つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

魂は償う、永遠に

2024-06-30 | Weblog
明日より7月、今年の後半に入る。前半はいみじくも政治家の悪事が露呈した半期であった。後半はその悪事の報いとなる。厚顔無恥な政治家は、その罪滅ぼしに、姑息な手段をを使って恩恵を与えるが、生かさず殺さずの悩ましさに、
更なる悪人ぶりを示す。真に仏の目からして、血も涙もないものと見た一闡提の輩、八大地獄行きの烙印を押される。魂は死なないとする故の恐怖を味わう。
人は誰でも死ぬのである。例外は無い。
初めて閻魔大王の前に、まざまざと生き様を示されて、為す術も無し。
地獄は苦の尽きること無し。死の無いことの恐怖である。
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我慢しない

2024-06-29 | Weblog
我慢、
我の慢、我の驕りという。慢心である。高慢、自慢、怠慢などと書かれる。
なまける、おこたる、あなどる、など慢性的な質。よい意味には無い。
だから、
我慢はしない、させないことが好ましい。
好ましいという文字には良いという文字がつく。
良好となる事は望ましいことだ。
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鬼畜

2024-06-29 | Weblog
貴方を好きな人が10人いれば、貴方を嫌う人も10人いる。それが普通である。
そこに一喜一憂していてはうだつは上がらない。
隷属にあれば、なおさらな事。
人であるなら、愛情があって育まれる。愛情無くして育てば、鬼畜生の世界となって、常に恐怖と戦い、修羅の世界に生きる。やがて、不意に脆くも他の餌となる。残酷で人情の無い者達に属して生きる。鬼畜という。
人の世、見かけは愛に溢れて生きるも、いつしか廃れて、愛に憧れ、愛焦がれ死にする。
恋愛、深く恋い慕う余り、思い詰めて衰弱し死に至る。愛に恋して焦がれ死ぬ。思いは詰めてはいけない。この世は入出あってこそ流動的にある。詰め込むだけでは無理が祟る。
流れの無いところは腐る。泡沫にして実に刹那である。
愛は与えてこそ愛である。その愛が、お金に換えられて、お金こそ愛であると錯覚。金がなければ生きていけない世の中にしてしまった。
恋という文字、亦(また)の心と書いている。亦亦移り変わっていく心に囚われて、
お金に執着、命より大事となって、保険をかけてまで保とうとする。
して、命を捨てて、すべてを失う。
険=けわしいの意、保=たもつの意、険しさを保つのが保険である。
保険も亦金融支配(恋した)社会の洗脳教育、
命に保険を掛けてまで、お金を得ようとする有様は、鬼畜の世界の所業。
今日も亦、誰かがどこかで保険金を得ようと企む。
洗脳教育は、催眠術師の様に、催眠を掛けて貴方を自在に動かそうとする。
私には、この社会が魔術に掛かったようにしか思えない。
サブリミナル(潜在意識)技術は、無意識のうちに多大な影響を及ぼす。
貴方が好む映画・テレビ・ラジオなどを通して、
普通は知覚できないような速度・音量・映像で、繰り返しメッセージ(伝言)を出す。して、知らず知らずのうちに騙される。現代ではより高度に進歩している。もし、貴方が時より片頭痛があるとすれば、免疫力でカバーしていると思われる。自然は治癒力を備えているが、
度を超えると、貴方の意識は貴方に訴える。不快な痛みとして。


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厚顔無恥な人達の集まり

2024-06-28 | Weblog
公務員ボーナス支給とあった。
各議員たちの支給額は高給取りである。国にお金が無いと言いながら、ものすごい高支給額である。大臣たちはウハウハで、これ見よがしのギラギラ油顔。
厚顔無恥にある。「情けは人の為ならず、回りめぐって自分の為」。
年金だけで暮らしている人達には夢のまた夢、生活苦に疲弊、憔悴しきって命を落とす。生まれてくる数より死んでいく数の多い国、現実である。
年金制度、生かさず殺さずの2か月に一度の微々たる支給、暮らしていけないと老骨に鞭を打って働く者まで現れて、結局体を壊して多額の出費、して敢え無い最後となる。政府、顔で泣いて心で笑う。
何のための年金制度なのか、用を成してはいない。と、政府は知りつつも改めることが無い。古希を迎えるころには思う様に体も動かない。特に国会議員の人達、長老にして現役が多い。椅子に座って、口をへの字に曲げて「君ねェ」と言って多額の給料、これも税金からの支給。国会中継、テレビに映っていても居眠り平気、そりゃあやめたくないわけだ。心の歪みは顔にも現れる。人間身体を酷使していれば、いつまでも仕事はできないものである。やりたくてもできなくなるのが道理である。できるのはある意味バケモノ。
バケモノはあの世に逝ってからバケモノの世界で暮らす。縁起の法、道理であるために絶対である。まぁこの世は仮の世、泡沫にある。いつの間にか過ぎていく。この世限りと思う人の情けなさ、哀れにして、あの世を見る。
しまったと思っても、あの世は一切反省の無いところ、業に従って、
あの世に赴く。貴方の生きざまは如何であっただろうか?それだけで、
あの世がどんなところか見えてくる。

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「死んで花実が咲くものか」の嘘

2024-06-28 | Weblog
世界的にみても、隠し事ができない状況となっている。
今まで裕福にある者達の考えは非情なもので、自己中心的である。どうしてそんな非情な事しか思いつかないのか。例えば、高速道路が混むのは貧乏人も通るからで、料金を上げれば貧乏人は通ることができなくなる。自分たちは裕福なので、いくら上がっても構わない。そうすればいつ通っても渋滞はなく通れるので、裕福な者としての高速道路の意味がある。‥と平気な顔、真顔で言う。何とも情けない思いの人がいるものだとつくづくその人の顔を眺めた。世の中、往々にして、裕福な者ほど自己中心的考えをする。
「憎まれっ子世に憚る」である。情けない心の人達が闊歩する社会、それこそ世も末である。特に今の政治を見ても頷ける。義務として作り上げた税金の搾取、
それで生活している者たちは、裕福にあり、搾取される側は、貧困に喘ぐ。
今の自民党政権、裏金問題で脱税しても捕まらず、庶民には納税を義務として強要、一円たりとも逃さない。不条理極まりないことが罷り通っている。
いまだ悪代官蔓延りの世の中である。日に日に露骨に悪さを成していく。これでもかこれでもかと国民を虐げる。まさにハラスメント(嫌がらせ)の時代となっている。だが、世界的に見ても、これらの嫌がらせ(ハラスメント)事項が公に知らされてくるという事は、社会の変革にあるとも見て取れる。
あからさまに、なりふり構わない横暴さは、「憎まれっ子・・」の窮地にあることの表れとも見える。
地上は大きな転換期を迎えている。それこそポールシフト、地殻変動、
天変地異に見舞われ、汚いものの一掃となる。日和見にあるのも同類、運命共同体である。生き残るもの、14万4千衆と受す。その意思疎通はテレパシーである。
「死んで花実が咲くものか」と言われるが、魂に死は無い。肉体は魂のただの入れ物、肉体から離れてこそ真実を知る。
真実を諦か(明らか)に見た魂こそ、花実が咲くものとなる。
明らかにしなかった魂は、花も咲かず実もならず。

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心の旅路

2024-06-27 | Weblog
心は物質ではない。そのため物理は通用しない。
心には壁は無い。隔たるものは無い。自由である。して、
心の旅をした。少し先の時間線上を旅した。それは今年の夏の頃、
7月7日であった。日本では七夕の日、東京都知事選の投開票日でもあった。
ちょうどフランスの大統領選挙の日でもあった。東京の選挙の果は、いままで無名の人が当選していた。前代未聞の果であった。フランスでは、現大統領が落選であった。それは、夢のような不思議な意識の旅であった。私の見た現象の世界は、連綿とした心の記憶の識の果である。不可思議な事として見ていた。
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難しく思わない

2024-06-27 | Weblog
八つの正しい行いをする。八正道である。難しいことではない。
ただ善い思いを抱き、善いとする行為をするだけである。
難しいと思う事に怠け心がある。
分からなければ、ただ、きれいにすること。それだけである。つまり、掃除である。心の掃除、これが一番。人は心に基づき心に付き従う。心によって動く物であるために、心をきれいにすることである。簡単な事だが、難しいと思うなら、その心を掃除しろ。難しいと思わないだけでよい。
幸福はきれい(何もない)なところにやってくる。
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とどのつまり

2024-06-26 | Weblog
亦亦まさかの出来事、事件が露呈。大阪、検察のトップである検事正が逮捕された。公にして信頼されるべきところの不実は、法治国家である日本国の乱れ、大企業から政治家まで腐りきった社会となっている。日ごと不正が蔓延る社会構造、もう崩壊している状況にある。何から何まで高騰し続ける様は、お金の価値の崩落に通じる。ただの紙切れになる。無から有を生んだ嘘に塗れた金融支配は、いよいよ消滅する時を迎える。じわじわと忍び寄る負の遺産は、それを作り上げた者を蝕む。悪業悪果は否めない。だから、悪いことはするなと、先人たちは一様に言っていた。
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あっさり角を削ぐ

2024-06-26 | Weblog
自分で調べて、自分で考え、自分で行動する。責任はすべて自分にある。
騙されたとするのは自分の無知、依存から来る「楽」に頼るために起こる。
間違いは、何よりも精神の若さにある。精神の若輩と知り、謙虚に暇なく感謝にして生きるなら、有難き事に有難うと自然に思う。
私達は、何も知らないとして生きていくが、時が経つにつれ、相応に知ることを覚える。吾が心を覚えるとして覚悟という。自分を知る事、「私は私」の頑固一徹にして、寛大さを知る。年老いてこそ。
退き際は大事である。人生に於いては執着こそ苦を作る。苦を造れば、
あの世もそのまま苦となっている。縁起の法であるために。
角の有るもの鬼である。角をもって切り開いてきた人生、寄る年波には鬼とて勝てない。いさぎよく角を削ぎ落して、円くなってこそ円満な人生である。
いつまでもあると思うな・・・。
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これから来る本物の愛の世界

2024-06-26 | Weblog
自らの経験の知識が知恵となる。その経験は、道理に学んだ識であるあるため、
誤りの無い経験である。そのため、1を知ることにより10を知り得る。徳となるのである。体験外の事でも、体験したこのように知り得るのである。道理に学び、経験することに由って道徳となるのである。必然身につく。その識は自身だけが知り得る識、コツである。一人一人違えど、根本は同じ。
この道徳をもっての知識に間違いはない。知識が知恵となって、
マクロ的(巨視的)世界の物事ははかれる。的を得る。
宇宙に関して、ミクロ的(微視的)事物には通用しないが、
驚異的虚視にあると分かる。
「無苦集滅道 無知 亦無得 以無所得」=「苦の集滅道の無くなることが無く、知恵の無くなる事も無く、智恵で得たものが無くなる事は無い。もって
智恵の行為に由って蓄積された生命世界の無くなる事は無い。」
これが道徳を身につけた人の知識、いわゆる知恵である。この知恵の目で見た世界は誤りなく的を得る。だから、道徳は最も大事、大切な事である。
難しく考える理数学を知らなくとも、道徳に由って理解できていく。
世の中には、高所を平気とする人もいれば、暗夜が平気とする人もいる。
咄嗟に対応できる人もいれば、すべてを感じ取り動くことで的を得ている。
考えるな、感じろ❣、ハートは使命としての刺激を受けて生じている。
全ては「愛」である。愛は無償にて愛である。
不思議な事にある不思議な意識、生命エネルギー(魂)である。
宇宙はこれを称賛とし存在している。

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