つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

優美というもの

2017-09-28 | Weblog
学識豊かでも道徳がなくては無理。
道徳こそ人格向上の必須。
道徳教育こそ要である。必要である。
人の道というのは、慎ましくあらねばならない。
思いやりを持ち、
謙虚、謙遜、献身、質素であること。
ボロボロだけど清潔であること。
清楚となる。
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金の切れ目は命の切れ目

2017-09-27 | Weblog
急きょ選挙、この費用に約6百数十億円かかるという。
年老いて働けなくなっても、
年金は減らされつづけて、生活不安が募る一方なのに、
このお金の使い道がもったいない。
政治家の為の利己的選挙、国民の為とは甚だ空々しいものだ。
道徳に欠けている学歴の高い人達が政治をしているのだもの、
狡賢い政策ばかり、前後左右真っ暗闇世。
先進国において
他に例を見ないほど高齢化社会となっているというのに、
生活苦で生きていくのもつらいものがある。
何がめでたい敬老だ。
金、金、金があれば、年寄りの健康維持も期待が持てるが、
税金だ健康保険料だ、医療費に介護費用だと、老骨に鞭を打って
働かざるを得ない状況必須となってきている。
なんだかんだと生きていれば金が
かかって、金の切れ目は命の切れ目というところかな。


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辻褄は合うものである

2017-09-25 | Weblog
善いものにはよいものが集まり、
悪いものには悪いものが集まる。
これは世の道理である。
汚いところにはきたないものが集まり、
綺麗なところにはきれいなものが集まる。
結局のところ、
受け取る愛情は与えた愛情に等しい。
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無理=無茶苦茶

2017-09-24 | Weblog
「無理が通れば道理がひっこむ」
むちゃくちゃというのは、その道の理がないということだから、
道の徳もない。
徳がなければ総てが報われることもないものである。
道理がひっこむというのは、成り立たなくなるということである。
無理なことである。
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悪用

2017-09-23 | Weblog
「先んずれば人を制す」を悪用してはいけない。
悪知恵を働かせて、「我先に」と取り付いても、
結局のところ
悪知恵は、
とどのつまりとなるのである。

下心は、何もかも不結果を伴うものである。
何事も悪く用いてはならないのが道理である。
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不満は爆発するものだ

2017-09-22 | Weblog
戦争は起こる。
間違いだらけの世の中に、
間違いなく起こるのが戦争。
間違いだらけの世の中だから、起こるのは戦争である。
互いに戦きながら争うのである。
だから、どちらが勝っても敗者に違いない。
間もなく違いなく起こる。
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優しいはすべてにおいて勝

2017-09-20 | Weblog
人間ができていない人が多いために、
人間関係がうまくいかない。
人間関係ほど難しいものはない。

憂いというのは、とても大事である。
憂える人ほど優しい人である。だから、
人が憂えると書いて優しいと読み、優れるとも読まれる。
心配するというのは、心を配れるということであるから、心を配れる人というのは、
思いやりのある人であり、とっても優れた人ということである。
そんな人といるのは楽しいものである。
苦しいことも何のその。

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何もないということのきれいさ

2017-09-19 | Weblog
ゼロ地点、それが夜と朝の間の束の間。
一瞬であり瞬時という。
限りなく終わりに近く、限りなく始まりに近いという曖昧の間である。
両性具有の間ということになる。それだから、
いつの間にか夜は朝になって、新たな一日が始まる。
「新た」であるために、昨日は一新されて今日という一日になる。
同じ一日ではあるが、字も違い、読み方も違ってくるように、全く違う一日となっていくのである。
昨日は浄化されて、何もないというきれいさっぱりとした一日となり、今日という日となって始まっていくのである。
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ゼロ地点が浄化の完了

2017-09-18 | Weblog
平和であることは何より大事なこと、
有り難いこと、
有り難いことであるために、平和を維持していくことはまことに
難しいことである。難しいことであるが、
知能優秀なる人間であるから、
過去を振り返って、戦争という過ちを繰り返さないことである。

繰り返すことがエネルギーの法則、道理であるために、
繰り返すことで絶対となり正義となる。それが善となる。
だから、誤ったことの繰り返しは、誤った浄化となり、
絶対善となる。
悪が善となれば、対立するものであるために、
善が悪となりすべてが転倒した世界となって悪だらけの世界となる。
これが正義となるために、真実に気づくことは無くなってしまう。
エネルギーの法則に善悪は無いというのはそういうことである。
ただ繰り返すことであたりまえとなり、
正義となり善となるのである。

自由がエネルギーの根本性質であり正義である。その性質の良し悪しが格である。
性格の悪さは苦となり、性格の良さは楽となる。
苦と楽は地獄と天国となる。格段の違いとなる。
そのどちらを選択するも自由である。だから、
間違った選択をしてはならない。間違えたなら気が付いて
繰り返さないことである。正していくこと。
そうして、正しいことを繰り返していくことで真実の正義となる。
善悪の無いための絶対善となるのである。
エネルギーの法則の真実である。




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取りも直さず

2017-09-17 | Weblog
日本の社会は格差がどんどん大きくなって、
貧困にあえぐ人たちが大勢となってきた。
一握りの富裕層のための社会構造は、金銭の奴隷にほかならない。
経済大国は必ずしも幸せな国ではなく、人間の醜さを露にしだしている。
欲しがるものは、もっともっとと足ることを覚えず、分け与えることをしなくなる。
その顛末は、餓鬼の世界へまっしぐら。
貧富共々となっている。
貧困層は、死なば諸共を知っていて、内心哀しくもほくそ笑む。
暴力に走るもの、卑下するもの、高慢ちきになるもの、
際立って現れて
何が起きても致し方ない状況となってきた。
更にさらに混とんとして行き、諸共倒れる様を見る。

核の威力は、一度目神々が使い、二度目神々の代理にて人が使い、
三度目神に誘導されて人に神が使い、一掃を図らむ。

人が、AIを作り上げて、やがて脅威となることを危惧しながらも、
進化を止められないように、作りしものに滅ぼされる。

とりもなおさず、人は神に似せて作られしものである。
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