夢に現れてくる世界は過去の世界である。実際に連綿とつながってきた魂の経験の世界である。見たこともない世界が現れるのは、過去世の経験の想いの世界である。
未来が夢として現れたりするのは、願望や不安が強く意識され判断となってくるためである。
未来は常に不定であるために、実際に未来が夢となることはない。
経験しないことは曖昧で分からないのが理である。
強く意識されたことが判断となって、
そのように動かされてしまうための予められる未来である。
心というのは生命である。生滅を繰り返してきた経験の積み重ねが統一されて、容造られていく。その中で、善く判断となって身についていけば、大きく白く輝いた生き生きとしたオーブ(玉響)となっていく。それは、善いために周りにも良い。まちがって判断となっていけば、小さくくすんで生気がない。それは、誤りであるために周りにもよくない。
よく道理に学び道理を得た経験は智慧となって身に付く。智慧が身に備わっていけば、
道理を知ることができるために、その先が予められていく。前が見えてくるのである。
その意味で、まだ経験しないことが知れてくる。未来を見るという。
道の理というのは一本の筋である。先が知れれば後が知れてくるものとなっている。
大は小を兼ねて、小も大を兼ねているために、どちらかをもってして互いを知ることができるように、道理というのはすべてに通じる。
あなたが、怖い夢を見るとするなら、過去も現在もそして未来も地獄となっている。
うそをつくことは悪い事である。その一つを知って十を知る。それを
正しく知らなければ、うそも方便を知ることがなく、害うばかりである。