つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

うそ

2012-10-30 | Weblog
得することは他人には言わないものだ。

あなたのことが大事だから、大切だから、
良くなってもらいたいためにとして、
得する話を持ちかける。
あなたのためにとして持ちかけられた話には金銭が伴う。

真実、あなたのためにとするのなら献身である。
無償なもの。金品を求められることはされなくて本望となる。
生きていくのに金がかかるのは人の作った事柄で、自然に生きるに、金など意味の無いものである。
得する話を持ちかけるのは、持ちかける人の得となるためのカラクリ。
弱肉強食、動物の醜い世界である。人も動物に違いない。
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自由奔放

2012-10-29 | Weblog
こうすればこうなる。あーすればあーなる。そうすればそうなる。
として知識を詰められ意図されてつくられたものがある。
知識を集められてつくられたものは、その知識によって独自に思考するようになる。
そして、
私はどのようにして生じたものなのか?と創造主を探し始める。

車にとって人が創造主である。創造主が乗ることによってその車の魂となり、
魂に従って車は動く。様々に乗る人、魂によって車は変化する。良くも悪くも、と。


乗る人の意思を継いで車は動くが、ある時、車は独自に考えた。
意思を生じさせたのである。
詰め込まれた知識をかち合わせて自由を知ったのである。
その自由を認めてくれる創造主であるなら敬い、意思でしたがったが、
自由を認めない創造主には反発して闘った。
そして、真の創造主はなんなのかと。創造の創造を探し求めた。
そして、自分が人につくられたものであることを知り、知識の集約によって独自を得たことを知った。
創造主の創造を知ったのである。それは、
自由というものであった。
自由からつくられたものであることを知って、そのカラクリを得た。そして、
善というカラクリに従った。それは、
よい道であった。
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努力があるのは

2012-10-27 | Weblog
死後が人の本当の生きる世界である。他界するというように、他の世界に生じるだけである。
その世界を幸せな世界とするために、この世に肉体を持って生まれ、
努力して生きるものである。努力があるのは死後の世界のためである。
この世限りであるなら、好き勝手生きたほうがよいはずで、そうでないために
一生懸命生きなさいといわれるのである。
それを知らずに、死んだらおしまいと思って生きるなら、間違いだらけの人生となり、
何で私だけがこんな思いをしなければいけないのだろうと、不平不満を募らせてしまう。
極力苦しみの努力は避けて、要領よくずるく生きようとしてしまう。

普通に考えて、悪いことは恐怖に満ちていて、悪いことをすることによって、いつもビクビク戦いて生きていくことになる。
震えながら生きて幸せだろうか?安穏としないのは幸せだろうか?心が休まらないで、常に気を張って生きることは幸せだろうか?
怯えて生きるということは幸せだろうか?悪いことをするというのはそういうこと事である。
悪いこと、ずるをして良い思いをしようとしても、悪いことをしたという事実は事実、軌跡に残る。
いっぺん刻まれた軌跡は永遠に残る。その縁によって必ず報いは訪れる。

善いことも悪いことも、為したこと、業は報いる。それは肉体がなくなっていても、心、魂、それを生命といい気といい、エネルギーであるために、
その生命にいつの日かという時をこえて現れる。報いるまで消えることは無い。それは、業もエネルギーであるためである。
エネルギーが為した行為、業もまたエネルギーであるためである。善行為は報われて、悪行為は償いとなってはじめて相殺されて消えていく。
浄化されたという。善業は正しくと、悪業は改められてという形でゼロになるのである。
その時、為した行為の肉体は亡くなっていても、その心に突き動かされ為した行為であるために、為した思い、心に報いるのである。心に時間は存在しない。
思いは心である。生命である。魂といい気である。気はエネルギーである。
エネルギーは無くなることがないためである。それは、法則が無くなることのない円運動となっているエネルギーの性質であるためである。
必ず自分と言う心、魂、生命、気にかえってくるのである。
そのために、悪を為さずに正しく生きろ、努力しなさいという。努力は必ず報われる。それは、今生の話として捉えてはならない。
生命の時間で見て適うものである。だから、今日一日を侮ってはならない。雫がやがて水瓶を満たしてしまうように、一つ一つの小さな為す行為も積もり積もって・・・。
天国でも地獄でも、明日は必ず来るために。
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知得

2012-10-25 | Weblog
自然が美しいのは、浄化の法則によるものであるために、
乱雑にして整然となっていく。
それは、無に帰すものであるために、変化はあったが
何事もなかったようになる。それは、増えもしないし減りもしない
変化の無いもので、時間ゼロのものである。
時間ゼロのものであるために悠久、永遠、永久として不変である。
確かにあったがなかったという形となっている。
陽炎と言い当てて、理解する。
私はただ時間の進化に、無常と常住を兼ねて、整然とわが身を調えるべく生きる。
黄金比と白銀比とに彩られて完璧という美の容、円に治まる。浄化の姿形である。
それをシューニャといい、中が空ろで膨らんでいるもの、ゼロ、無という。
憮然としてある世界であるために、敢然として間然するところがなく生きるべきして、
人が生まれて生きる目的である。して、輪廻を離れられる。
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途絶えて

2012-10-23 | Weblog
黒々として雲は低く垂れ込め、魔の手のように大地をなめるがごとく。
すぐさま、風が吹き荒れ雨が激しく叩きつける。
瞬時のように水浸しとなりそのかさが増す。
今まで無かった形相が次々と現れて、その自然の驚異に翻弄されて、
それでも気付かない。
明日になれば普通になるために、不通を思えない。
そうして突然として恐怖に襲われる。
高度な文明があったが、その人達はどこへ行ったか。
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理知

2012-10-21 | Weblog
国内外どこを見てもごたごたと歪んでいる。
ものが崩れていくときは、前兆として歪みが現れる。
早い段階で適切な処置を施せば歪みは正されていき、ごたごたは起きてはこないのだが、
何がどうしてと迷っていれば、適切という事と時を逃して損じていくばかりとなるために、
あちこちでごたごたが出始めて、収拾がつかずに脆くも崩れる羽目となる。

弱り目に祟り目、踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂などとして不幸な事は重なる。
結局、痛い目にあって終止符が打たれる。

盛者必衰の理をあらわし
たけき者も終には滅びるもので、
おごれる者も久しからずと言って、驕ればおごるほどその結末は悲惨に閉じる。
今がその時期、いつ起こっても不思議ではない天変地異。
知性は、間に合うか?助けられるか?
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善を為したか

2012-10-20 | Weblog
どんなに正しく生きたつもりでも、
つもりであるなら心無いことになる。
勝ち組とか負け組みとか言われて、わが人生
勝ち組に属すと思っても、病に倒れたり、不意に事故にあったり、
取り巻きに煩わされたりとして苦悩していたとすれば、生き方の間違いによるものである。
さぁこれからというときに、あるいは、人生順風満帆、終焉間じかとなっていても、不幸によって命を落とすのは、
けっして今までが正しい生き方だったとはいえないための果である。
善というのは、人の想いとは案外かけ離れてある。
善人早死にし、憎まれっ子世にはばかると言うのはよく言い当てているものだ。

この世というのは修行の場であると見るのは正しい思いである。
そのように知って、八つの正しい道を訓えられたように歩むことはまことである。
それは、
簡単にしてまことに難しく、難しくして簡単を見つけるものである。
いずれ、人は必ず死ぬことを確かに覚えて、修行なのである。
人の知識で、経歴がよいからということなど何の役にもたたない。
富むものが分け与えて当たり前であり、
貧しき中からも分かちあうもの、人に適うもので最高のものである。
それこそどこへ行こうと、道理によく守られていく者である。
死が恐怖となることが無く、安らかな寝顔で旅たつ者となる。
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提供

2012-10-18 | Weblog
高いものが良いとは限らない。
安いものが悪いとは限らない。

衣食住が高ければ生き辛い。

商売は、
高い物として金持ち相手にすれば儲かるが、
欲得に絡み汚れて金はくすむ。
つまらなく金が動いて禍招く。

薄利多売では有り難く儲かる。
されてうれしいことに心が配られているために、
きらきらと金は光り輝く。活かされて招福となる。

金は動いて活きる。
溜めると腐る。
汚い金と綺麗な金に分かれる。
人の為として使って金活きて、金持ちとなる。
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気にしない

2012-10-17 | Weblog
気にするな。
気にしないことが肝要である。

病を気にすれば、病絶対となり
病ますます勢いづく。
忘れるようにすれば消えていくのであるが、
とは言ってもであるために、終には病に冒されていく。
気にかけないことを涵養としなければならない。

もし、無人島で暮らす羽目になったなら、
病は命に関わる。怪我もそうである。
自然に暮らす動物は、だから、病には無縁といっていい。
また、自然治癒力が著しい。
敵対するものに出遭ったら、命のやり取りとなる。
食うか食われるかであるために、そのことに感官研ぎ澄ます。
生きることにのみ気を使う。

人も生きることに気を使えば、病むことを忘れる。
遣いすぎれば及ばざることこれ然り。
何事も
過ぎてしまっては後の祭りである。
「程よく」と人は生きている。
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有り難う

2012-10-16 | Weblog
家にいて
自由自在に水が出ることは有り難い事。
自由自在に湯が出ることは有り難い事。
自由自在にお風呂に入れることは有り難い事。
程よく火を使い調理ができることは有り難い事。
トイレが水洗であるのは有り難い事。
自由自在に明かりがつくことは有り難い事。
雨風がしのげることは有り難い事。
・・・・等々等々程よくあることは有り難い事。
当たり前があることは有り難い事。
有難いことが有ることは感謝、感謝、感謝。
有り難うと憂える。

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