人は死んでも生まれ変わる。それは必然である。赤ん坊のまま、不意に死となれば、1年以内に生まれ変わる。それは、人生経験がほとんどないためである。
人生経験をもとに、その業に由って縁となり、再び生を受ける。あの世は生前の記憶の現象世界である。そのため、記憶が作られていなければ、あの世が展開されずこの世に還る。あの世の記憶がないのは、記憶のエネルギーが新たに作られることが無いためである。それは、作られる体(肉体)が消失しているためである。記憶はエネルギーである。生きていた時の記憶がすべて現象する世界があの世となっている。肉体を司るのは魂という生命エネルギー(使命)である。あの世の肉体は、生前の記憶の現象肉体である。それは、貴方が眠っているときに見る夢と同じ現象と認識することができる。
誕生するという事の「誕」の字は、でたらめ、嘘と言う意味を持つ。
この世に誕生するという事は、でたらめな世界に生まれることを意味する。そのため、嘘八百に塗れながらも、魂の真実を知るための使命として生まれる。だから、この世は一切が苦しみに満ちていると仏は訓える。「一切皆苦の世」であるという。その中にあって、真面に生きて魂の向上を図るのは、貴方という意識に掛かる。ほぼ無知にあるために、誤って生きる。だから、
人生ただ過ぎて生きるだけであるために、「過ぎる」という字は「過ち」とも読まれる。
あの世が一切の記憶となることが無いのは前述したとおりである。
一切の反応を示さない世界であるために、祈ったところで通じることはない。
だから、誰でもあの世の真実は分からない。釈迦とて分からなかった。そのため、「生命の空白の時」として、あの世を「空」とした。どんなに覚っても、あの世を知ることができなかった。知らないことを想像で語って、間違っていてもそれを正すことができなくなる。そのため、釈迦は、あの世の事を質問されても、一切答える事はしなかった。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」というのは、エネルギーの法則である円運動の事である。「この世はあの世と少しも変わらない、人が死んですぐあの世となって、あの世も亦即この世となる。」で、輪廻を説いている。
少しも変わらないというのは、この世の記憶の現象となっているためである。
魂は連綿(死が無い)であるために、魂としての記憶は蓄積されていく。
だから、行った事もないところなのに、なぜか見覚えがあると思う時があるのは、魂に死が無いためである。魂は生命エネルギーである。無くなることの無いエネルギーとなっている。それは、エネルギーの法則が円運動の法則の自由となっているためである。永遠という。
魂の再生回数に由って、性格が現れてくる。再生回数ごとに性質が、法則の質に沿うためである。法則の性質には善悪というのは無い。無いために善となっている。つまり浄化、きれいにばける、である。悪いことが無ければ、それは善い事、この自由である法則がエネルギーの質である。貴方がどれほど良い人、意識であるかに由って、魂の齢が計れるのである。