つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

安寧への術

2022-05-31 | Weblog
一年のうち半年が過ぎた。
うろたえから真実一路への分岐点に差し掛かる。
足元だけを見て、単に景色を見ていたのでは迷いの道をぐるぐる回るだけ。
自然の景色は作られた景色とは違うものだ。乱雑でありながら整然とある。
詳らかにみていれば自ずとわかるものである。
自分を知ることに覚悟があれば、悟性は発揮される。トリックを見破る。
策略は実に巧妙である。しかし、風向きは変わってきた。
この場合、風雲急は告げないが、粛々と栄枯盛衰の道理を見る。
さて、
ずる賢いものはまた端正であり話し方も穏やかにして流暢、
その姿勢の作為は大衆をいとも簡単に導く。
案内された意識は、そうそう簡単には変えられないものである。
性格を作り凝り固まってしまう。
時に、
風を受けた柳のように、柔よく云々を知ることは大事となる。
その術は、自分を知る、つまり知見である。
何事にも‘’まごころ‘’を込めて生きる意志にしてかなう。
そんな貴方は、乱れゆく中にあって好ましくあるだろう。
あと10年の間ではあるが、いや、魂は安寧に住み続ける。


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至誠を尽くす

2022-05-27 | Weblog
あなた方は、どんなに優れていても地を這うものである。
地を這うものである以上、「井の中の蛙大海を知らず」にとどまる。

森羅万象に精が宿るとして、吾が身において、真心を込めて
志を持つなら、意識覚醒、神通力を得て自由自在虚空に舞う。
その身、幽霊にしていたるところ瞬時に現る。
覚悟して知見を得る。忘れることにして忘れたことを思い出す。
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卓識

2022-05-27 | Weblog
善く意識することの意志さえなくさなければ、自然と思うままを得られる。
「その気になって」は大事である。
「気にすること」の是非は応変にしてあらねばならない。
さもなくば利害は相反することになる。
「気」というのは、生命活動そのものであるから。
嫌なことは気にするな!は正しいことである。
好ましいことを気にすることは正しいことである。
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心優しくして成功する者

2022-05-19 | Weblog
もう遅かりしも、気づき始めて修正にまわるが、辻褄が合わずに矛盾しっぱなし。
それでも、気が付き始めただけましなのかもしれない。
ただ気づきが遅かっただけに、多くの痛みは伴いながら進んでいく。
今ある人の常識とは、非常識極まりないことである。
えっ、えっ、とただオロオロするだけである。
自分という考え、意識が常識に侵されていて、周りを気にしてそれに流されているために、
自我がなく多くは浮き草状態。
淀みにはまる泡沫のように、刹那にして繰り返す。

特に別なとして、自我に目覚めて意のままに!
それによって他との亀裂、或いは、
軋轢が生じても意にして介さず、進むことが天の道を見つける。
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時を超えた未来に

2022-05-16 | Weblog
今年の秋口より大きな変化は現れる。
そして、おおよそ初冬に、今まで虐げられてきた哀しき人々は、
大きな日の目を浴びる。生きてきた甲斐があったとしみじみと思う。
暫し、約10年ほど続いたその栄光は、忘れ難くも崩れ去っていく。
それは、とっても多くの人々の過った業の進化によっての自業自得、
運命共同体にしてである。
しかしながら、罪なき人々の業は報われて、その劫の時を超えて、
瞬時として新たな時を刻む。繰り返すが、
過ちは二度と起こさぬよう学習しての進化を辿る導を見つける。
つまり、
意識は、気にして秩序正しくあり、この宇宙の道理を歩む。
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遠巻きにして見ている

2022-05-11 | Weblog
ただ静観していればよい。
黙ってみているだけで白黒が知れてくる。
この時、
まさに
果報は寝て待て、に頷く。

あるもの遠方より。
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マサカ(真逆)という坂の上り下り

2022-05-06 | Weblog
このご時世において、世界的な疫病発生や紛争(戦争)等、思いもよらなかったことが起こっている。
思いもやらなかったこと(大半の人達)には、まさかのさかを上ったのだろう。
まさかこんなことが起こるなんてと、まさに一寸先は闇のごとし。
まさかの坂を登ればまさかの坂を下ることになる。上りっぱなしという事は無い。これは世の道理である。
だから、必然、これからはまさかの坂を下りることになる。(まさか)だから突然、いや、粛々と進み下ることになる。
またまた(真逆マサカ)の坂を見る。
悪いことと善いことは表裏一体である。

風邪をひき、熱が出て寝込んでから治っていく。
体の中では、病と闘っていた。そうして、体は強くもなっていく。
消えゆくろうそくの灯が、一瞬大きく燃え上がることを見て、あなた方はなにを学ぶのだろうか?
また、何を訓えてもらってきたのだろうか・・・・・?
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人として生まれた者

2022-05-01 | Weblog
人として生まれたなら、人として生きなければならない。
人として生まれていながら、人でなしとして生きれば、
心ない者となり、非情な世界となる。
すでに、人として生まれているのだから、感謝に生きることである。
希望とは、稀なる望みと書いている。
ゆえに、稀なる望みとならぬよう、今の生を大事に生きろ!

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