つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

れんげ

2006-05-09 | Weblog
生きているこのときが現実である。
現実であるこの時は絶え間なく変化している。
だから、今このときは、もう今ではない。今は、
過去であり、未来である。
確かに認識できるが、陽炎のように幻。

そのために、仮に仮にとして時間は流れ、
仮の世となっている。
仮の繰り返しが絶対となって、人生の完成となり、死となり、あの世となる。
生き様が縁となってあの世は作られる。
悪い生き方をした者は、悪い世となって、地獄が作られる。

信じなくてもよい。信じられないのが普通だろう。
でも、必ず死ぬときは来る。まだずーっと先と思っていても、わからない。それは明日かもしれない。矢の如く訪れる。
ただ、死んだそのとき、はじめてわかる。「ああ、そうだったのか」と。
でもそれは一瞬である。その世界があたりまえであるとなってしまうために、
地獄であっても、地獄が当たり前であるとなって、地獄であることも知らず、苦しみにのた打ち回って生きていくことになる。恐ろしい。
法の世界は非情である。

人の
時の流れの行き着く先は、生命の真実の世界。法の慈悲の世界。
慈は天国であり、悲は地獄である。

自分が縁を作るものである。縁によって導かれる世界となっている。

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