愛情をもっているために、愛するものをつくらない。
それは、真に愛する者である為に見出す面持である。
つらい思いをすれば
自分だけにとどめて、
他に同様の思いはさせないようにする。
つらい思いをして、
心が歪んで、他に同様の仕打ちをする。
同じ辛い苦しみを味わいながら、正反対の心持ちがある。
その質の良し悪しにあり、格というものの違いがある。
自由というのは是の本質である。
その自由にして、良し悪しを分けるのも自由であるために、
是に沿ってその性質を得ることである。
是は浄化の法則となっている。それは何も無いというゼロの容となるための、
‘きれい’ということであり、分別のないものである。
無記というものであり、無垢というものである。
そのための浄であり、清浄となっている自由である。
それが自由である。故に、
善悪というものは無く、常に繰り返すという事の分別となっている。
正しい浄化というのは変な言い方であるが、
間違った浄化としないことが「格」に繋がっていく。致良知にして
格物致知ということである。
是は、日の廻りが正しいとして、太陽の運行を示す言葉である。
その太陽の運行が絶対であり不変である為の法則となっている。
故に、無くなることのない法則となっていて、宇宙のエネルギーの法則となっている。
この一事が万事であり、全てに通じている法則である。
この法則の下の存在というのが物事であり事物である。
この法則は唯一であり無二である。
繰り返すことが正しいとして絶対となるために、
誤った繰り返しをすることで誤りが正しいとなって行く。
何が誤りで何が誤りでないのかが分からなければ、
地獄も正しいとなってしまうのである。
同化してしまうというのは気が付かなくなってしまうことでもある。
「あいつはどうかしてるよ?」と言われないように、常に反省して生きることは大事である。
それぞれには波長があり、波長が合えば気持ち良いものである。
清浄という是の持つ波長に合わせて生きていくことで、生き苦しくなくなっていく。
己の心の性根を正すことが肝要である。
是は回るという事である。それは、返ってくるということでもある。
そのことをよく心得して「行為」とすることである。