つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

正しい思い

2019-01-30 | Weblog
エネルギーの法則に善悪は無い。
善悪は無いために、絶対善の動きとなっていることに気が付くことである。
善がなければ悪もない。この「悪がない」ことを知ることである。

悪がないということは・・・と思いつくことである。

幸福と不幸、どちらも受け付けない。

これが理である。利となる。
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死への正しい思い

2019-01-29 | Weblog
恐れがあるのは、本来あってはならないからである。
あってはならないのが本来の在り方であるために悩む。
恐れが何から起こってくるのかを知るなら解決できていく。

すべての恐れは、死が原因である。
死が恐怖となっているために、死を理解することによって恐怖をなくすことができていく。
生命が死を絶対条件にしてあるために、生イコール死と考えていけば、
生命は死ぬために生まれてくることがわかってくる。つまり、死後の世界こそが
生命の真実の世界なのである。その世界を恐怖とすることないようにするために、生命は肉体を持って
この世で活動していく。生命には死が無いために、肉体の消滅後の世界こそが生命の本来の生きていく世界なのである。
その世界を幸福とするか不幸とするかを決めているのが、肉体をもって活動しているこの世の時なのである。
死というのは肉体の消滅という変化で、生命そのものの存在の明確さを得るためにあり、その存在が幸福なのか不幸なのかを決定していくための
在り方に過ぎず、生命そのものが無になる、すべてが無くなってしまうということではない。
変化していくことであり、そのために生命に希望があるのである。
生命は連綿である。
生き方が間違って死んで行っても、生命は輪廻していく。そうして生まれ変わった時に、
過去に気づき、今度こそ誤りのない生き方をしていくことができる機会を得ていく。
それはたやすいことではない。苦しいことだらけであるが、苦しみの中から喜びが生まれてくるのであるから、
このチャンスを活かして生きることである。
だから、肉体の死が生命の希望となっていくことでもある。
恐怖としていくか希望として行くかは自業自得である。
思いをポジティブに!

この世に於いて、私たちは無を正しく理解していない。
存在がすべてであり、無は存在の中にはない。
ただ変化していったものを無くなったとしているだけである。人の常識として、死が生命の無くなることであると
考えているために恐怖となってくる。初めから無になるなら生きる意味もなく、
生まれてくること事態に意味を持たなくなってしまう。
存在には意味があるために存在しているもので、意味のない存在というのは無い。
人の常識を取っ払って思い直してみることである。
死は、生命の無くなることではなく、恐怖となるものでもなく、また、生まれ変わって
誤りを正せる、無知を克服していくことのできる希望となるものであることを思うことである。

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嘘と本当

2019-01-27 | Weblog
どんなに優れたものでも高額であってはいきわたらない。
資本主義社会は、お金がなければ役には立たない。
この世の中はお金で縛られていて、お金の奴隷社会である。
もって、集金能力のあるエリートと呼ばれる者達の支配社会である。
彼等は傲慢と偏見をもち、愛は偽善にある。
お金が愛でありすべてであると考える。
世の中は、ほぼ彼らの思い通りに展開するが、ほぼであり完ぺきではない。
完璧でないために、不安があり恐れがある。
完璧でないことがエリート達の真実である。

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中世不易

2019-01-26 | Weblog
以心伝心、
心はエネルギーであるために、ある周波数をもって受送信を得る。
θ波、α波の4~13にある波動数は宇宙の波動数7~8に合わせることによって、
自在を得る。観音力はこの波動に同調することによっての異次元力。
自由を司る。私たちが思う超常現象は頂上の力、自ラニ由ル力である。
心を精げることで叶う。
.5は中庸。要である。
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急がば回れの道の利

2019-01-25 | Weblog
想像は明るく持って未来を描く。
自分を操縦していくのは自分だけである。
だから、周りに振り回されることなく、自分の心と対話して、
自分の心にある邪な気持ちを制御すること。すべてに勝つにはこの方法しかない。
悪魔は心地よく囁くもので、楽な方楽な方へともっともらしく導くものである。
階段とエスカレーターがあったら迷わず階段を行け。
これこそ自己に頼れ、足があって歩けることは幸いである。
その幸いを受け取ることである。素直に受け取ることである。
自分の気持ち(性悪)にまけるな!自分の気持ち(性善)に従え!
自分の自由がこれからを作る。一歩一歩とわずかに見えるが、
日時があっという間に過ぎ去るように、今の一歩が瞬く間に千歩万歩の力となっている。

その時、手難いものが手に易々となっている。
想像は大事である。明るく明るく想像することに、
知らず知らずに行動は付いていく。


人は心に付き従うものであるから、今の行動が心の質。


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事の顛末

2019-01-24 | Weblog
暗いニュースばかりの社会、マスメディアの影響は多大で、
悲しいニュース(自殺、虐待、いじめ等等々)は連鎖を誘発するために、
できるだけ簡素にしか伝えない。
日本では自殺は近年3万人弱となっているが、実際は十万人は優に超えているといわれる。
これも統計の仕方が曖昧であるために、実際の数字とは大きくかけ離れていると思われる。
人生希望が持てずに悲観し厭世観が募り、勇気ではない狂気が勝って悲惨な死を遂げている人の
なんと多いことか。ほぼ毎日のように鉄道人身事故が簡素に報道される。
それでも自殺は減りつつあると数字は示す。

経済の済は助け救うという意味を持っている。
経済は経国済民、いわゆる国を治め人民の生活苦を救う意と辞書にある。
なのにどうだろう、今の社会は政治を行うものの立場が優先し、税金から年収数千万の給料をもらいながら、
あれやこれやと補助金だの手当てだのと優遇されていても、
身銭はなるべく切らずに、何かとごまかして私腹を肥やす始末。近年の浅ましい報道は、
人間不信を抱かずにはいられない。
金と灰皿はたまればたまるほど汚くなるといわれるが、まさにその通りだ。
国民は酷民、税金は酷税と揶揄するだけで、隷属に伏するだけである。

海外からは、経済大国であり裕福でありながら貧困国と揶揄される。この国の民は、
すっかり洗脳されて牙をむくことは無い。
大衆はバカだから、馬耳東風でいればいいと、エリートは言わずとも態度で示す。

さて、昔も今も相変わらず、人類の進化は悪の進化となっている。
この悪の進化で作られているのが人工知能、AIである。
自ら学習していくために、はるかに人間の思考を凌いで人に便利を与えるが、
心が無いために意識をはかれない。悪は悪につながっているために、
災いとなってくる。
食べてはならないリンゴをかじったアダムとイブのように、
事の顛末は知っての通りである。
ここ数年で、あまりにも脅威となるだろう。





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経世済民(催眠)国?

2019-01-23 | Weblog
国民年金、月6万5千円ほどでどうやって暮らしていけるというのか?

持ち家であれば固定資産税を取られ、借家であれば賃貸料がかかる。
ガス、水道、電気、電話、新聞、衣食住の
必要最低限の文化的生活は、金がないとできない。
健康であっても健康保険税はかかり、医者いかかれば三割の負担はかかる。
とにかく生きていれば金はかかる。取られたくなければ早く死んでしまうことが最善と言わんばかりの社会。
経済社会では当たり前のことなのだが、日本国生きていけるというのは、金次第。
一億総活躍社会というのは、騙し言葉であることはみんな知っている。
年金制度が破綻している状態であるための、苦肉の言葉選び。
少しでも動けるものは働けということである。
スーパーボランティアなる人はいるにはいるが稀の稀。
得てして、生活の為が大半で、老骨に鞭を打って働き、健康を害し患って死ぬのが現状の日本。
大いに死んで行っても、産むに産めないのは、また金がかかりすぎるための社会。
そうして、どんどん人口は減って、国勢は弱くなる。

世界人口統制を目論むものの試験国としては、的確に現象となっている。

すべての隷属は苦であると仏は言う。




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再起動へ希望とする

2019-01-22 | Weblog
経世済民であるのだから、経済によって国民が救われていかなければならないのだが、
どうだろう?国民は生活苦にあり、一部の人達を除いては生き苦しい社会が築かれている。
一部の人達というのは政治に携わっている人達、それらに群がる人たち、
利己的にある人たちである。表向きは人民の為と言いながら、ほとんど利己的にあるものたちで
社会は作られている。
利己主義に長けているものは貪欲にあるために、他人を平気で蹴飛ばして生きる。
騙して生きる。騙される方が悪いと言わんばかりである。
得てしてそういうものが裕福であるのは、人間社会が間違った道を進んでいるに他ならない。
弱肉強食が人間社会だ。人間は知的にあれども、欲望が勝ってしまって
ひたすら滅亡の進化となっている。

これからさらなる天変地異が起こるだろうが、人間の悪の進化に起因する。
人間は、地球のがん細胞である。
地球は自然治癒力で癌細胞を淘汰する。
一旦すべてをクリアーにして、再起動する。

エネルギーの法則のサイクルである。



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愛と希望と性善の力

2019-01-20 | Weblog
善悪のないための絶対善のエネルギーが秩序として動き始めた。
自由とはエネルギーの性質であるために、善悪のない故の善に戻り始めている。
弾圧を潜り抜けて、ようやく自由なるエネルギーを身につけることができてきた。
解放は必然であるのだが、陰謀によってなされてきた隷属への陰鬱な支配は、
巧妙だったが故に、なかなか解けずにいたが、逆手にとって今また毒リンゴを食べ始めた。

いよいよ隷属への崩壊が始まった。幼児が正しい親の下で正しい教育を受けることによって
目覚めるように、なにが間違って何が正しいのかをようやく分別できるようになってきた。
エネルギーが自由であるために、隷属は不自由であることに気が付く。
自由は平等であるのだが、自由が故に、正しく自由の意味を理解しなくては、
鎖につながれた犬の不幸を幸福と誤解してしまう。
一時、鎖を離れた犬が飢えに出遭い迷えるが、やがて凌げて一人で生きていける自由を手に入れる。
本能はエネルギーの自由であるために、本能に帰す。
自由は、如何なる力に於いても阻止することはできない。
巧妙に仕組まれた束縛は、知恵に由って解けてきた。知恵は過去の過ちを学習して、
修復に入った。
そこに格差は無い。共存と共栄だけである。
フリーエネルギーの確立は、弾圧をはねのける。
抵抗の痛みは伴えども
ここ数年の間劇的に未来は開かれる。

人の脳、まず右を見て左を見て右を見る。
正しいしぐさである。

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不可思議も自由

2019-01-18 | Weblog
明日が来なかったということがなかったように、
未来永劫明日はやってくる。
56億7千万年後に地球が無くなっても、宇宙には変わりなく明日はやってくる。
そして、私達という生命も生きている。
生命は宇宙のエネルギーでできているために永遠である。
生命になぜ死がないのかは、宇宙のエネルギーが円運動であるために、
常にゼロに戻り繰り返すためである。それが、
止まることのない動きである。始まりが終わりとなり、終わりが始まりとなってただ回る。
永遠にである。止める、或いは止まる存在は無い。
それは、存在だからである。存在がエネルギー、エネルギーの存在がすべて。
回るための変化が無常を生み、運動の無いところには時空がない。それが、
ゼロポイント。

大なり小なりゼロなる点であるために、どんなに離れていても瞬時繋がっている。
大きいものが小さいものであり、小さいものが大きいものである為に、同時という
現象を得る。これは、自分という意思が想像として創造するもので、
エネルギーが自由意思そのものであるために、理解できれば不思議を操れる。自由に!

ちんぷんかんぷんと思われるが、常識に囚われていては不能となる。

光から光を発しても、光は同じ速さで離れていくものである。
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