つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

生き方によって

2007-03-31 | Weblog
疑いをもちながら生きる人と
信じながら生きる人の違いは、
不幸な人と幸な人。
疑ったために生きのびた人と、
信じたために死んだ人。
その違いは死後に現れて、未来世に現れる。
疑って生きた人は、安楽を得ることなく、
信じて生きた人は、安楽に包まれる。未来世に於いて、
恵まれない境遇に生きる人と、
恵まれた境遇に生きる人に分かれる。そして、
与えられた境遇のなかで、どう生きたかによって
その環境は変わっていく。それが
死後に、未来世にとまたつづく。

ただ、どんなに良い境遇になったとしても、輪廻するうちは
一切が苦るしみの中にある。
幸せも刹那である。泡沫で、陽炎のようで、幻で。
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円が縁

2007-03-30 | Weblog
縁によって事は起こる。
その縁は心にもとづいている。
心が不浄であれば、よからぬことが起こる。
心が清浄になれば、綺麗な事に出逢う。
道理であるために
真実である。
実のところ、自分の心が行く先の幸不幸を決めている。
世の中は円いものであるから、
つくられた縁は続く。だから、
どこかで気づいて、悪縁は絶て。
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めぐりめぐって

2007-03-29 | Weblog
善いことに馴染んで
善いことをする。できる限り、精一杯努力する。
毎日習慣とする。
習慣は絶対となり、正しいものとなっていく。
そうなれば、それが当たり前となって常識となる。
その常識はよく道理に適うために、どんな場合に於いても
よくよく道理に守られる。
善いことを習慣としている人には、その人の心の思い通りに事が変化していく。
不思議なこととして現れてくる。
疑いを持つ人は、先ずやってみるとよい。
来る日も来る日も怠ることなくやってみる。
そうすれば、必ず実感として分かる。清浄な気持ちで先ず行う。
それは、めぐりめぐって自分の為として返ってくるものであるために・・・。

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この世界

2007-03-28 | Weblog
このつくられた世界には
無いというものが無い。
無いとするのは
無いと思う思いがそうさせる。
確かに現実、無いとする明らめの現象は起こる。
あるんだと信じても、そう信じている事柄は現実
皆無というほど起こらないものだ。
唯、人の常識としている事は、時として、非常識として起こることがある。
それが念いによって自由に操ることができることも、
ある程度可能である。 という事がある世界である。
「無い」とするところから「有る」とするものが生じたというのも間違ってはいない。「端から有る」とするところから「有る」とするものが生じたというのも間違ってはいない。
「無い」と言えることが「有る」と言う事を表現してしまうようなものである。
世界は曖昧でつくられていて、しかし、はっきりとしている。
無くならないものは無いとすることと、
無くなるものは無いとすることが「有る事」の世界。
それは念いでつくられている。
念いもエネルギーである。
すべてはエネルギーの性質で作られていて、それが法である。
法の性質が円の動きとなっているために、無くなる事の無いものとなっている。
法が始まりとなっていて、法以外のものは存在とならないために、
考える必要のないこと。
私たちもエネルギーとしての存在である。
変化はすれど 無くなる事が無い。


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気を込めて

2007-03-27 | Weblog
気を込めて念ずる。
その念いが不可能を可能にする。
心を静めて精を養う。(精=まじりけのないこと)
その統一された気の念いが不思議な現象となる。
不思議とは理解できない現象ではなく、思い論ずることのいらない
当たり前の事としての現象である。つまり、
気の統一された念い、思い、想いは
その通りになる。かなう。
心を込めたものは、そうでないものと
確かに違いが出る。同じもの、同じ形をしていながら、
人はその違いを見分ける。
強い一念が、まさかを道理に変える。
だから、精神統一を学べ。
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自分を犠牲にして愛は成る

2007-03-26 | Weblog
自分を犠牲にして愛は成り立つ。
自分が辛い思いをしても
他の為に、他が喜ぶのを好む。自分という
犠牲の伴わない愛は
愛とは言わない。愛ではない。
自分が辛い思いをしても
あなたが喜ぶのなら、私はそれを好む。
その心の私をまた好む。
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後に祭るから・・・

2007-03-25 | Weblog
人は老いるものであるために、その一時に於いて
逃さず咲き誇れ。
時節がずれると変になる。
乱れ咲き、狂い咲きとなって、その妖艶さに惑い、迷い誤る。
人は必ず死すものであるために、僅かな時の頂を
無駄にしてはいけない。的確にタイミングを計り、逃さず
咲き誇れ。
‘人は老いて死すものである’と知りながら、その当たり前を
知ろうとしない。
だから、時を逃して、時に非ずと
ただ後の祭り。

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訳あって・・・

2007-03-24 | Weblog
裁かれる者になってはいけない、裁く者になってもいけない。
人の裁きは共に悪を生む。
裁かれる者、裁く者、共に悪をつくる。
道理に適わなければはじかれるだけ。
道理は法であり自然である。
自然に善悪は無く、そのため絶対善の動きとなっている。
人は善悪で判断するために、法との摩擦となって誤りとなる。
法以外に人を裁く事はできない。
法が創造主であるために・・・。
人の死後の世界は法の絶対世界。
その世界で真に人の理非曲直が明らかにされ、その処遇にあう。(ーー;)
逝って気づいたところで、時すでにおそしである。
そうならないように、今ある肉体を持って正すこと。
それが生きている一つの訳。

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「シンプル」に見出すもの

2007-03-23 | Weblog
無駄を省く。余計なものは持たない。
simple is my life. である。その生き方は
飾り立てなくても
実に美しさを放つものである。
俗世間では笑止、分かる者は稀。

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綺麗な人

2007-03-22 | Weblog
見かけの姿形を好んで向き合うのではなく、
魂の姿に向き合う。
魂の美しさに語りかける。
魂の美しい人は 実に美しい。
垢抜けていて とても魅力のある人。
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