つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

知ろうとするもの知れず

2019-09-30 | Weblog
不思議という言葉は、思議することが不要であるとする言葉。
いわゆる、考える必要のないということを意味する。
「歴劫不思議」という言葉の意味は、「生涯に於いて考える必要のない」という意味である。

エネルギーの法則は円運動である。そのために、
無くなることのない運動となっている。
この運動によって生命は誕生している。
この誕生は、「そう思う」という意識の反応によってである。
円運動に由る変化(刺激)を受けての反応であるために、世界は(受)の世界となっている。
刺激に反応(受)しなければ存在の意味は生まれない。
受は始まりであるがゼロ地点であるために、時間の概念は無い。だから、終わりもない。
終始が無くなってしまうのである。もし、時間というものを計るとするなら、各生命存在の独自の方法でしかない。
だから、各生命エネルギーに由ってまちまちとなる。

エネルギーの法則は永遠である。ゼロと言う円い存在。時間などない。
時間という言葉に変えるなら、ただ永遠である。

経験は各自の感覚であるが、その感覚はエネルギーの法則を理解することによって
同様ではあるが、各自の意識の流れ、知恵によって差がある。
俗に言うコツである。その人特有の感覚、知恵というものである。
意識の流れは時間という経過を辿るが、知恵に由って同時に受けられる。
知恵は意識の完成されたエネルギー、エネルギーの法則が身に付けば知恵の判断となり、
すべてに正しく対応できていくのである。
この対応に由ってすべてが浄化された世界となっていく。
この世界が「待多千億仏 発大清浄願」という意識の世界である。
生命エネルギーの真実の世界である。つまり、肉体の持たない精神世界、意識の現象世界である。
簡単に言えば、人の死後の世界、あの世である。そして、天国、極楽浄土という。

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記憶の消失

2019-09-29 | Weblog
地球に住む人類は、ただ自分たちの住みやすさの為だけを注視して開発をしてきた。
そのために、地上は荒れ果てている。少しばかり知恵を付けて、
共存共栄を知るようになったが、知ったつもりにとどまっている。
そのため、地上はどんどん住みづらくなるばかり。一向に改善されない。
この時間線上に於いては破滅あるのみ。
おおよそ80億の人口で地上は浄化できなくなってしまう。
地球という惑星も意識体である。自分の体によからぬものが住付けば排除するのが道理である。
自然淘汰は当然たる仕組み。
自身の身体が好からぬものに侵されていくのを黙ってはいない。
キラー細胞というものが具わっている。気の狂いである。変異してしまった人類を互いに戦わせ、
自滅するような手段を講じて排除しようとする。その手段に乗じて争いあえば、
これ幸い!
過去に、どう猛で巨大化した生物の絶滅は、天の気を呼んで淘汰した。
一瞬で(思わせない)という失望に葬った。
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分かったつもり(不理解)

2019-09-28 | Weblog
「気にする」と「気になる」。
気とはエネルギーである。
存在の根本。
エネルギー(存在)であるものが存在の外側を考えることはできない。
エネルギー(存在)の無いところを存在が考えることはできない。
考えても答えは見いだせない。
なぜなら、エネルギーが無いためである。
ここを理解できなければ、すべての事柄を理解することには至らない。
矛盾に行き着くだけである。

存在であるエネルギーを仮にでも理解できたとしよう。
精神的エネルギーが生命エネルギーの真実であるために、
物質にに宿るエネルギーは、形あるものを介して生命経験として、
記憶を精神エネルギーに変えることができる。
変化が動き(エネルギー)であるために、どのような動き(変化)を為したかによって、
存在(エネルギー)の在り方が変わる。この在り方はすべて浄化のための在り方である。
エネルギーが円運動の動き(エネルギー)であるために、すべてが元に戻る、つまり
ゼロに帰すもので、これが浄化となっている理由である。
何もかもが(きれいになる)と思えばよい。
この(きれい)が正しいきれいでなければならない。
もし間違ったきれいであれば、エネルギーの善悪のない絶対善の質(自由)に反しているために、
生命エネルギーは苦のエネルギーとなって、苦しむことが正義となって存在となってしまう。
つまり、地獄で生きる生命エネルギーとなる。これが永遠となってしまう。

(思う)ことがそもそも存在の現象の元であるために、どう思ったか、或いは、
気にしたかで存在が絶対となってくる。
エネルギーが円運動の法則となっていて、それが自由からきている(そう思う)意識(エネルギー)であるために、
このエネルギーの法則を理解するなら、「病は気から」が真実となってくる。
だから、気にするな(エネルギーにするな)!

不理解が、意識と裏腹の現象を作る。
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気にするということ

2019-09-27 | Weblog
民をいじめて統制をとる。
消費税は一旦作られればどんどん過剰になっていく。
だからどうだろ3%、5%、8%、10%とどんどん上がっていく。
そのうち、25%は越えていくだろう。
人口は減少していくために、まさに酷民となって苦しむ始末。
法律を作る者たちの欲望は、灰皿と金はたまればたまるほど汚くなるというのと同じである。

今この世の中の風潮を感じて、2020年半ばころより不穏が見える。
前兆は、ここ数年のあらゆる災害に見てとれる。
それはおおきくなってはいないか?非情になってはいないか?
災害にあった人たちへの対応は、「遅ればせながら」が目立つ。
貧しきものは「朝にはいるが夕にはいなくなる」と賢者は言う。
今は大事であり、あとの祭りでは「過ぎたるは及ばざるがごとし」意味がない。であるのに、
対岸の火事の如く見る哀れさは、そう思う人々に悉く現れてくる。
どんなに備えても死ぬものは死ぬ、何の備えが無くとも助かるものは助かる。
その分かれ際は、気にするものより現れる。

優しさとは、人が憂えると書く。他人への思いやりである。

ここに少しばかり、寿命を延ばすコツがある。
「病は気から」である。昔から言われている言葉である。

気にするな!・・とは非情ととるか、
そうだな!・・・ととるか、本人の捉え方、思い方である。

・・気にしてしまえば、現実となってくる!?

災害は日本の中を見ても、北にあり南にあり西に東にときて中ごろにあり、
今度はまともに中央に・・と、溶岩の海に浮かぶ不安定な地と天の気。
今ここに優しさの心を試みる。憂いは、星の人の気配りに委ねられている。
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識別できる意識になる

2019-09-27 | Weblog
般若心経は宇宙のエネルギーの法則を説いている。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是」
色(この世)は空(あの世)と少しも変わらず、
空(あの世)も色(この世)と少しも変わらない。
人が死んで(肉体が滅んで意識体となった時)この世(色の世界)はエネルギーの法則(是)に由って即あの世(空の世界)となっていく。
あの世(空の世界)もエネルギーの法則(是)に由って即この世(色の世界)となっていく。
受(様々に受けた刺激のエネルギー)に由っての想い、行動、その識別もまた、宇宙のエネルギーの法則(是)に由って
同じである(輪廻)していく。
つまり、宇宙のエネルギーは、無くなることのない法則、円運動であることを述べている。
そして、縁に由って繋がっていく。ずーっと続いていくのである。輪廻していくのであると説明している。
その法則の根本は自由に由るもので、自由がエネルギーの本質である。そのために、自由がエネルギーそのものである。
その自由たるエネルギーに由って存在となっている。だから、自由を正しく理解すれば、
私達生命も意識というエネルギーであると知れてくる。いわゆる、自由に由っての存在であるために、
円運動に由る変化の刺激を受けて(思う・思った)時点で存在となって現象となる。
刺激に何の対応、応対が無ければ存在としての現象は無い。
その思いの応対は、物理的な占有に由って現れるエネルギーの浄化を受して、生物的エネルギーとなっている。
それ故にこの世の中は、「受の世界」となっている。
すべてが円運動による無常という変化に対応するエネルギーである。
この刺激にどう応対したかが個々の生命エネルギーの自由である。エネルギーが自由そのものであるためである。
自由であるために、精神的としての応対をすることによって、物理的な不都合は無くなっていく。
生物的な死というものは無くなっていく。
生命エネルギーである意識に死は無いのである。
つまり、壁というものが無くなり、それこそ自由自在、気ままになることができる。
自分の思い、あなたの思いに遮るものが無いように、心は意識はどこにでも行けるではないか。心は自由である。
心に檻は無いのである。檻を作るのは自身の誤った常識が作る。

この気ままは、善が正義となっている。なぜなら、エネルギーの自由に善悪は無いからである。
この道理をよく理解でき、道理に沿って存在となっているなら、すべてに於いてよく守られる。
世の中は今という不定な中にあるために、善くも悪くも様々なことが起こるが、その事柄のすべてに於いて、
害を受けることは無いものとなる。何事も大事には至らないということである。
すべてが自分の正しい想いに任されている。
意識の自由、深遠であると壁を作ってはならない。
般若心経が簡単、簡素、短文であるのは、誰にでもわかりやすく理解されるようにとの思いである。
難解としてしまったのは、人の愚かさである。

エネルギーが無くなることが無い存在であるために、
生命エネルギーである意識も無くなることが無いと理解することができれば、
さて、してはいけないこと、してよいことが自ずと分かってくる。
誰に頼ることも無く、法を拠り所とし、自分を拠り所として生きていける者となる。
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意識をみがく=人生

2019-09-25 | Weblog
ようやく意識が生命であり、自分であることの記憶に辿り着いた。
肉体を通じて幻想に惑わされ、物理の壁に閉じ込められてきた。
本来、意識に不自由は無く壁などない。壁を作るのは肉体を通しての感覚による幻実である。
肉体の死によって意識は物理より解放されるが、その時、
肉体の経験による意識の在り方を、精神的にして想像の自由であると学び得た時、
時空に囚われない気となる。文字通り、エネルギーの自由と同化する。

私達は記憶というエネルギーの存在である。
思う!感受!そして、性善の自由エネルギーの刺激を受けた時(思った)より、存在となる。
その刺激は、自分がそう思った!で始まる。エネルギーに時空は無いために、
始まりとか終わりというものは無く、あえて言うならば、思う!を計測したとする記憶を
始まりの時することはできる。
思う!が存在であるために、感受しなければ存在としての現象は受けない。
自分というエネルギーは、(そう思う!)ことによって始まり、そして、終わりは無い。
もともと生命はエネルギーそのものであるために、エネルギーに無(終わり)は存在しないためである。
俗世の言葉で表すとするなら、生命、つまり心に死は無いのである。死ぬことができないのが生命エネルギーであるといえる。
ある(深い)意味、(存在)という意味である。

死というものが生物的(肉体的な物理)によって受ける心の幻覚であるために、人は死んですべてが終わると騙されてしまう。
生命はエネルギーであり、記憶のエネルギーである。エネルギーであるために死(無くなる)ということは無い。(無)は存在しない。
エネルギーという性質、その円運動という自由を理解できるなら、この肉体を持って生きている
今の人生を、意識の思い通りに、つまり、壁を取り払い自在にすることが可能となる。それはただ自分という個人の
エネルギーにおいてであるが・・・。
また、更なるこの性質(無くならない)の思いの経験による意識の衆縁和合によって、
観音経に説かれる現象の景色を作り出せるものとなっていく。

「待多千億仏 発大清浄願」=多くの千億仏を見の周りに侍らしている世界、
すべての人が清浄の願いを発している世界、悪人の一人も存在しない世界である。
だから、
警戒することも要らない、心の許した世界、安住の世界が作られる。

生命の数だけ宇宙が創造されている。
それは、自分が見る夢の世界と同じように!


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人間という癌細胞

2019-09-22 | Weblog
ここ数年自然災害?に翻弄されている。
(翻弄)という言葉をあえて使うが、
これは自業自得による縁に由っての現象とする。
歪な思い、つまり、邪な心持の蔓延に由る現われ。
もちろん、人間の心の醜さが引き寄せている現象でもある。
その心持を正さなければ、さらに災害は強大になっていく。
自然のエネルギーは善性である。それによって作られている人の魂、生命エネルギーは当然性善となっている。

月に掛かる雲のように、煩悩に覆われていたりするために不善を為したりする。
雲から離れた月のようになれば、広く夜を照らすものである。
そして、月光は太陽光のような破壊はなく癒す輝きである。
月は太陽を凌ぐものである。

ただ残念なことに、いまだに人の心、魂に煩悩の雲が覆いかぶさり、ひどく雨を降らしている。
酸性雨となってあらゆるものを腐らせる。そのために、穢いものが蔓延り、ますます様相は悪化していく。
人間社会の様を見ればどうだろ?昔も今も変わらずに酷い状態がつづき常態化している。
小さな小さな日本社会をとっても、近年大きなものから些細なところまで人倫に反する事柄が多い。
戦後、戦争という過ちを正してきたつもりが、そこはかとなく角を立てて生きてきているように思われる。
親が子を殺し子が親を殺す、見知らぬ者同士は互いを傷つけあい、近隣にありながらいがみ合う。
邪な心は不正、不正、不正、偉い偉くないにかかわらず、偽りの面白さを醸している。

さて、酸性雨は便利に固められたコンクリートの街並みに、行き場のなさに暴れ出して、巷のすべてを洗い流す。
濁流にのまれていくのは、みんなのためとした偽善に飾られた街並み。
(自分さえよければ)という思いは、地獄の現象社会を現実にする。
政治家は、国民の為国民の為として酷民に仕立てている。
経世済民を為すことなく、じわりじわりと殺していく。
人口減少、そして誰もいなくなった!

癌細胞は、結局主人を殺して自らを殺す。
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そう思う=存在

2019-09-19 | Weblog
全知全能=何でも知っており、何でも出来ること。と辞書にある。

もし自分が全知全能であるなら、なんの楽しみがあるだろうか?
何をしてもすべての成り行きを知っているために、する必要、楽しみがなくなってしまう。
ありとあらゆることが可能であるために退屈になる。存在する意味を失う?
そこで私は、
何も知らないというふりをすることを思いつく。そうして自分の行動に未知を作り、
何かをすることによってどのようになっていくのかを楽しむ。
それは、(思い)にトキメキを起こし存在の意義を見い出させる。
そうして、あらゆる事柄にワクワク感を作り、全知全能であるが故の無知を楽しむ。
いつしか、全知全能をも忘れて、自分で作った(ふり)に振り回され、答えの出せない永遠の無知に翻弄されている。
この振り回されている幻実に気付いて、初心のの記憶を取り戻せ!
(ふり)をした記憶を!
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全知全能のゲーム(試み)

2019-09-15 | Weblog
生物的エネルギーを脱するには、
エネルギーの法則を理解しなければならない。
エネルギーの法則は円運動である。
円運動はエネルギーの自由から成っているために、
自由こそ全てである。つまり、存在である。
自由が存在の根本であるために、「そう思う」ことによって現象となっている。
この現象が、(自分が思うこととは違う)と感じるのは、真にエネルギーの法則
を理解していないからである。円運動である自由を理解していれば、
(無)という解釈が(ない)ではなく(無くならない)と知れてくる。
なぜなら、円は繋がっているものであり、すべてが同じであるためである。
だから、終始が同じで、所謂永遠という姿となっている。
円はゼロという姿形であり、点、ゼロと言う円い形であるために、
有限でもあり無限の動きである。
だから、広大にして広がり続けて、極小にして縮まるという伸縮は、相反してゼロの形容。
ゼロは何もないという綺麗を表現する。その感覚は意識というエネルギーの自由。
意識は心、魂、精神であり、経験の記憶から成っている形あるものではないとする揺らめき、つまり生命エネルギー。
その揺らめきが経験によって研ぎ澄まされていけば、動いていながら動きのない状態、
真の円運動エネルギーとなる善性という存在。正義に辿り着く。(そう思う)が存在(生命エネルギー)の意味である。
これがすべての自由、全知全能であるが故の、忘却にして進化という記憶を楽しむ。
生物的エネルギー感覚から精神的エネルギー感覚に移行することが、苦からの脱却であり、自由自在たる所謂楽を享受する。
エネルギーは永遠であり、生命エネルギーは不死である。
忘却を苦として脱却する進化のゲームを楽しむ。
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転換期に入った

2019-09-11 | Weblog
物質的感覚意識から精神的感覚意識と移行していかなければ、
生物的輪廻から抜け出すことは難しい。
生命は精神。よく心を精げてこ生命である。
肉体的身体をもってこそ気づく命、人生である。
記憶を呼び覚ませ。
私達は不死にある精神的生命エネルギーであるから、恐怖など
もともとないものであることを・・・。
すべてを有している可能的存在である。

現象世界は混沌としての周縁和合、一途に崩壊しては創造を繰り返す。
自分の心だけを見てただ正せ。
周りに振り回されてはならない。
対するものはただ自分にある。
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