つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

考え方

2019-12-28 | Weblog
現代社会は、悪のエネルギーとなって進化している。
もう助かる見込みは少しも残ってはいない。
自然災害の強大さは、人類の悪のエネルギーに対しての現れである。
今は未だところどころに脅威を現しているが、21世紀中、それもここ数十年には、
自然の驚異が、地上全土同時に起こると思われる。そのとき、いよいよ
滅亡が真実であることに気づくのだが、気づいた時には時すでに遅しである。
21世紀は人類には越えられないのである。なぜなら、悪のエネルギー進化となった、
人類の時間線上は、その自由に由って、動かし難いものとなってしまっているからである。

エネルギーの法則は、自由が根本性質である。人間の思いにある善悪などない。
ただ回る運動であるために、すべてが元に戻り、再び始まっていく自由となっている。
だから、矛盾などない。
この自由は、円運動であるために浄化となっていて、すべてがきれいになる。
ゼロの形で円い。空洞でありエネルギーが満ち満ちている。
円満である。


これが法の正義であり、自由の正義である。そのために存在となっている。
善悪などないための絶対善である。

存在の外側を存在であるものが、思考することはできない。
関わることができないためである。
この宇宙の外側はどうなっているのかと考えるが、答えることはできない。
不可思議となっているためである。それは、
思考がエネルギー(存在)であるから、
存在でないものを考えることができないのである。

この宇宙は、一つのブラックホールにある。
だから、宇宙は暗闇である。
どんなに太陽が巨大であっても、その周囲すら真っ暗である。
この宇宙の中には、いくつものブラックホールが存在するが、
例えて吸い込まれても、また同じ宇宙空間である。

宇宙は円運動の法則でできていて、唯一の法則である。
昨日があり今日があり明日がありと、一日が違う一日であるが、
同じ一日に違いが無いようなものである。

実数で計算しても答えが出せないのに、虚数で計算すれば答えが出てくるようなものである。

私達は、意識の存在である。そのために、思考が、直線的思考をすると矛盾となってくる。
宇宙は、円運動の存在である。この法則の存在であるために、円思考することに由って、
前後が見えてくる。矛盾が無くなっていく。進化は常に退化と一緒であると気が付くことができる。
便利は進化して不便を強いることになることがわかってくる。
便利に慣れると、不便を感じてくるはずである。

この自由の法則に添って生きていくと、知恵が生じてくる。
この知恵は、法則の知恵となるために、惑わされることのない判断を得られる。
釈迦が予言したように、人類は、自らの作った悪の進化によって、必ず滅亡していくために、
意識に恐怖を抱かず、受け入れていくことであると説いた。
生命エネルギーが法則に由って、無くなることのないエネルギーであることを理解すれば、
滅亡は、新たな進化の始まりであることが知れてくるために、生命の未来に希望をもって
地上に訪れる自然の変化にただしく対応していくことである。
死が、生命の無くなることでないことがはっきりと知れてくるために、
死を恐怖と思わないことである。
間違えて生きた人生だったならば、やり直せる機会を与えられると、感謝に思うことである。
意識に死は無いのであるから。意識は連綿である。
常識に囚われていてはいけない。







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疑心暗鬼

2019-12-26 | Weblog
商売というのは、哀しい仕組みである。
お金の支配を最も肯定的にしている。
お金が命となっているために、無一文となれば、
人間社会では生きていけないようになっている。
金融制度が確立されているために、
お金が信頼に足るものであり、お金を持たない人は
それだけで信用ないものとされる。
お金がある人は良い人で、無い人は疑わしい人となる。
悪いことをしても、お金の力でねじ伏せてしまったりしする。
お金が幸せであり、お金がないだけで不幸と決めつけている。
だから、皆お金を欲しがる。
お金の力は、人の心まで変えてしまうことができる。

医者になる人の志は、一心に病気から救ってあげたいからと語る。
その技術獲得の為だけに、日々邁進するものだ。やがて、
技術を得て、立派な医師になり、多くの命を救えることに満足し、そして、
相手の喜ぶ顔が最大の幸福感となる。そのほかに、何を求める必要があろうか。
死ぬ命を救えたことの自己満足こそすべてである、と語る。
その後、難病の難病、心臓を患う幼子の命に出会った。
誰にでもできる技ではない技をもって、幼子の命は救われた。
医師は、満面の笑みを浮かべて、大満足、幸福に包まれた。・・・
・・・すぐさま、数億の費用が幼子の家族に請求された。
俗世は、偽善に満ちていて、すべてがお金に支配されている。
この仕組みを疑うものはいない?
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酷民化

2019-12-25 | Weblog
年金制度はとうに破綻していて、普通の生活をしていくのもままならない人達が大勢いる
贅沢などとんでもない、旅行なんて行きたくてもいけないのが巷の老後の現象である。
出生数は86万4000人と過去最少となったと報道にある。これは、
日本の未来が、国自体が存続できなくなっていくことを暗に示している。
それに、団塊世代が75歳になるのは目前である。
今にして、戦後の混乱期よりも、生活保護を受ける人は多くなっているというのに、
こんなに豊かで文化的景観の世の中で、生活苦にあえいでいる人のなんと多いことか。
そして、ますますそんな人たちが増えていくことが目に見えてわかる。
一億総活躍とおだてて、働け働けと煽り立てるが、税金ばかりが増えて、
税金を払うためだけに働かなければならないようにされている。
税金で食べている人達は、裕福になっていて、それでも足りないとして、不正不正不正で私腹を肥やしている。
そんなえげつないニュースばかりである。
貪欲で狡賢い人達は、それ故にお金の執着心が半端なく、人を蹴落として上に這い上がっていく力が強い。
パワハラ、セクハラ、モラハラ等々等、心の貧しさは増すばかりであるも、
ずる賢さは、あらゆる手段を思いつき、権力でねじ伏せようとする。

議員は、選挙のたびに、国民の為豊かな生活をと謳いながら
国民の為国民の為と言って、どうだろう?民衆は酷民にされていないか?
そんな厭世観が募り、巷は大衆迎合にして衰退していく。
格差拡大は、結局、裕福をも道ずれにしていくこととなる。
裕福層は、他人事として先見を得ないために、手遅れとなる。
これこそ自業自得である。

国を動かす人たちは、学歴優秀でもただそれだけで、利己的である。
道徳には疎くて、それが致命的となる。
どれほどそんなニュースを聞いてきただろうか。
しかし、何ら変わらず、巷は酷民にされていて、されるがままである。
いやだったら、選挙でえらばなきゃいいじゃないかと、口を斜めにして開き直った大臣がいたが、
出る人が、貪欲で噓八百の人達ばかりなのだから・・・。あへあへあへ!
なんだかんだとしても、2050年までには、一掃という転換期にある。
どうにもならない山済みの問題も、平坦になる。
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人間のロマン

2019-12-22 | Weblog
ネガティブ(消極的)な語りばかりであるが、社会の出来事が
マイナス的なことばかりが目立ち過ぎて、
偽善社会であることへの確信が、日に日に高まるために、
どうしても厭世観が募る。
人間社会は、昔も今も何ら変わることなく、偽善社会の進化である。
その進化は、エネルギーの法則の自由にそぐわないために、
苦しみの一途をたどっている。
法則にそぐわなければ、その存在は成り立たなくなる。
それが、この文化の発達時点で、いよいよ限界点に来ているようである。
様々な宗教が生まれ、人間のあるべき姿が説かれてきたが、それすらも、
正しく伝わることなく、争いの原因ともなって、宗教戦争になっている。
兎にも角にも、人間は修羅にある。
文明が発達しても、何ら変わらず争いばかりである。
存在の根本であるエネルギーの法則に無知であるために、
何が説かれても、理解されることは無く、そのために、
無知に由って人間社会は、この地上より消滅していく。
(何も知らない)ということは、ただ過つものである。

エネルギーの法則は、ただ回る運動である。これがエネルギーの自由でそうなっている。
このエネルギーの法則の自由で、宇宙は存在している。
そのために、存在のすべてが法則の下も存在である。だから、
法則の自由は、如何なる力をもってしても動かすことはできず、絶対となっている。
このことを理解できれば、
この理解が知の恵みとなっていくために、
知恵によって無知は消滅していく。自由というものがどういうことであるのか、正しく知れてくる。
エネルギーの法則の自由には、よいとかわるいとかというのはない。
そのために、エネルギーの法則は、絶対善の動きとなって巡っている。つまり、ゼロになるための運動となっている。
これが浄化である。だから、すべての動きは浄化の動きとなっている。
人の動きも全て浄化の行為となっている。これが正義である。

善悪が無いために、善の動きとなっていることに気が付くなら、
もう師というものはいらない。誰に教わらなくとも、自然と物事の道理がわかってくる。
何をして何をしてはいけないかということが、誰に教わらなくてもわかってくるのである。
あらゆる事柄の道筋が見えてくる。

善悪は人の善悪であるために、相手を必ず悪として判断する。
人の思いは、私は善であり相手は悪であると判断するのである。
そのために、悪を退治するための行為となって、悪が絶対存在となっていく。
これが戦争というものである。

悪が絶対存在となるため、悪魔に振り回された世界となっていく。
悪魔の自由となっていくのである。

意識に悪が少しでもあれば、天国は作られることはない。
決して救われることのない世界となっていく。これが、
人間の歩んできた社会である。歴史である。
今も昔も、どこの国でも、その歴史は戦争である。
戦争での殺し合いは、殺すほど英雄となる。
殺人が善となってしまい、転倒した社会が現れるのである。
この歴史は現在も続いている。世界のどこかで紛争は絶えず起こっている。
地球もエネルギーの存在である。法の存在であるために、浄化が道理である。
そのために、転倒した現象は法の存在と摩擦となって、消滅していくものとなっている
それが天災という浄化の動きである。地球の悪のエネルギーとなっている人類の一掃である。
法則の動きであるために、この自由を変えることはできない。
回避できる術は残されてはいない。この動きは加速されている。
それは、人間に見る行為の誤りにある。
信頼されるべき立場にあるところの不正は、あちらこちらに見られる。
これほど過去にない自然の脅威は、その表れである。
人災が天災を呼んでいると言っていいだろう。
およそ2500年前に、滅法として予言され、その後、地獄の黙示録が示されて、
今日に至るが、宇宙から見れば、昨日今日の事柄である。
ごく最近、2050年より早くなるのではと、
しきりに感受する。

滅亡は再生の始まりである。
誤った歴史の滅亡は、再生への希望である。
神々の思いは、失敗は成功の基として、何ら失望は無い。
そのために、人間は、こんどこそ誤ることのない歴史として行かなければならない。
人間には、生命エネルギーにはそんな希望があるのである。
幸せになるための人間の広大なロマン、それは、
エネルギーの法則が、なくなることのない法則となっているためである。




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2019-12-21 | Weblog
安心な老後とは何だろう。
自分というものだけを考えてみれば、
健康で、自分のことは自分でできて、他人の世話にならず、お金に余裕があれば、である。
年老いると、このほとんどがままならなものである。
長く生きるのは、良し悪しで、古来稀なりという古稀(70)が妥当と思われる。

長く生きれば生きるほど、悲しみに多く出会う世の中になる。

これからますます、時の流れの速さにめまいしながら、自己暗示する。
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急速な時の流れは・・

2019-12-20 | Weblog
エネルギーの法則は円運動の自由である。
エネルギーが円運動であるために、元に戻る、ゼロとなるための運動である。
円運動であるために、始まりが終わりとなって、終わりが始まりとなって繋がっていき、
永遠となっている。
これが浄化である。
浄化の法則であるために、すべての存在の行為は、浄化のための行為となっている。
円運動の変化が進化である。
エネルギーの変化は、個体をもって進化し、浄化に対応している。
生物はそのために生まれてくる。
地上の生物は、その環境にあった生命エネルギーである。
自然に正しく対応しているために、自然の環境の中で生きていけるものとなっているもの。
しかしながら、人類は、自然の環境を自分たちに合うよう変えて生きたために、
生物の中で、肉体の進化が一番遅れ、自然の中では、なかなか生きていけないものとなっている。
  全ての行為は、エネルギーの浄化のための行為である。
人類の行為は、正しい浄化の行為となっていないために、他の生物の環境を汚し、自らの環境を破壊して、
この地上より滅亡していく運命を歩んでいる。
地上の生物は、共存である。生存競争ではない。
共に生きているのが生物であるのだが、人類はあらゆる面で生存競争をして生きている。
そのために、同種でありながら、いがみ合い争いながら、反面愛護を唱える。この矛盾に気が付かないのは、
直線的思考となっているためである。解決の道は、滅亡以外にはなくなっている。
2050年まで持つかどうか、という事態に来ている。
この先進国、経済大国と言われている小さな島国日本を見ても、
どんどん生き苦しくなっているのを感じているだろう。
生活苦、貧困問題、格差拡大は是正されることはなく、
嘘で丸め込まれているのに気づかないだろうか。
弱肉強食は、畜生の世界である。
愛のない社会は、崩壊だけである。
均等を失った独楽は、乱れ急速になって止まる。








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目を覚まして

2019-12-19 | Weblog
この世の中は、苦しみから喜びが生まれてくると思われている。
だから、苦しみの時を越えさえすれば、その何倍もの喜びが必ずやってきて、
実際、多くの人はそういうことを体験するために、
苦しみが無くては喜びもないと思っている。そして、その裏もあり、
喜びの後には必ず苦しみがくると不安がる。この世は糾える縄の如しと信じる。
辛く苦しいのは、幸福になるための源なんだと体験して意識とするために、そのために、苦は
善であると誤解してしまう。
苦が善となれば、苦しむことが当たり前で、地獄となっていることに疑問を持たなくなる。
地獄に仏という現象を、自ら作り上げていることに気づかなくなっていく。
たとえば、天国には苦しみは無い。何ひとつ苦となることが無いために、天国なのである。
地獄ということを意識することが無いためである。
地獄は、何ひとつ喜ぶことが無いために地獄なのであって、それぞれの世界は、互いに唯一無二の世界となっているのである。
私達の現世は、この意識の思い違いによって、苦楽の現象を受けている。
自然に善悪は無い。善悪は人の善悪である。
人は意識に善悪を持ち、その判断で思考するために、考えなければ何もできなくなっている。
しっかり考えるから行動に誤りはないとするが、考えなければ動けなくなっている。
それが行為の遅れとなって、すべて手遅れとなっている。人が経験を知識として善としている。
その知的判断をしているために、経験の誤りが知識の誤りとなって、判断の誤りとなっていく。その誤りに気が付かなくなっている。
知識は、他人の経験を正しいものとして自分の経験として行くために、経験が誤っていても気づくことはない。

人の生命は、それぞれが唯我独尊である。他人が自分の生命世界となることは無い。
自分の生命世界は、自分が作っているものである為に、唯我独尊なのである。
自分の見ている夢の世界に、他人が入り込んでくることが無いように、意識は自分だけの生命世界現象である。
意識が知識で判断していくと、他人の意識に振り回されていく。
人の振り見て我が振り直せと言われるのは、意識が他人に侵されてしまうためである。
他人の行動に、自分の行動が侵されてしまい、他人の自由に振り回されてしまう。
不自由となっていることに気は付かなくなってしまう。


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分岐点近づく

2019-12-18 | Weblog
現代科学の進歩はめざましいものである。
少し前、戦後70余年の間に、当時では到底無理であったことが、
今は可能となっている。これからの進歩はさらに加速していくが、
あと2、30年ほどの進歩で幕を閉じる。科学は人類を救うほどの力はない。
すこしばかりその便利を享受するだけである。
人類科学は、宇宙探索をするまでに進歩はしても、
自由気ままに宇宙航行は人類にはできない。人類の肉体はあまりに脆弱であるためである。
精神生命体としての存在とならなければ、宇宙航行は不可能である。
精神生命体となるには、生命がどのようにして存在となっているのかを知らなければならない。
つまり、エネルギーの法則を知らなければならない。
エネルギーの法則は円運動の自由である。ゼロとなるための運動である。そのための存在エネルギーである。
この自由を正しく理解できれば、精神生命体となることができていく。
地球外にある知的生命体は、ある程度この自由を理解し得ているが、真に理解している生命体は、
存在の8対2の割合である。2割は善悪の判断にあるために不自由がある。
8割は自由を完全に理解していかなるいるために、自由を侵すことがない。
どの様に理解しているのかと言えば、自由の下の存在であるということである。
そのために、如何なる力も自由を動かすことはできず、自由に溶け込むことこそ、
意思の神髄を得ることを理解している。理解しているというよりも、自然に自由意思となるために、
善の享受となるのである。あれこれ考えるということを必要としなくなるのである。
全てのあらわれてくる出来事に、即断できるものとなっている。
だから、どんなに人類が滅亡の危機にあっても、彼らが救うことは無い。
人類が自らの気によって覚り、改善していかない限り無理であるために、ただ、
自然をもって気づきを与えるだけである。しかし彼らは知っている。
人類が改善されるには、一旦という法則の道理にあらねばならないことを。
そのために、頻繁に現れるようになるが、滅亡から助けることはできない。
火宅の中から、気づくものだけに道標を与えるだけである。

ここに記すことは、生命が肉体を持って生きているということを理解していなければ、
何が何だかわからないようになっている。
肉体の死は、生命の肉体からの離脱である。
それは、これ以上この肉体では、生命エネルギーの浄化ができないという、生命の肉体放棄である。
いわゆる、自らのリセットである。
もう一つに、道理を理解でき、この肉体での生命完成である。それは、どれだけ覚ったかという割合で、
再びたる時の流れか、完成形の永遠かである。
生命には死というものはない。エネルギーが円運動となっていて、終わりが始まりとなっているためである。
ただ肉体は無常であるために、今生の肉体の容姿は一度きりである。二度と会うことは無い。
魂に遇うことはできる。記憶がエネルギーであるために。

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2030~2050年の間と感受する

2019-12-17 | Weblog
自然現象の異状はすでに始まっているが、特にここ数年顕著となっている。
日本国にしても近年、大型台風の接近頻発、大雨、それに伴う洪水、巨大地震と自然災害の多発が目立つ。
海外にしても同じである。
温暖化で気温の上昇、海温の上昇、氷塊の減少等、生態系の崩れが起き始めていて、
地球規模で異常な状態となってきている。
人類は、釈迦やキリストが予言したとおりに、一途に滅亡への進化まっしぐらである。

現在の時間線上で、このままいけば
2050年には世界人口は90億と推定される。
それは地上では過密状態である。人類の異常増殖。
自然は、ある種が突出して増えていけば、その熱エネルギーを浄化できなくなっていく。
つまり、住む環境が悪くなり、この悪のエネルギーによって淘汰されていく。
生態系の乱れ、食物連鎖は深刻である。
特にマイクロプラスチック、所謂廃棄プラスチックは急激に生態系を乱す。
そして、食品添加物、油は深刻の域に達している。これらは、
癌や脳梗塞、血液の汚れなど、体内のホルモンバランスを乱し、痴呆など、精神疾患を引き起こしている。
各臓器不全を招く。どうだろう、昨今、特にこれらの病で死んでいく人は多いのではないか。
介護はどんどん増えて、
人生100年時代と言われている日本国、逆に長生きは地獄と化していく状態にある。
これらはみな、人間の行為そのものが、浄化の行為となっていないためである。

人類の進化は欲の進化である。様々な化学を生み、これが誤った方向性にあるために、
この悪のエネルギーによって自らを死に追いやっている。
地上の生物の環境破壊となって、それが、地球の自浄作用を促して、天災を多く招く羽目となっている。
人類の歴史を顧みれば、戦争と殺戮である。それは現代に於いても少しも変わっていない。
そして、大量殺戮兵器はますます脅威となっている。
この悪のエネルギーの進化によって、人類は100%滅亡となっている。
便利を作り出す科学は、便利を高じて逆に不便を強いることになる。
これが無ければもう生きていけないという依存性を生み出し、
依存型社会となって、自分で生きていく力を奪う。

人類は間違った道を歩んでしまったのだが、悪のエネルギーは一掃されて、
生まれ変わった新しいエネルギーが誕生してくる。
悪のエネルギーの一掃は、
2020年からますます悲劇的なこととなって現れるが、地上に明日が来なかった日が無かったように、
人類が滅亡しても明日は変わりなく地上にやってくる。
エネルギーの法則が無くならないためである。
そのために、生命にも死は無く、未来という時間は存在していて、その存在に、
恐怖を持ち込まないことである。
死は生命の無くなることではないために、希望をもって滅亡を受け入れていくことが、
未来の生命の天国となっていく。
そのために、
釈迦やキリストが説いたのは、現世の救いではなく、意識という生命エネルギーの救いである。
二度と誤った考え方をしないように、
生命には死が無いものであることを訓え、そのために、死が生命の恐怖となるものではないことを、
正しく理解してくださるよう説いたものである。
人類の滅亡は、悪のエネルギーからの脱却である。
決して恐怖としないことである。意識は死なないのであるから。

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魂の救いを説いている

2019-12-14 | Weblog
不安を煽り立てるのは良くないが、これは現実であるためにもう仕方はない。
これは釈迦もキリストも予言した末法説、地獄の黙示録まっしぐらである。
彼等は、法を見た人である。彼らの予言は法の予言となるために、誤りのない予言となっている。
人類は100%21世紀を越えていくことはできない。地上に起こる変化は、
人類による悪のエネルギーがに原因となって起こる。そもそも地球の熱エネルギーは、
浄化されたエネルギーとなって鉱物となり自然が作られている。
その浄化されたエネルギーを取り出して、人類の為のエネルギーとしているために、
環境破壊となって、生物の存在できない環境を作っている。
化学で分解されたエネルギーは、二度と元には戻らない。
人工的に破壊されたものは、回復はできないのが自然の道理である。
覆水盆に返らずである。
人類は、宇宙のエネルギーが円運動の自由となっていることに無知である。
円運動はすべてゼロになるための運動である。これが浄化である。
そのために、始まりは終わりになるための始まりである。
終わりは始まりになるための終わりである。つまり、終始は同一となっていることが理解できない。
すべてが直線思考であるために、矛盾が生じて、その矛盾が解決できない。

宇宙は円運動エネルギーである。地球も同じである。だから、地上にあるすべての存在は、
円運動となって繰り返すものとなっている。生命も同じである。
だから無くなることがない。変化していくだけである。そのために、
生命も変化していく。これが肉体の死であるが、生命エネルギーそのものは無くならない。
連綿である。これが
生命エネルギー、心である。意識である。精神となる。
形あるものでないために、
見ることも触ることもできない。見ることも触ることもできないために、
存在をなかなか理解できないでいる。
理解できるもできないもエネルギーの自由であるために、意識次第である。
その思考を円思考とすることに由って、
理解できていく。エネルギーの法則が円運動の自由となっているために、円思考とすることに由って、
道理が理解できていく。そうすれば、あれこれ考える必要が無くなっていく。
直感が働くとでも言おうか、即断ができてくる。不思議となるのである。
自由というものは文字通り隔たりを持たないものである。
これが知恵である。知識で固められた識の常を改めることである。そうすれば、
経験しなくても、知恵でもってすべてが知れてくる。これがエネルギーの自由である。
性質である。
難しいことではない。円運動エネルギーであることを知るなら、
戻ってくるという進化で、行為の善悪、何を為して、何を為さないということが知れてくる。
自分を愛しているなら分かるはずである。

今世紀中、必然肉体は滅していくが、意識の持ち方を変えれば、
魂は救われて、あの世は天国である。
今は地獄にあっても、あの世は天国となっていく。
意識の持ち方、円思考である。
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