つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

怖いもの知らず

2012-05-31 | Weblog
早いもので、今年も半分が過ぎた。
なにやら「変」を思う半年であった。あと半年は激変とならなければよいのだが、
時の進みはそうなるように進んでいるようだ。」
人はまだ微細なものを把握してはいない。
にもかかわらず微細なものを操ろうとする。一度手におえなくなるとどうすることもできないのに、
操ろうとする。
喉もと過ぎれば熱さ忘れるといわれるように、
人は愚かな者である。学習することが無いものには、
再びの悲劇が取り返しが付かないことになることを知らない。
無知で死ぬほど憐れな者は無い。
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必然となるには

2012-05-30 | Weblog
使った道具は必ず元に戻す。
どんなに急いでいても。
規則があるなら守り、
規則としてなくとも、一つ一つ順番にするべき物事はこなす。
どんなに急いでいても。
手抜きしてよい道徳はただのひとつも無く、
間違っても、
手を抜いて得をしようと行動してはいけない。
急げば急ぐほど焦り、焦れば焦るほど遅くに近づく。それも、かなりの遅くとなって。
ずるくして、都合をつけようとすれば真逆を味わう羽目に。
どんなに急いでいても、するべきことは一つ一つこなしていけば、
時はまっていてくれて、何とか事なきを得ておさまるようになる。
都合が付く。
日ごろから、道徳を守る人のところには、よく都合が働くものである。
ほとんどの人は、それを体験できないで、偶然を知るだけである。
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弥勒

2012-05-28 | Weblog
めまぐるしく起伏の激しい春夏が過ぎて、平穏な秋を迎える。
一時であるが、穏やかな季節の時が流れる。
それは、消える間際のローソクの灯りのような、
病に倒れた人の、束の間の穏やかな日々のような、
台風の目の中にいる時のような、・・
ある重大な間際な時である。
日食の満ち欠けが瞬く間のように、時は駆けていく。
さて、優れた小さな小さな
ミクロなものと呼ばれるものたちが集まって、
ミロクとなり導かれますように。
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2012-05-26 | Weblog
死んでしまっては、二度と親しい人に会うことは無い。知人に会うことも無い。
先に逝った祖父母に会うことも無い。
あの世というところは、この世であった人たちとは二度と会うことは無い。
この世もまた同じである。

臨死体験というのがある。いったん死んだとみなされた後に生き返ったという事例である。
いったん死んでいた時?とみなされていたときにいた世界は、
それは、意識障害中に見る夢の世界である。
その中には、あの世に召された知人がでてきて、
あるいは、親族が出てきてなにやら導く。
その御蔭で、まだ死なずにすんだと語る。
この世にいたときの知っている人達が出てくるのである。・・

・・「おぎゃ」と生まれたとき、人は、‘この世に生まれてきた’とは記憶に無い。
思わない。何も知らない、白紙の状態である。
誰も知っている人もいないし、記憶に無い。会ったことがある人というのはいないのである。
この親から生まれてきたということも知らないで生まれる。
何もかも無知で生まれるのである。

であるから、
死んでも同じである。

生命は心であり、記憶である。すべてエネルギーである。
夢はその記憶の現象であり、思いの現象である。心の映像であるために、
現実の映像とは違う。
夢の世界の友人と、現実の友人は違う人である。
臨死体験で出会った知人は、夢と同じ現象の人。その人の記憶の人である。思いの人である。
そのために、同じ人ではない。
心の描いた人である。

「この世とあの世は、少しも変わらない世界である。
あの世もこの世と、少しも変わらない世界である。
この世は是によって即あの世となり、あの世も是によって即この世となる。
想いも行いも知識もまた同じである。そのようにして、輪廻していく。」
そう仏は訓えている。
どんなに二人の体を離れぬように結び付けて死んでも、一緒の世界にはいけないものとなっている。
その人それぞれの世界であるから。
それは、私の心が、あなたの心の世界に入れないのと同じことである。
あなたの心の中には私がいるし、私の心の中にはあなたがいるが、
共に、現実のあなたと私ではない。まったく同じ、少しも変わらないあなたと私であるが、
現実のあなたと私ではない。死して、現実のあなたと私は二度と会うことは無い。
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善悪無

2012-05-23 | Weblog
高度な技術を持ち、時間と空間を操り、
天空を駆け巡る知的生命体は、得てして平和主義者である。
覇者となりえる巧みな技術はまた、
自らを破壊する力を有するものであるために、
理性が優って感情的ではない。事務的な冷たさはあるが、
性格は正確である。ただ、道理を見て
どんなものにも相対するものがある。
彼らにも、善きしないものがいる。そのために、
パトロール隊なるものがいて、駆け巡り、秩序を維持している。
いつの世も、正義は道理であるために優る。
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異常な事態

2012-05-22 | Weblog
近頃、寒暖著しく自然に振り回されるも、すぐさま日常の安定に戻り異変を忘れる。
「のどもと過ぎれば・・・」であるために、異変の一時を忘れて、
わずかな安定が永遠であるような無防備に甘んじる。
時を忘れた頃、うろ覚えの中に
歪があざやかによみがえれば、時すでに遅く、備えなくしてなるようになる。
あぁ~、あの時、謙虚を備えてさえいれば、死ぬものの中にあっても死ぬことは無かったろうに・・・。
道理を見ても、まなこが無かったために見えていなかったと後悔。
後悔は先に立たずと知りながら。
人は、大した者とばかりにばかな者である。
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そんなとくがつまれる

2012-05-21 | Weblog
情けあるように過す。
路傍のひっそりした生き物にも目をやり、
生存競争に蠢いて、哀れにして情けなく時を行くもの達の世界もまた
人の世と少しも変わらないと慈しむ。
むやみに傷つけることなく、むやみに忌み嫌うことなく、
あなたも私も人の子、生きとし生けるもの命の子、
我が身に置き換えて、喜怒哀楽を思う。
悲喜交々至る。
憐れなる者として、ただ善行を修めると知る。
それは、自分の為となって徳となる。
誰のためではなく、自分の為に徳が積まれる。
人が見ているとかいないとかに
振り回されたりはしないものである。
徳が積まれるというのは、そのようなことである。
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ざわめく

2012-05-20 | Weblog
金環日食が見られるという。めっったに無いことがこの年に見られる。
何もかもが歪んできているために起こる現象なのかもしれない。
不吉な予兆として捉えられていたころは、
それほどの知識も無かったからと解釈もできるが、昔といえども、高度な天文学を有していた。ある時々において、
天空にめぐる星たちを正確に知っていたと、今もってして思われる。
その時の人たちは、眉を曇らせ戦いていた。天が怒っているのだと。
恐ろしいことが起こらなければよいのだがと、身をひそめながら
あれこれとなだめていた。

地球をめぐる外側と内側が、せわしくなっている。さまざまに異変と思われることが目に留まる。
現在の技術の粋を集めて作られた
この国の新たな電波等も開業する。日食のすぐ後にである。時を同じくするようにして。
不吉な時を知らせるかのように、私たちに何かを知らせる。
地球の外に内に、何も無かったかのように時を作るために、せわしなくざわめいている。
どうしてもあってはならない地獄絵が夢となりますようにと、知識あるものが
情けが通りますようにと・・・ざわめいている。
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死王

2012-05-18 | Weblog
地球に明日は必ずやって来るが、
私に、あなたに、明日という日がやってくるとは限らない。
それは、この世の明日という明日である。
私という生命には、あなたという生命には、
この世の明日は来ない日が来るが、あの世の明日、未来世の明日
という形の明日はやってくる。だから、ともかく
明日という日が来ないことは無い。
生命に明日がやってこないということが無いために、
どんな明日になるのかが気にかかる。
でも、どんな明日が来るのかを生命は選択できるのであるが、
無知のためにできないでいる。
得てして望まない明日に出会う。
それは、恐怖の明日である。
恐怖の明日というのは死の明日である。
死がすべての恐怖の元となっているためである。
死とは何なのかを知ることができれば、恐怖も消えていく。
来る明日に正しく対処できて、正しい明日がいつもやってくる。
恐怖の明日が来ることが無い。死王に遭うことが無い。
真に死王があなたを見ることが無い。
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大衆の心をみがくうた

2012-05-16 | Weblog
般若心経を正しく読み解けば、
最速で最強の守護神となる。
道理によってよくよく守られていくために、
あらゆる災いから逃れられていく。それも瞬間的に。
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