つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

乖離

2022-10-30 | Weblog
世の中の常識からの乖離をする。
今までの自身の意識を改める。
ただ思いを巡らして、過去の記憶を思い出す事。
今までの常識とされていることが非常識な事であったならば、
洗脳された教育が、間違っていたなら転倒した社会が繰り広げられる。
エネルギーの法則には善悪は無い。善悪は人の思いである。
その人の思いが善悪を作り、その善悪が転倒した認識をしてしまえば、すべからく自身に対して、
おかしな世の中が展開していく。社会は乱れても、その乱れが通常となって、何ら反省されることがなくなっていく。
乱れたものが社会に闊歩する。しかし、エネルギーの法則そのものは、善悪がない故の絶対善の巡りで動いている。
そのため、始まったものは必然終わりとなっている。すべてがゼロから始まりゼロに戻る。
つまり、エネルギーは浄化の法則となっている。
今日一日が明日の一日と変わるように、一旦という時点を境にして変化していく。
まるでなにも変わっていないかのように見えるが、昨日と今日は同じにして全く違う一日である。
そこを認識する者とできない者がいるが、大きな違いを生んでいる。
命の枯れる時(肉体の消滅)という変化で、魂という生命エネルギーは、
相いれない世界にそれぞれに赴く。現実であり事実である。
意識の中で、自身の幻想が現実より本物であるとするなら、
エネルギーの法則に従い極楽の道を見い出す。
それは一直線に見えて、円を描いてただ巡る。
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刻んだ時より

2022-10-29 | Weblog
夜明け前、これから歴史的事実を拝む、実に実に稀な物事に出会う。
凡そ80兆年を刻み、思い出した過去に行き着いた。
永遠という時の流れには、微々たる一時であるが、確かに今
その時点に近づいた。現太陽さえも見えないほどの巨大な太陽が放つ輝きは、
善悪のない故の絶対善の波長をもって、破壊と創造を与る。
滅ぶものと復活するものとに地上が覆われた。
地獄と極楽は、はっきりと自身の意地に反応し、間違いなくとらえる。
放たれた送信の波調と、受けとられた波調とは瞬時に選別され相応の場に行き着く。
私達のエネルギーは浄化されて無垢になる。極少数なれど。
118と刻まれた波のリズム、80兆年前(先)の過去の時の輝きである。
魂の眼の記憶で見つめなければ見えては来ない。でなければ置き去りになってしまう。
今有ることに感謝するものは、故郷へ帰れる。
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常識を覆せ

2022-10-27 | Weblog
本物というのは強いものだ。
これは悪にしろ善にしろだ。つまり、悪人でも善人でも本物とすれば優れる、優れている。
悪人はきらびやかに着飾って、いかにも善人であるかのように装うものだ。だから、ほぼ騙される。
甘い言葉と暗い道とよく言われるように、世の中、うまいことには裏がある。
おいしい話(特に金儲け)は、必ず裏がある。本当においしい話は他人には進めないのが人の心。
汚物(うんこ)に金粉をまぶして、金塊としてもうんこはうんこ。やがて、内部から腐敗してひび割れ、
化けの皮が剥がれる。
化ける者は、よく着飾って流暢に語り、優しく耳元で囁く。
いかにもしぐさは端麗で温厚に見えて振舞う。
トリック=たくらみ、策略、というのは、いろいろな仕掛けで表現するものだ。騙されてはならない。
騙されるのは、ほぼ自身の欲が絡む。欲は長けるな!欲は身を亡ぼすもとでもある。

ま~本物というのはどっちにしろ強いものだ。強いからなかなか手ごわいが、そこにまじめさ誠実さがあるなら、善は不屈である。
悪を抹殺できるものである。瞬間(直感)にして真実を見分けられる。
対する相手も強ければ、それなりに仕掛けなければならない。悪の中枢を叩くには、騙されたふりをして、仲間内から
騙さなければならない。嘘も方便を使いこなさなければならない。意地が善の正義にあるならば、本物として最強であり
敗れることは無い。その正義は必ず勝つものである。それが本当の世の中である。もうじき本当の世の中が現れる。
今まで人々が見たことも感じたこともない本当の世の中がやってくる。
今の世の中、なんかおかしいと思っているなら感じているなら、それは必ず正される。
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生命の樹

2022-10-19 | Weblog
いよいよだ。
人生僅か50年から100年時代になった。
その寿命からして、300~400年の連続たる阿耨多羅三藐は常識となって刻まれた。が、
常識は非常識となって正されていく。
大衆迎合意識は、再生と崩壊の分岐にある。
一応、再生への時間線上を歩むが、宇宙時間あと1秒にして崩壊の時間線が見える。
80億余りの生命エネルギーは、この銀河に散りばめられる。
それぞれの運命共同体は、迎合意識によって各々の時間線上が現れる。
自身の意識改革は大事である。運命を根本から変えるものである。
意識は送受信にあり、波長は自由にして自由にある。とらわれるな!
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にわかに

2022-10-16 | Weblog
自身の意識で判断する。直感という事を大事にする。
あれこれ考えると迷う。
常識とは何を基準にしてあるのか?みんながこうだからそれは正解だとすると、
ほぼ誤る。
運命共同体にあるのは物理に疎く、マクロ的にして民主主義を道理とするが、
ミクロにしてその道理は覆される。見えないとして少数とするのは大間違い。
ミクロはマクロを覆す。表面的見識では見誤る。小・少とするものを侮ってはいけない。
私達には見えないだけである。とても不思議にして振舞うものである。
私達が不思議なものであれば、直感で理解できる。
物理はマクロ的に見て常識としても、小・少とするものには通用しない。
マクロを凌駕するものである。
これから、そんなに間を置くことなく、俄かに現れてくる。
いや、兆しは見える人と見えない人に、感じを違えて現れてはいる。
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意味を持つのは自身の意識

2022-10-15 | Weblog
「憎まれっ子世に憚る」、なるほど、よく昔から言われていたことである。
今の世の中、意地汚い人が闊歩して、有名なとする人、あるいは企業、あるいは官と名の付く処、
大手企業たるところの次々なる不正、あからさまに暴かれても居直るところあり。不法にして不正。が、根本を正さなければ、
姑息な手段では、はたまた露呈してくる。まして、あの世では、【疎にして漏らさず】にある。
取り締まる側が悪いことをして、取り締まられる側も悪いことをしていたのでは、いつまでたってもこの世は地獄。
直、正される。これがエネルギーの法則の絶対世界、裏もあれば表もある世界の巡りである。
常に一対は存在の証である。どうぞ欲を長けず分相応を心得て、今有る事を有難き事として、
感謝に生きれば、あの世は極楽である。何の心配が要りましょう?
意味あるために存在している自身の意識を清らかに!あの世に鍵などいりません!
これからあなたが行く世界は、清浄なのだから。
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弥栄を覚える

2022-10-13 | Weblog
意地の悪い人は、消えゆくろうそくの火のごとしにあり、
意地の良い人は、ゆらゆらと立ち上がる陽炎のごとくにある。
燃え上がるロウソクの火は、見る影もなくあっという間に消え失せる。
報いというのは哀しくある。

立ち上がる陽炎は、見る人には見え、確かにそこにある。
そして、見える人に、栄光の架け橋を作る。
その煌めきは陶酔境となり、末永く味わう。
堪え難きを耐えた人々には、大いに報いる。癒されるということにある。

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本来有ることが難しいから有難いという

2022-10-13 | Weblog
存在にはそれなりの正しい義(いみ)がある。
その道の理には善いも悪いもない。つまり、善悪などは無い。
善悪と選り分ける(識る)のは、人の思いである。
この世界を形作っているエネルギーの法則には、善悪というのは無い。
善悪がないために、絶対善として回っている。つまり、
特に善いこともないが悪いこともないがゆえに、それは好いことであるとしての存在エネルギーである。
存在エネルギーのその理由は自由である。
自由であるために、いかなる力に於いても動かすことはできない。
もちろん、核の力をもってしてもである。
自由というのは、エネルギーの法則の絶対善となっている。性質である。
それが正義であるために、人の思い(意識)にある善悪が”転倒”してしまえば、すべてが悪の現象世界となってしまう。
善が悪であり悪が善となるために、すべてが悪だらけとなって正義となり存在となる。いわゆる地獄の世界である。
その地獄となっている自身の現象世界を正すには、
人の思い(意識)にある転倒した想念を、一切遠く(夢想)の世界に切り離してしまうことである。

幸せになりたいと思うのは誰の心も同じである。が、幸せはまた不幸せと相まっての存在である。
そのために、幸せな時もあれば不幸せな時も受け入れなければならない。
どちらか一方だけというのは道理には無い。だから、どちらも望まなければ(受け入れなければ)幸いである。
どちらかに偏らず、”普通に暮らしている”・”生きている”ことをよしとして、
今あることをただ感謝にして、有難き事有難き事とするなら、幸いとなる。


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変革

2022-10-12 | Weblog
物事というのには準備が必要だ。
何事も「今すぐに」という変化の現象は無いものだ。
間も無くという間合いは、過去から学ばなければならない。
私達は、過去を作りながら進んでいるものであるという認識がなければ、
間合いを縮めることはできない。
対することの存在に意識が向けば、自分がこうであれば相手はこうなると認識する。
瞬時を考える時、もうすでにそこにはずれが生じる。自分が不思議としなければ、
正確に瞬時をとらえることはできない。自分は不思議なものだとし、
ただ不可思議としなければ、不可能ではない。必ず的を得る。
初心を忘れず、粛々とあるべきである。すると、間も無くを得る。
”間も無く”である。
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いさぎよさの覚悟

2022-10-07 | Weblog
私達の世の中は「受」の世界である。
受想行識の世界となっている
円運動エネルギーであるために、すべてが円の形となっていて、回る動作となっている。
そのために、自身の行動もすべて円運動の行動となっている。
朝、出かけるとき「行ってきます」と言い出かけ、帰ってくれば「ただいま戻りました」と言う。
これも円の動きである。時間もそうである。ただいま何時を回りましたなどと言う。すべてが円の動きとなっているのである。
知らず知らずに円の動作なのである。エネルギーの形が円、環状帯状である。
だから、始まりが終わりとなって、終わりが始まりとなって、
無くなることのないエネルギーとなっている。これが唯一の法則(百千万劫難遭遇という)である。
この円運動の変化、つまり、回りゆく変化の刺激を受けて対応する世界である。
その変化の刺激にどのように応対したかで現れてくる現象世界なのである。
個々の集まりが大衆迎合となって、運命共同体として繋がる。
その運命共同体としての繋がりから離れるには、物理から離れ精神的になることで叶う。
個々の意識の認識から作られた世界はそれぞれとなる。だから、能動的にあらねばならない。
能動態としての精神をとることである。
「受」の世界であるから、能動的にすることで自身に好ましくなる。
選択するのは自分であるということ。
受身であることを能動的に受して、能動態として自身を動かす。
好ましからず事が現れたなら、有難き事として処理し、(あるまじき事として受け流す。)
それが自身の能動態である。
好ましい事ならば感謝する態度は大切である。そうすれば必然事態は好転して動く。
常に選択は、潔さの覚悟が大切である。
善悪の正義とはそういう事の存在にある。人の思いにある。


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