つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

善い経験とすることである

2019-08-28 | Weblog
霊的存在、
意識というエネルギーは、自由から成っている。
自由が存在の意味である。
それは深遠であるが単純という中にある。
だから、自身の意識に由る。
自由だから束縛を作るのも自由から生じる。
意識というのは生命そのものであり記憶の積み重ねである。
記憶は経験から作られる。
経験の記憶が心となり意識となる。その判断が今の心の質である。
経験の積み重ねが統一されて心の判断となる。
経験の積み重ねが格の上下を作る。
善い経験を!
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存在という意識

2019-08-25 | Weblog
地上の人口は100億を超えることは無い。およそ80億程の時に異変が起こり
ゼロに戻るだろう。昨日が今日になるように、今日が明日になるように。
だから、一旦という区切りをもって、綺麗に悪事の清算ががなされて、
新たな生命エネルギーが、肉体という霊魂の入れ物となって再び誕生してくる。
その一旦の区切りは、人間で言う時間間隔では100万年かもしれないが、霊魂という
霊的生命体には時間など無いために、瞬時に現れてくるという感覚である。

霊的生命エネルギーの入れ物がボディスーツ(肉体)である。
その惑星に応じた環境の寿命を有しているが、地上ではおよそ150年である。
でも120年ほどが精いっぱいで、通常は50~100年ほどの寿命となっている。
眉間にある脳のあたりを何やら施すことで、10倍ほどの長さは得られるが、この惑星ではそれが限度である。
あまりにも重い力で抑えられている星であるためである。
非情に脆くあるが、その短さの間にエネルギーの自由を覚り、生命が心にもとづき従うことを知り、
意識が生命エネルギーの自由を司っていることを理解すれば、この星に限らず、天空の生命エネルギーとなり
宇宙を自在に航行する大気となれるだろう。
生命は不死であり永遠である。これが存在という意識の自由、「気が付いた」という(自ら)に(由る)ものとい在り方である。


千里の道も一歩よりは、ボディスーツに宿した一種の霊魂の虜、囚人の霊魂であるための時間。
人生100年時代に生きている私達日本人感覚を、稀なる器の生成として捉えて、ただ時の流れその隷属に、「ボーっと生きてんじゃねーよ」と
5歳の女の子のため口に言われないようにして生きなければならない。
とりあえず、一歩一歩と順番を履んでいけば、ある時、自由を得て一気に悟りを得ることに出会えることができる。
魂というのは量子であり、理解すれば瞬時繋がりを持ち、時を超えられるものである。
もともと心に時間は無いのだから・・・。
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人生の目的

2019-08-18 | Weblog
意識が生命エネルギーである。意識は経験によって作られていく。
その経験の識別はとても大事である。なるべく善い経験をしていくこと。
これは良い人に出会うことにも等しい。
そうして、物事の善悪を学んでいくことである。
エネルギーには善悪は無くただ正義があるだけである。だから、繰り返されることで
正義が作られていく。
悪いことでも繰り返されていくことで正義となっていくために、
意識の判断がエネルギーの法則の判断となっていなければならない。

エネルギーの法則は浄化である。円運動の自由にあるために、常に元に戻り繋がっていく。
一日という時の流れを見ればよく分かるだろう。地球の時間(一日24時間)は、25時26時となっていくことは無く、
24時が0時となって1時2時と新たに繋がっていく。これがエネルギーの法則の性質であり自由である。
つまり、円運動となっているために、始まりが終わりとなっていて、終わりが始まりとなっているのである。
だから、永遠に繋がっていく終わりのないものとなっている。これがエネルギーの性質であり自由から成っている。
そのために、常に0に戻るために、何もかもが浄化されていくものとなっている。
浄化とは綺麗になる、つまり何もない0状態になることで、エネルギーの存在となっている。
意識は、なにもないことを綺麗と言い喜ぶ。法則が浄化の法則となっているからである。
だから、善悪はなくただ存在が正義となっているものである。

エネルギーの性質その自由は、善も悪も無いために絶対善となっての永遠の法則となっているのである。
なぜそうなのかというのは、エネルギーが自由から成っているためである。
悪が無いために善なのであるという自由である。この意識が正義の意識であり、存在の根本である。
存在は、エネルギーの自由意識に由っているのである。

ただ善悪は私達個々の善悪であり、法則は正義があるだけである。
そして、この正義が善悪のないが故の絶対善の動きであることを間違えてはいけない。
間違えると私達にある善悪の悪が正義となる。悪の正義となった世界(時間)が地獄(苦)の世界である。
苦しむことが正義であるために、地獄の世界となれば、苦痛であることに疑問は抱かなくなる。
だから、怖いのである。だから、間違った意識をつくらず、経験を正しくして生きなければならない。

人の生きていくこと、だから人生と言い、人生の行い(経験の行為の一つ一つ)がすべて法則の行為(浄化)となっているものである。
私達の行為は、すべて浄化の行為となっているのである。だから、間違った浄化の行為をしてはならない。つまり、
間違った生き方(悪い生き方)をして人生としてはならない。
地獄行きとなってしまう。因みに、エネルギーの法則が永遠の法則であるために、
その自由に由って生じている生命もまたエネルギーであり、由って生命は不死となっている。
生命は意識でありエネルギーである。それを精神と言い霊魂という。
心(意識)は不死であり、ただ変化(輪廻)して肉体を変えながら
法則を悟り完全に浄化の行為となれば、輪廻を離れ永遠の天国、浄土の世界の生命意識となっていく。
最終的にこれが人生、生命意識の存在の目的である。
人間は、生命エネルギーの浄化のために、肉体に宿り生死を繰り返す。

意識を変えれば現象世界も変わっていく。
あると思えばあり無いと思えばない。
存在は、あると思う意識から成っている。
その在ると思う意識は、受という刺激に反応したエネルギー(意識)である。
反応しなければ存在にはならない。
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平和になるために戦う

2019-08-17 | Weblog
日出国より世直し人現れる。
TYという名をもって現れてくる。
強きをくじき弱きを助けるその根性は、
善悪のない正義にある

意識の変革が始まった。
思い出せ!
善悪のない正義を。
その不死にある意識の記憶を。
道理は性善にしてその徳となって現れてくる。
常に味方となってあなたを守る。

これから
不条理は悉く弾かれていく。
浄化は正義である。
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短き人の一生に

2019-08-15 | Weblog
盆帰り、足早に過ぎていく時の流れに翻弄、
眩暈するうちに彼岸がくる。
行き来する喜びと切なさは、一切を苦として覚り
往来を絶つ道標とする。
魂は意思によって現象の自由を描く。
「及ばざるは過ぎたるより勝れり」を心して、
足早に過ぎ去ろうとする時を留めよ。
「急ぐべからず」と。
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フリーエネルギー

2019-08-07 | Weblog
自らに由るもの。
これが生命エネルギーの現象世界である。
だから。心の問題として現象世界となっている。
あると思えばある。無いと思えばない。
これを理解するのは簡単と言えば簡単、難しく思えば難しい。
だから、自らに由るものとして現象世界が繰り広げられる。
自由とはすべてを持っている。不自由という言葉を作るのもこの自由から作られる。
そして、自分を縛る。
自分の思考が要である。
不自由も思考の産物である。だから、どう思うかということに壁を作ってはならない。
自らに由るもの。この意味を素直に理解することである。
自由が存在の意味である。
あると思えばある、これが存在の自由である。
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自然

2019-08-03 | Weblog
意識に隔たりは無い。
自由である。
自由であるからどう思うかである。
錯覚、思い違い、
現象のトリックに惑わされることなく、
意識としての自由を確立する。
なんでもありとすればあり、ないとすればないことを理解する自由を得よ。
自由とは、かくも素晴らしくあるも、
灯台下暗しとして問いかける。
自分が問題である。
自由と自然と自分とに気づけ!

自らに由ると気づけば自ずと由と分かる。
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心をみがく

2019-08-01 | Weblog
意識が大事である。
意識を正しく持つことが大切であるために、
道理に学び道徳とすることである。
どんなに頭脳明晰であっても、道徳が成っていなければ人間の屑である。
学問に不得意であっても、道徳さえ身に付いていれば先見の明となる。
意識を調える。その知恵は最強の守護となる。
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