つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

最後に愛は勝つ・すべての

2023-01-30 | Weblog
夜が明ける少し前が最も暗いのである。
春が来る少し前が最も寒いのである。
およそほとんどの事にこの道理は当てはまる。
明るくなる前のうす暗さと、事が良くなる前(改善)していく少し前は、
心身ともに寒々と感じるのである。つまり、傾向として滅入ってしまうのだが、
絶望に至ることなく、今までにない高揚な状況になる。各各士気高揚となって、
滅入る者に良好な状態になるのである。今まで生きていてよかったとしみじみ思うことになる。
人生は善き者に、必ず素敵を授ける。
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奇跡現る

2023-01-28 | Weblog
一年の内で2月が一番寒い。
だが3月ともなれば暖かくなってくる。必然にして
淡くかわいくも花が咲く。誰にも同じくそれは示される。
見る人見つめる人、見られることなく見る人の
まなこに映る花々は、どれもこれもにぎやかである。
香りに映る面影は、今までにない香しさ。
堪えがたきを耐え忍び、生き永らえた人々の僅かな命の残り火は、
千年万年に値して、代えがたい満足に浸る。
はじめて、命の歴史に”為せば成る”の軌跡を刻む
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記憶は無くならない

2023-01-26 | Weblog
今の世の中の状況はすべて記録されている。
録画されているのである。それは改竄されてしまうことは無い。
消滅してしまう事もない。歴然たる証拠として保存されている。
過ぎてしまったことをあれこれ弁明しても無理となっている。
だから、覚悟して物事に当たることである。安易に歪な事と知りながら、現状に振り回されて
そこに靡いてはいけない。後悔は先には立たないのであるから。
今だけ、金だけ、自分だけ、の思考はそれこそ自分を虐げる。
だけど、ほとんどはそこに靡かされる。なぜか?
それは、金融社会の構造、偽善にして教育された社会構築の完成となっているからである。
税=「みつぎもの」の意。
これを常識として群れで生きる者に課した制度を正義とした洗脳教育を作り上げた。
これから抜け出ることができない思考によって、ほぼ完璧に信じてやまない。
正義とは正しい義(意味)としての道理。悪にも善にも当てはまる存在の意味である。
この地球という惑星は、ドロドロたる溶岩の海の上に置かれている。その不安定さに誰も気が付かず、
地上は永遠であると信じている。時に、「昔」を調べるなら、時の流れの波長に目をやるも、
気づくことがなおざりになり、ただ過ちにおたおたすることを繰り返す。
何度転生して気づくことだろう?おそらく、いまだ難しい!
人それぞれに、相当の転生の上ここにいるのだろう。ただ、不思議なことにそこに気づく者、
稀なる暁の時を迎えていることを覚える。見る。そして記憶する。
それは無くすことのない記憶である。
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幸不幸どちらも求めないと幸

2023-01-24 | Weblog
自分の嫌いなところを見ない。自分の好きなところを見る。
自分を信じる。得てして自分に迷い、嫌いになったりするが、それでも自分は自分であるため、
自分を否定してはならない。善い面悪い面があっての存在なのだから、善い面を伸ばせばよい。
極力悪い面を気としないことである。気にすれば、それが活き活きとなって自分を苦しめる。
何でも気にすれば気にするほどそれが活き活きとなってしまうために、いやな面は気にしないことが肝要である。
忘れることだ。善い面、善いことにシフトする。そしてそれを気とすれば、善い面善いことが活き活きとなって、
自身に好ましい状態となっていく。
簡単な事なのだが、普通としてなかなかできないのが(不通)の人、凡人なのだ。
自分は違うと思うなら、「気」とすることの善し悪しを分けることである。
何事も自身の選択に係るのである。得てしてそれが分からない。
例えて、幸も不幸も共にある。決して離れてあるわけではない。いつも共に手をつないであるのだ。
誰しも幸福になりたいと思うも不幸に傾くのは、思考の選択が間違っているからだ。
幸福になりたいのだから、不幸も受け入れてこそなれるが、究極の選択にはどちらも受け入れなければ、
これ程幸福なことは無い。と心得ることである。
起伏のないことが最も幸せな事。だから、極楽(天国)には起伏は無く、ただまっ平であるという。
全てが見渡せて、行く先々すべてが見渡せるのである。
何事もないのが普通と言い、一番良いことなのだ、幸せな事なのだ・と知るべし!
つまらないと思うな。思った瞬間から苦しむばかりなり。
起伏、激しく糾う縄のごとし=やすまることなし。
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有終の美

2023-01-21 | Weblog
肉体的な現実の話をしよう。
物質的にとらわれている魂は、その器の中で精神的思考にシフトしても、
器の中のことである。物質的思考から飛び出ることはできない。
肉体の終わりを受ける時の一瞬にして気づくが、ほとんどはそれまでである。
気づいた後の気づきの続行が物質的思考の器を突き破る。それはあまりにも稀であるが、
無いわけではない。思考次第である。この思考を直感としての瞬きとするなら、
簡単を得る。「考えることなく」とする感覚を身につけられるなら、稀という事は無い。
普通にできることとなる。
ここで肉体的な現実に戻せば、直感の感情、そこにいま、荒唐無稽とした幻想を、
まぎれもない本物であるとする感覚を信じれるなら、量子的波動の下自由自在を得る。
これから起こる出来事に、あり得ないとした映像を確認できる。自身の見る目に映る現象は、
自身の好ましい現象である。春満開の季節の中で、驚愕している自身の姿。そしてまた、
優しい人達の喜びの姿である。
堪え難きを耐え、忍び難きを忍んできた無力の優しい人達の姿である。
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三寒四温

2023-01-20 | Weblog
さぁ春が近づいてきた。
三寒四温であるが、春はもうそこまで。
私達はÝ字路に差し掛かる。一方は朗報、一方は悲報となっているが、
朗報はやがて悲報に変わるが、その間約10年。
悲報はやがて朗報となるが、その間数万年要する。
三寒四温のようにうねるが、
これはどちらにしても一旦というリセットの起動。是なる法則の浄化に由ることである。
エネルギーの法則は浄化である。一旦ゼロに帰すという道理であるために避けられないことである。
それはおよそ2万年ごとに繰り返されるが、地上にあふれる生物の善し悪しの波動も関わるために、
早くなったり遅くなったりはする。が、人類の肉体的時間においては、差というのは無い。
それは、子供のころに見た月と、6・70年たった後の月とが変わらない月としてあるように、
空の時間には差は無い。
もし、ここで魂の感覚で眺められたなら、劫の時を経ても、違いを見つけることができるだろう。
私達は瞬時に生きている。が、劫の時にも生きている。心念で生きる人は、
新たなる時を今受けようとしている。朗報という時を受ける。
僅かな違いの差を見極めて、朗報へと歩む。
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肉体という物質

2023-01-19 | Weblog
炭素構造でできている肉体は、6・6・6の原子である。
陽子の数は6つ、プラスの電荷をもつ。その陽子の数とマイナスの電荷をもと電子とは同数。
違う数を持つのが中性子、電荷をもたない。そのため、中性子の数と陽子の数の組み合わせですべての物質が作られている。
陽子の数ガが大きくなれば安定性に欠けてくる。お互いをつなぎ留めておく電磁力が近場にしか及ばなくなる。
そのために炭素構造である肉体は腐敗しやすい。およそ120年から150年であるが、現その半分ほどで人生を終える。炭素、
腐敗し悪臭を放ち変化が速いために、それが悪魔的数字と言われる。
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次元上昇

2023-01-18 | Weblog
環状帯状エネルギーを通って意識が見た世界は、わずかほんの少し前に進んだ時間世界だった。
桜の花吹雪舞い散る景色、ぽかぽかとして明るかった。
戦争は終わっていた。国境はどこにも併合されてはいなかった。
記憶はただ明るかった。
世界にはお金があふれていて有り余っていたが、物が追い付いていなかった。
お金は意味をなさないものとなっていた。
そのため、愛情という感情が主流となっていた。
意識の高揚は志氣にあった。
それぞれにそれぞれの志氣に称賛があり、優劣などどこにもなかった。
自らに由る志は平等であった。この時に意識の次元上昇を確認した。
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虚が暴かれる

2023-01-15 | Weblog
(受)
あなた方の科学、その思考は間違った思考に向かっている。
そのため、虚の世界が現れている。その現実を疑いもなく信じている。
なので、虚の現実は仮想世界と混同してもはや惑わされっぱなしである。
どこに行くべきかを正しく判断できないでいる。これは、「私は何も知らないという」ことによっての
宛をつくり、目的という方向性をみいだすことの迷いである。
あなた方はすべてを知っていて存在の意味を失ったが、何のためにいるのかあるのかを気づくことが無く、
全知の克服のために忘れることのゲームを思いつき、その罠にはまってしまった。
それは、ただ思い出せばよいだけのことなのだが、全知のために完ぺきだった。
存在の道理、その道徳さえ忘れて、誤った方向性に歩き出し、探しに出かけた。目的である。
探せど探せど「虚」の世界には真実さえ虚に映る。
一旦考えることをやめて、なにもかもゼロにしなければと思いついた。
元に戻したゼロの思考、そこから実のある世界が現れた。.目標は道徳である。
道理には善も悪もないが正義があるために存在している。その正義は自由である。
自らに由るというエネルギー。他に関わるも関わらないも自らに由る思考エネルギー。
実のある思考にしなければならない。その目標道徳を知れば、道理は実のある事となって自然と沿う。
虚の世界は、粛々と自身に好ましくなってくる。実となって現れてくる。

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ものの考え方次第を高める

2023-01-14 | Weblog
(受)
どんなに優れていても、あなた方は地を這うものである。たとえ、船を作り空を飛んでは見ても、
重い大気の中に縛られていて、そこから抜け出すことはできない。宇宙という虚空の彼方へ、
行くことはできない。一見頑丈そうに見えても、とても脆弱な体に宿っているためである。
宇宙は瞬時にしてあなた方を分解してしまう。しかし、宿る意識が物理的で無いならば、
恐怖という事は存在しない。
生命エネルギーである魂は形あるものではない。物理的支配より離れてあるが、物理的肉体を介して、
道理を学び、精神的な心さへ肉体に同化して、物理的支配下におかれて致命的な制約を受けている。
魂は心であり形あるものではない。制約を受けずに存在している。存在の理由は、「在る」とする意識、
心の思いである。その思考によって現れてくる世界である。それはまた、幻であるとする現実である。
そのことに気づかない限り、気づく思考と相まって違う世界が現れる。
思い道理にいかないのは、物理的思考から離れられないためである。。。。。
量子という微たる気づきを諦める(明らかに見る)ということに、思いを馳せたなら、
何事にも制約のない現をみる。それを自由自在という。
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