つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

あなた方の心次第

2020-04-30 | Weblog
これから一週間ほどの時の流れに、踏んだり蹴ったりとする不安が現れてくる。
そのもしもの現象は、数日の間には泣きっ面に蜂の遭遇となっている。
欺瞞の社会は、自業自得の果現象を示す。
欺きは相応以上の反応をもって現れる。痛みは多くを伴う仕方なさである。
だから、見えないものに蔑んではならない。
見ない、見ようとしないために見えなくなることに気づかなければならない。
法則は、善悪のない絶対善で動いている正義である。
自分の心、意識が正義を作る。だから、善悪は人の善悪であり法則にはない。
善悪が人の善悪であるために、転倒してしまえば、すべからく悪が正義となってしまい、
正すことができなくなっていく。間違った方向へと進んでいく。
今、欺きが蔓延して、当たり前となっている。そのために、
法則との摩擦となって、必然不都合が起こっている。
人の悪の進化、自業自得の果である。改まるには、
破壊と創造の道理、無常の常住による。
愛を失くしたための滅亡へとまっしぐら、一旦を介して再生となっている道理である。
消滅と再生は、エネルギーの表面である。裏面は常住にして、ただ静寂である。
寂滅為楽となっている。
エネルギーの法則を覚るなら、恐怖となることは無い。
全てが浄化の動きとなっているエネルギーの自由である。
正しい浄化となっていれば、的を得た対策となっていく。
その対策は、愛の方便。けっして偽ってはならない。
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道徳を学べ!

2020-04-30 | Weblog
昨日の新聞には未確認飛行物体が撮影されたとあった。
ひた隠しにしてきたufo映像を、ある意味ここで公に報道したのである。
知的生命体が宇宙には明らかに存在していて、劫の昔より地球上に現れているのは、
過去の報道を見てもわかるのであるが、自己中心的思考にある人々には、受け入れられないことである。
そのために、そんなことを語る人は、変人扱いされたり気違いとされていた。
そんな時代風潮が今尚根強よく残っている。
この宇宙には地球人だけであると、頑なに信じている人が多いのである。
まー、コンピューターが発達して、情報が瞬時に伝わるようになってきてからは、少しは
人類よりはるかに優れた生命体が、この宇宙には存在しているのではないかという人々が多くはなっている。
ただ、情報伝達が滑らかになってくると、それを悪用して、偽情報を発信し面白がる輩があらわれる。
どうしても、悪知恵の働く輩がいるのである。愉快犯がでてくるものである。

この世の中は、すべてに相反しての存在であり、拮抗しているのである。
そのために、情報に正しく受け取るという力を持たなければ、惑わされ振り回されてしまう。
見分ける力は、エネルギーの法則を知り、その法則を身に具えることである。そうすれば、正しく識することができていく。
法則の身に付いた判断、それが知恵の判断である。道理から得た経験の判断である。だから、誤りのない判断となっていく。
即断できていくために、瞬時の対応となっている。そしてそれは、一を知ることに由って十を知ることとなっていく。
そのために、正しく識していくことができていく。
道の徳となっている。道の理を知ることに由って、徳となるのである。だから、道徳ほど大事な教育は無い。

耳に入ってくる情報は、門に耳と書いて聞くとなっている。様々に入ってくるために、
ただ聞いたとして正しく識することができていかないために、すぐに忘れてしまう。
耳に徳と書く聴くという字は、その人が興味を持って身を入れて聴くために、耳が得をする、
つまり、聴いたことが身に付いて、その人の為になっていくから、耳が徳をするとして聴くと書いている。

567はコロナと語呂合わせで読むことができる。コロナは君という漢字にすることもできる。
分かるだろうか?666は三つの6でミロクと読むこともできる。369、宇を
構成する数字である。ミロクと読むこともできる。ミロクは救世主、弥勒菩薩とすることもできる。
困窮したときに現れてくるとされている救世主である。
空海が記した5億6千7百万年は計算違いではない。正し数字である。そして、
56億7千万年後に現れるは、地球の消滅の時の救済である。
遠い昔ニネベの丘に記されていた数字は、光の速度から割り出された彼等の記した数字である。
ぴたりと当たっている。
彼等の善悪の拮抗にいま、人類の心の在り方、その割合で選別の時となっている。
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369の諭し

2020-04-28 | Weblog
もう私達は無理だろう?
?が付いているのは、覚悟のあるものは除かれているために、
全てが理とならないというのではないためである。
覚悟のあるものは、文字を見てもわかるとうりである。
何を為して何を為さないという物事の道理を得ているために、
自然と正しい浄化の動きとなっている。
例えば、
咲き誇っている花をへし折って、自分の意のままにすることは身勝手、
慾のなにものでもない。
咲き誇っている花をそのままに、愛でることは正しい浄化の行為である。
それは、路傍の石をたおやかにして、何気なく見つめるようにしてある。
理に適い自分を束縛より解放する。

自己を中心にして思い巡るために、自然とちぐはぐとなっていく。
気持ちの融和が得られ無くなっていく。悉く間違った行為となってしまう。

生きとし生けるものに対して、わがままに振舞ってはいけない。
特に率先して攻撃してはならない。
悉く間違った行為をしているために、率先して攻撃を受けてしまう。
私達に覚悟が無ければ、ほぼ息絶えてしまう。
現象はそう未来を映す。
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愛をもって

2020-04-27 | Weblog
エネルギーの法則は、円運動の自由である。
そのために無くなることは無い。
運動であるために、ただ変化していく
変化は浄化作用である。消滅したのではない。
形を変えているだけである。だから、どこへ行ったというのでもなく、
かと言って、どこへも行っていないというのでもない。
全てが浄化の動きとなって変わっただけである。存在は、
減りもしないし増えもしない。浄く化けただけである。
それが進化という形であり正義である。その正義には善とか悪とかという別はない。
ただ正義となっているものであるための存在となっている。
善悪は人の善悪であり意識による。法則には善も悪も無い。
だから、絶対善となっている円運動の浄化である。進化である。
これが宇の意識、エネルギーである。唯一である。
その故、無二である。
一つの中に相対は無い。
これは存在たるものが、存在しないこととはどういうことかを考えることに
答えを出せないことと同じである。不可思議としてある。
簡単に言えば、無とは何かと問いに、答えることができないということ。
存在していることがすべて正義としてあるために、
意識に、悪を思わないこと、気としないことにその存在は消えていく。
どこかへ行ったというのでもなく、どこへも行かなかったというのでもないということである。
夢が本物を現象するように、かと言って夢は夢、本物ではないように、
自分の仮想現実である。
今、この世にある悪魔は、自分の意識の悪魔である。
意識が変われば(進化)すれば、正しい浄化となって、安堵の世界が開かれていく。
愛の意識を満たすことである。



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567と369

2020-04-26 | Weblog
コロナ(太陽)は創造と破壊である。
自然の本来の在り方に戻ろうとしている。
日の出と日の入りに合わせた在り方を創造と破壊にして、
常に浄化を保っている。
あるものが異常繁殖すると、自然淘汰され釣り合いを保つ。
浄化作用はエネルギーの法則である。
是は凡そ630万年地球時間で元に戻る。天の川銀河は、凡そ2億2680万年ほどで元に戻る。
地球環境は凡そ56億7千万年後に消滅を迎える。
コロナの破壊は、丁度5億6千7百万年に現れている。それは、
新世界秩序の確立をもって、現世界秩序の破壊を目的にしている。
凡そ80億の生命エネルギーは宇に散りばめられる。
そのために、人為的(知的生命体エネルギー)に操作された現象である。
ある意味、環境破壊という癌化した生命エネルギーの増殖によって、
地球の自然淘汰作用、浄化に由っての再生が促がされている。
周りを取り巻く八百万の神々は、世の道理をもって創造と破壊の相反で
しのぎあっている。
結局、浄化作用というのは、犠牲をもって洗われていく(きれいになっていく)ものである。
混沌から秩序が、そして、混沌として秩序となっていくことの繰り返しである。
存在という形あるものの摂理である。
この地上では、愛の意識の軽薄さが起因となって、567という数字に369が現れてくる。
2031年ころまでにと宇の意識は示す。
選択される意識は、愛ある意識である。浄土に選ばれる意識である。

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太陽光線七光り

2020-04-25 | Weblog
世界的経済社会の構造崩壊は、統一という目的を大前提に意図されたことであるために、
粛々と進んでいる。
ただ、ピラミッド型構造に変わりはなく、
もう少し簡単に速度をもって、隅々まで目配りができるように、という目論見、策略である。
これは単に、家畜化という鎖に繋がれた犬の自由というものである。
便利たるレールの上を走らせて、行き着く先は強制的な現象、否応なしに
意識を奪われる。君主の為に、すべてが奴隷とされるのである。
デジタル化する隷属である。
羅邪の太陽(コロナ)現る。世紀末の現象。
下らないもの(降らないもの)は変えられる。
一筋の光線は、心の愛、レーザーとなって、エネルギーの絶対性質、善に届く。
吾が心根の愛を信じることである。
その心の念いの力は、災いを転じて福と化す。


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品性下劣では回避ならず

2020-04-23 | Weblog
火事場泥棒的人達がいる。
皆が疲弊しているときに、利己主義的に儲けようとする輩がいるもので、
何とも卑しい限り。人の弱みにつけ込んで、巧みに足元を見てわがままにふるまう。
下劣な根性。品性下劣にして生きる価値はもうない。
ここに、病める時にして品性が現れてくる。
喜べる時も病める時も、変わらない愛情豊かになければならないのが人の本来である。
時に、病める時、
心の良し悪しがはっきりとなり、選別が為される。
天国行きと地獄行きとの別れ際である。だから、人は
苦しみの時こそが最も大事な重要な時なのである。
それこそ、前代未聞である危機に直面している今である。

自然というのは、善悪が無いための絶対善の動きとなっているために、
ここの部分が理解できなければ、間違った生き方をしてしまい、
自然から弾かれてしまう。つまり、生き方のやり直しお余儀なくされるのである。
それは、生死を繰り返すということである。
生死の繰り返しは苦のみである。この苦からしか幸せは探せないものとなっている。
だから、人生というのは、あまりにも大事な時の流れにあるのである。
正しく捉えて生きていかなければならない。
まぁ、品性下劣が往々にして見られるのは、人間社会の間違った進化をしている証拠であるために、
この社会崩壊の危機に直面して、覚悟をしていなければならない。
恐怖に戦き、大きな痛み、犠牲が伴うのは、醜い心の自業自得と覚悟をすることである。
愛は、現状回避、痛みを最小限にとどめる為の最も効果的な対策である。



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作られた(反応)

2020-04-21 | Weblog
普通の顕微鏡では見えないほど微細な存在は、空間を漂う。
小さな隙間、人の眼には塞がっているように見えても、
彼等には大きな空間である。
風に泳いで、妨げとなるものをいとも簡単にすりぬける。
進化は、存在の知恵を持ち、本能で維持する。
滅びぬように次世代に繋いでいく。
種の保存は、学習して存在を現す。時に応じて
そう反応した。すべて意識の為す技である。
人に、曖昧なる心があるように、
濾過性病原体は、意識と言う曖昧な存在である。
曖昧なるものが曖昧なるものを探ることは難しい。
私達は、曖昧を捨てて賢くならなければならない。
意識明瞭でなくては、翻弄されて操られるだけである。
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自然の摂理

2020-04-19 | Weblog
病の気というのは、思いの行為によって現れる。
自然に沿って生きていればよいのだが、
自然に逆らって生きていれば弊害が出てくる。
自身にも周囲にもいろいろ起こってくる。
例えば、季節に応じた植物は、その季節に合った果実を生む。
食物を生む。
夏には体を冷やす実がなり、冬には体を温める実を付ける。
季節に応じた食べ物を食すことに由って、よく身体を育む。
自然は、夏に冬の実をつけることは無い。冬に夏の実を生むことは無い。
人は、自然に逆らって、冬に夏の実を作らせて、夏に冬の実を成らせる。
そうして、季節感を失わせて、一年中季節の実を食すことをできるようにしている。
それは、好ましくあるように見えて、好ましくはないことであるために、
気は病んでいく。つまり、病気になっていくのである。
自然に合わせて生きていれば、自然治癒力を得られていくものとなっている。




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覚悟をしてさえいれば(身構える)・・・

2020-04-18 | Weblog
社会に寄与しない底辺層には、
必要最低限のものだけが与えられて、大抵は無視とし、
生かさず殺さずであったが、
いよいよ世界人口80億に迫ろうとするために、淘汰現象が企てられた。
地上で、ある種の生物の異常繁殖となれば、生態系全体が崩れていくために、
均衡を保つ力が働く。その種に集団自殺行為現象が起こる。
どんな形であれ、四分の一ほどになるまでそれは繰り返されていく。
企みは、その一つの発端行為となるが、自然に由るものである。
故に、自由であるための起動行為となっている。この自由は、人の悪たる思いからくる。
天候の異状、地の揺れ、災害の強大化は人工的要因を元に起こってくる。
だから、企みなのである。
お山の大将は、人の心に誰でもあり、
幼稚にしての大人となったために、引き起こされる非情にして非常な状態となる。
これを正すには、愛、慈しむ気のみである。
生き残る人は、心根の良つまり、根性の愛の多さ、意地の「優」にある。
意地汚ければ、どんなこともしても、どんな盾をもってしても守られることは無い。
逆に意地が善ければ、何をしなくとも自然と守られる者となっている。
もちろん、社会に寄与しない底辺層は、裕福でありながら分け与えることをしない、
私利私欲にあるずるの付く賢い人も含まれている。
心の良し悪しによって、今はっきりと選り分けられていく。
これから起こってくることは、現代人の経験したことのない荒唐無稽である。
ただ翻弄されて、死ぬものは死に、生き残るものは生き残るにある。


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