つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

量子意識エネルギーである

2024-06-02 | Weblog
物価が上がれば消費税も上がる。だから。空前の税増収。
増税を謳えば増税眼鏡と揶揄される。なるべく皮肉られないよう、物価高に梃入れをしない。他の世界情勢の混沌を因として、仕方なしと匙を投げ、見て見ぬふりとする。補助金打ち切りとして、高騰現象に追い打ちをかける。
日本国、独自の通貨を持ち、発行権を有する。だから、どんなに予期せぬ災害があっても、破産はしない。
無い袖は振れないのが道理であるが、物作りとして「作る事」が生きる要。
ずーっと、「作り続け」て社会は成り立っている。そのうち、いろいろ有り余って、一つ一つ価値が薄まり、無くなっていく。人の造るものというのは、人工的創造物として、必然無くなる。消滅である。
自然に作られたものというのは無くなる事は無い。正しく言い換えれば、
「変化」するだけである。その意味で、人もまた「生死」という変化していくだけである。さて、人の生死の話はさておき、
経済と言う意味で、通貨の価値は無くなっていく。現在にして、様々なところで、「無料」という言葉を見聞きする。価値の無くなっていく
前提にある兆候、「欲」という縛りから、縛りの持たない「愛」という現象に変化していく。この現象を、荒唐無稽とする意識にある人は、点と線と高さにある次元に縛られたままである。物理の世界である。
意識の現象は、物理には無い。幻想を本物として叶うために、現実に囚われることが無い。そのために、愛が価値として現象、愛しみの社会が作られていく。
私達は、創造を想像することで現象する量子意識エネルギー生命体である。



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テレパシー、この世は「受」の世界

2024-06-02 | Weblog
今一度確認する。
「諦める」という言葉がある。この言葉の本当の意味は、「あきらかに見る」こととして在る言葉。途中で投げ出してしまえと言う意味ではない。真理を明らかにする、世の中の道理を明らかにしなさい、あきらかにして見なさいと言う意味で充てられている言葉である。そのために、言葉という文字に最高の位を表す帝王の帝の字をつけて、最高の言葉であるとしている。
言葉の「帝」(みかど)である。
{諦めない}という事は、本当の事は知らなくてよい、いつまでもバカなままでいろと言っているのである。
諦めないという事を全く反対の意味にして教え込ませ、潜在的に意識の中に信じ込ませた。知らぬ間にサブリミナル手法を用いて、脳にインプット(入力、投入)させたのである。「諦めろ」、「明らかにすることを投げ出してしまえ」「途中でやめろ」という意味にすり替えて、人間の耳には聞こえない波長を用いて、語り掛けたのである。それがサブリミナル手法である。その効果は絶大で、いつしか「諦める」=「途中で投げ出す」という意味にして浸透させた。だから、いつまでもバカなままで、悪魔の言いなり、奴隷となってしまっているのである。「真実をあきらめなくていいんだ」として逆に、何事も「諦めるな」と、あたかも「好い事」であるかのように信じ込ませた。
本来の意味として、真実を知る事は善い事である。「諦める」事は善い事なのである。これと同じようにして、
《情けは人の為ならず》として、非情さを肯定して教え込んだ。「情けを掛けてはいけない」として間違って解釈させた。本来、非情さを肯定させる言葉ではないのである。そのために、その後に続く言葉を理解しなければならない。
《情けは人の為ならず、回りめぐって自分の為》、情けをもってあたれば、必ず自分に返ってくる、自分の為になるのだとしている言葉、つまり、《情けはかけなさい》としている言葉である。情の深い言葉なのである。日本の国民の半数近くが、誤解している言葉である。このようにして、洗脳教育というのは、悪魔な教育をして大衆を奴隷化していったのである。
世間の常識とは何を常識としたのか、間違った教育の下、間違った知識となり常識化されていったのである。だから、この世は矛盾だらけ、善悪転倒して、「苦しむ」事=「正しい」事として、一切皆苦の世となっている。
戦争がいけないと言いながら、いまだ戦争をしているのである。この矛盾に気が付かなくなっているのは、同化しているためである。また、気が付いてきたとしても、どうすることもできなくなってしまっているのである。しかし、大衆が変われば大きく変わる時点に来ている。今までの悪い習慣、慣習は変えられるのである。そのように天(宇宙)の意識を受ける。テレパシーである。
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