であるとする依怙地な考えから抜け出さない限り、
何年生きていても無駄である。でも、心が意識が魂が精神が、生命エネルギーであると思えるなら、
生きる意味が出てくる。そして、味わい深くなる。辛くも旨味を知る。
そんなあなたを、死王も見ることが無くなる。

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修正の主義

2020-08-09 | Weblog
濾過性ということを認識していなければならない。
私達は私達の眼では見えないものに作られている。
それと共存共生して、進化の眼を借りて見えないものを見ている。
その目は、ありのままにして見えるものを見せる。

もう一度確認、濾過性であること。

多くの人の眼に、
世界は舞台裏を覗いたことのない人には、
全く想像もできない人物によって支配されている(ベンジャミン・ディズレーリ)

隷属であることが普通としてつくられてしまったが、
自然は自由である。自由であるために、束縛との摩擦となって修正にある。
戻る過程が歪をもって返る。
いましばらく、あなた方が気づくことを望んで、それまでは知らないものは省かれていく。
そう宇の意識を受す。
気がつくことである。全く想像もできない人物がいるということを。
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