循環型エネルギーであるために、水は蒸発して上昇、空の雲を作る。
雲はやがて雨となって地面に戻る。この繰り返しである。
全ての存在は消えてなくなってしまったように見えるが、形を変えているだけで、
いつか再び帰ってくる。
エネルギーが円運動の自由にあるためである。
円運動は元に戻るためにゼロ、つまり浄化の性となっている。
だから、人の行為もすべて浄化の行為となっている。
ただ間違った浄化の行為をしているために、間違ったことが人生に起こる。
人は、水を汚し、地を汚し、それが天に上り地に返ってくる。
汚れが酷くなれば雲も黒々となり大雨となって降り注ぎ地を洗い流す。
地球の浄化作用である。世界人口が増えれば増えるほど、そして傍若無人にあればあるほど
回り巡る道理である。
意識体である生命エネルギーは、物質的肉体を介してのみ意識の向上がなされる。
肉体の活動行為が記憶を作り、記憶のエネルギーの積み重ね、そのエネルギーの統一されたものが想念となって、
心となっている。つまり意識となっていく。知の識が知恵となっている。
知恵は経験の識である。そのために、誤りのない判断となっている。
物事は知識で判断するのではなく、知恵を持って判断していかなければならない。
ただし悪知恵は間違った浄化の判断である。
経験されないことは知識となっていかないためにわからない。だから、
死が人の経験とならないために、人は死んだ後どうなるのかわからない。
分からないために恐怖となっている。
恐怖を克服するために超越した存在(神)を作り、それによって問題を解決している。
神に縋ることに由って恐怖が無くなっていくためである。
だから、恐怖を思わなければ、そもそも神などというものはいらない。
人の思いにある神というものは、そういう存在である。人の都合による存在なのである。
あるいは、人間よりもはるかに優れた能力のある生命体を神としている。
それは、地球外からやってくる知的生命体を神としていても理解できる。
が、ただ神とて悪神と善神がいるものである。人に悪人と善人がいるのと同じである。
エネルギーの法則に無知であれば、悪知恵をもってして与えられた知識を、
正義としてしまっても仕方がない。人類の歴史が、これほど戦争と殺戮の歴史であるのは、
悪心である知的生命体の企みであるとする。彼等には、
無知である人類を騙すのは、赤子の手を捻るように簡単なことである。
して、人間は地上から自由を奪われ、金融制度に支配されて、すべて
金の奴隷となって、金が無ければ何もできないものとなっている。
金が人生の通行券なのである。だから、従順にして労働に服し、一生を隷属という
鎖を自由と錯覚して、金を稼ぐために費やす。
これが正義となって、誰一人疑うことが無い。というより、意識あるものは、
ここまで制御されていては、太刀打ちできないと知って、意識の転換期である周期(浄化)を
想像するものである。自然の周期である。♪信じることで必ず最後に愛は勝つ♪想像は現象を起こす。
エネルギーの法則は、観音経にある方便を雄弁に語っている。
イメージ(想像)することである。是(善神)は訓示る。そう受す。
エネルギーの法則は、円(縁)運動である。ただ回る。という意識であるために、
善悪というものは無い。無いために絶対善の道理である。
道理には、0から9までの数字が意図されて創造されている。すべての数字には意味をもって
意識されているが、自由はゼロ点である。
それは、深遠にしてゼロポイントに帰す。