つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

魂の齢

2024-07-25 | Weblog
人は死んでも生まれ変わる。それは必然である。赤ん坊のまま、不意に死となれば、1年以内に生まれ変わる。それは、人生経験がほとんどないためである。
人生経験をもとに、その業に由って縁となり、再び生を受ける。あの世は生前の記憶の現象世界である。そのため、記憶が作られていなければ、あの世が展開されずこの世に還る。あの世の記憶がないのは、記憶のエネルギーが新たに作られることが無いためである。それは、作られる体(肉体)が消失しているためである。記憶はエネルギーである。生きていた時の記憶がすべて現象する世界があの世となっている。肉体を司るのは魂という生命エネルギー(使命)である。あの世の肉体は、生前の記憶の現象肉体である。それは、貴方が眠っているときに見る夢と同じ現象と認識することができる。
誕生するという事の「誕」の字は、でたらめ、嘘と言う意味を持つ。
この世に誕生するという事は、でたらめな世界に生まれることを意味する。そのため、嘘八百に塗れながらも、魂の真実を知るための使命として生まれる。だから、この世は一切が苦しみに満ちていると仏は訓える。「一切皆苦の世」であるという。その中にあって、真面に生きて魂の向上を図るのは、貴方という意識に掛かる。ほぼ無知にあるために、誤って生きる。だから、
人生ただ過ぎて生きるだけであるために、「過ぎる」という字は「過ち」とも読まれる。
あの世が一切の記憶となることが無いのは前述したとおりである。
一切の反応を示さない世界であるために、祈ったところで通じることはない。
だから、誰でもあの世の真実は分からない。釈迦とて分からなかった。そのため、「生命の空白の時」として、あの世を「空」とした。どんなに覚っても、あの世を知ることができなかった。知らないことを想像で語って、間違っていてもそれを正すことができなくなる。そのため、釈迦は、あの世の事を質問されても、一切答える事はしなかった。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」というのは、エネルギーの法則である円運動の事である。「この世はあの世と少しも変わらない、人が死んですぐあの世となって、あの世も亦即この世となる。」で、輪廻を説いている。
少しも変わらないというのは、この世の記憶の現象となっているためである。
魂は連綿(死が無い)であるために、魂としての記憶は蓄積されていく。
だから、行った事もないところなのに、なぜか見覚えがあると思う時があるのは、魂に死が無いためである。魂は生命エネルギーである。無くなることの無いエネルギーとなっている。それは、エネルギーの法則が円運動の法則の自由となっているためである。永遠という。
魂の再生回数に由って、性格が現れてくる。再生回数ごとに性質が、法則の質に沿うためである。法則の性質には善悪というのは無い。無いために善となっている。つまり浄化、きれいにばける、である。悪いことが無ければ、それは善い事、この自由である法則がエネルギーの質である。貴方がどれほど良い人、意識であるかに由って、魂の齢が計れるのである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報弱者

2024-07-25 | Weblog
コロナウイルスが発生してからというもの、情報媒体の善し悪しがはっきりと見えてきた。大きなもの、強いところのものに与するところと、
弱いところのもの、小さなところのものに味方をするものとが分かるようになった。大きなところが正しいという根拠はどこにもない。
情報弱者は年配者に多く、「昔からの」とする情報源に縋る。保守的な考えが多いため、頑固ともいえる。が、頑固なるものは脆弱でもある。物理にして、
従順、泡沫にある。この世の道理である。変わらないものはない。
柔軟にあらねば、騙されやすい。
この世の移り変わりの周期は300年程、どんなに手を加えても、その範疇。
いつの間にかとして、自然に移り変わる。
不増不減であり、不垢不浄であり、不生不滅である。つまり、ただ変化である。
この変化していくことが変わらない法則となっている。
常に変化していくことが永遠に変わらないとする法則である。
これが宇宙である。私達の住む宇宙である。唯一無二の世界。この外側というのは存在しない。存在しないという事は、不可思議である。
私達の生命エネルギーである魂は、故に死というのは無い。
死が人の意識のすべての恐怖のもとであるために、死が無いという事を悟れば、恐怖も存在しなくなる。
ミロクの世として、56億7千万年後が今かもしれないし、また、今から56億7千万年後かもしれないが、私達魂は弥勒仏に遇えるだろう!なぜなら、
死が無いのだから、永久の時というのも瞬時と同じ、自身の意識の時間の現れである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

繰り返しながら 

2024-07-25 | Weblog
巨万の富を得ている人もいれば、明日の食事に困る人もいる。
人は立って半畳寝て一畳、と言われるように、僅かなスペース(空間)があればよい。偉人、凡人それほど違わない。不足とみなすか否かはそれぞれである。
広大な空間を持て余し、暮らす人の心を見透かして、俗世というのは憐れに尽きる。致し方なし。この先は、混沌にして帰るのみと知る。
オーパーツ、遥かに過ぎ去った日々に於いて、現代科学を凌ぐ物質を見る。
進化を辿りながら退化に行き着く様を見せられて、「是」たる法則の揺らぎに、精神を仰ぎ見る。進化は、精の理にして叶うと覚。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

解放運動のからくり

2024-07-24 | Weblog
ウーマンリブ(女性解放運動)、一見正しい意味として捉えられるが、
その裏にはおどろおどろしい思惑が隠れている。例えば、100組の夫婦がいたとすれば、父が働き母は家庭を守り子育てをする。子はかぎっ子とならず、親の愛情をいっぱい受けて育ち、優しい子が育つ。
しかし妻たるものから税金は取れない。妻も普通に働けば税金が取れる。
子供は社会が面倒を見るとして、学校教育、義務として一様な教育を施す。小さいうちから、ある意味、洗脳教育ができる。「皆と同じでなければ」として間違った同和社会が作られた。差別、偏見をなくすことの目的が、逆にそれを生んだ。競争社会が作られ、戦う事が善となっていったのである。人よりも優れることを誉とし、戦いに勝ち、のし上がっていくことが正しいとされた。そのために、人を蹴落とすことに何の違和感も覚えない。ただ勝ちを喜び、負けることの
悔し涙にある人を思いやることが無い。勝ち負けというのは非情な事であり、非情な者となる。
解放運動という一見自由を盾に、不自由となっていったのである。いろいろな規則で縛る羽目になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外見の立派は?

2024-07-24 | Weblog
立派な建物の中には、それに見合った悪魔がいる。伏魔殿である。
伝説に、吸血鬼ドラキュラ伯爵が住んでいたのも立派な建物、お城である。
どうやら立派な外見をした建物には、それなりの悪鬼が住むようである。
日本の首都東京にも立派な建物が多い。特に民政を与る都庁も伏魔殿に見える。
然り、国会議事堂も伏魔殿と化している。その様は、最近に見る不正、裏金問題にしても見て取れる。政治は本来、仁政に在らねばならないのだが、今は悪政となっている。だから、一般国民は虐げられ、不安に戦いて暮らしている。
今だけ金だけ自分だけとしての政治家が蔓延っている。国民の税金に群がって、搾取という形となっている。だから、政治家に資産家が多い。
国民には納税、自分たち政治家は脱税、未だに決着はつけていない。のらりくらりやっていれば、そのうち忘れるだろうぐらいに思っているのが知れてくる。
いつの世も悪代官というのはいるもので、はなはだこのご時世にしても闊歩している。司法立法行政いたるところの不祥事が現れてくるという事は、やはり、
世の中の法則が、ある一定の度を越しての浄化の感知にあると思われる。
地知る天使る我知るとして、嘘は隠せないものである。もし、貴方が隠しているとすれば、貴方はそれを知っているために、いつまでも悩まされる。して、害その身に至る。
世の中は、循環にあり、地のもの天に上りまた降りてくる。
洗い流された汚れた水は、黒い雨雲となって激しく振り灌ぐ。汚れが多ければ、洪水となって現れてくる。何度となく雪がれて綺麗になっていく。
天地が乱れるのは、人災が影響する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする