つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

天気の予報は浄化にある

2022-07-30 | Weblog
過去にも書いたが、本当に邪心な者はいるものだ。
どうしてこうも悪事が平気でできるのか私にはわからない。
おそらく低能の限り、無知にしての極みなのだと思う。
甚だ、何も知らないという事は哀しいことである。
短絡的という事が洗脳される過程で身につくのだろう。
実に教育というのは、間違えば恐ろしいことである。
昔、アメリカの大統領であった人、第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・Ð・ルーズベルトは言う。
「世界的な事件は偶然に起こることは決してない。そうなるように前もって仕組まれていた。・・・・
私はあなたに賭けてもよい。」

必ずしも
政府は悪いことはしない?には疑問符が付く社会でもある。

洗脳教育された国民(酷民)は、結局自分たちを苦しめるための政治を行う人を選挙で選ぶ。
(選ばされる)とでも言ったほうが当てはまるだろう。
選ばれた人たちは弁舌であり高等学歴を有している。だから、ある意味悪知恵も働く。
国民の為と言いながら、自分たちの生活優先のために願いをする。だから、選挙では必死の覚悟で当たる。
当選したとたん自分たちの生活は安定、資産は増える。そのような法律を作る。
国民には批判を極力避けるため、ある程度のおこぼれを与えて、生かさず殺さずの政策で自分たちを守りぬく。
どこの世界もトップが気違いであれば、従える民は酷な民、つまり酷民となり生活苦に喘ぐ羽目になる。
しかし、自分たち(大衆)が選んだ事実には違いない。
『暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう!』だから、偽善を見抜く無知をなくさなければならない。
自分が善い人(心の清い人)であれば、瞬時、災いを避けられる。或いは、あってもいつの間にか、心地よさに漂う。
不思議なことである。よく善意に守られる。

どんなに世の中が変わろうとも、自分さへ「愛する人」であるなら、愛する人が受けることを自らに受ける。
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深遠な自分

2022-07-26 | Weblog
この7月に入ってからいろいろおかしなことが起こった。
偶然は重なるようにして必然とされる。人為的という隠された的を見る。
もうじき8月になろうとしている。ほぼ明確に白と黒の正しい判断がされる。
黒字で白と書いても黒は黒。貴方は、考える動物だからよく見間違える。
日出国ではいまだ迷路の中、出口が分からないでいるが、まさかこんなところに
ドアがあるとはおもわなかったという、あからさまなトリックにも気づかないでいる。
思い込むという事は反面教師的一種の感化を与える。
いつでもドア、どこでもドアはある。開けるのはあなた次第。難関(感)と思うことなし!
意地の良い者、つまり根性の良い者は正確な義を受けるが、意地の悪い者、
根性のない者は、偽善が付きまとう。そのため、見抜けなく諦かに見ることがままならない。
不思議にも不可思議である。どんなに一つの真実を教えても、見ても理解するのに程遠い。
自らに由ってを知ることがなければ、意味をなさなくなる。仕方が無いという事に尽きる。
これを自業自得の自由。我が儘という欲に溺れて死に尽きて、尽きることなく繰り返す。
今度生まれてくるときは‥意地汚いところに生まれても、泥から咲く大輪の蓮の花のように
綺麗になることはできる。
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明日は明るい日と書くことを知る

2022-07-14 | Weblog
驚くべき逆転現象が次々と起こってきた。
この秋には世界人口も80憶に。
地上の浄化も限界に近い。あと10年以内には浄化しきれなくなる。
暗雲は更に黒々となり、雨粒も激しさを増す。
風雲は急を告げ、気圧の変動激しくうねり狂う。
天は地上の生命エネルギーには関与せず、そもそも興味はない。
自業自得の自由を制御はできない。どのような力も自由を変えることはできない。
動物とする限界値が近い。だから、精神的にあらねばならない。
精神的を得た者のタイムラインは永遠を知る。縁に由る秩序正しい現象ばかりである。
不生不滅こそ恐れない世界である。
肉体無くして何の恐れがあるだろうか。
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見い出す

2022-07-09 | Weblog
秩序正しく向かう。
80対20の割合は逆転に転じて、
さらに、22対78となってきた。
これより、もっと明確にまさか(真逆)を見るが、
粛々として進んでいる。でも、10年ひと昔というが、10年も早いものである。
凡そ、幸せを数えれば片手にさえ余るものだが、不幸せというのは両手にさえ足りないものである。
世の中というのは、そんな常識を作られてきた。

見てわかるように、貴重なものというのは少ないものである。
路傍の石は多くあれども、どれも似たり寄ったりの当たり前にある。
でも、磨けばそれなりに輝き始め、貴重なものとなる。
意味がないようにして、意味あってそこにある。少なからずを知る、見る、見つけることである。

まさかの坂を上り下りするその光景に10年の間だが遭遇するが、それは、善良な心にはどれも喜びである。
その後は、追って知るべし、善い縁には好い巡り(円)である。魂は永遠を知る。
だから、よい記憶を持て。苦しい記憶は排除して気にするな。気としなければ、
苦しみは楽に転化する。記憶というものをコントロール(制御)せよ。
それが気である。
一つ一つ、一歩一歩であるが確実に進んでいる。変化は自身の進化である。
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諦観

2022-07-06 | Weblog
諦めることは大切である。途中で投げ出してしまうという意味ではない。
言葉に帝王の帝の字をつけるほどの最高の言葉である。
時流に超然としていれば、その覚悟によって安心立命。
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精なる者

2022-07-02 | Weblog
日本の中枢が正しいとは限らない。
中枢がいかれていたら社会は苦しくなるばかりである。
あなた方の現在は苦しいですか?生活苦じゃないですか?
苦しくなるばかりなのに、国民の生活を守る、命を守るなどなど、聞く耳にやさしいことばかり。
なのに、生活はよくなりましたか?生活しやすくなりましたか?
過去に幾度となく聞かされてきた言葉である。その後、どうなりましたか?
不安は募るばかりの世の中に。
ほぼ毎日のように鉄道に飛び込む自殺が報道されても、特に驚きもせず小さな報道として一瞬のうちに消え去っていく。。
報道の片隅に追いやられて、誰の記憶にとどまることさえないように過ぎ去るむなしい社会の構造。
すでに、皆目の前の悲惨さを見ていながら、見て見ぬふりをしなければならないような余裕のない社会に、明日は我が身の
恐怖におののき、考えないように避けて通る仕草は、もう人にして人に非ずの世間。
弱肉強食の動物そのものである。建前ばかりで命は救われない。
人は動物にしてなぜ考える余地をあたえられながら、瞬時を逃すのか?・・・
・・
・・・不思議を気とすることである。・・気にすることで生き活きとなって答えが出るものである。
人は動物であるが、静を知る者であるために、人間の性を与る。

子供(小人)が、「無」とはどういうことか?と問う。
成人(大人)は、ただ口一文字!
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自身の不思議

2022-07-01 | Weblog
自分の心が善い人であるなら、
敵もさることながら物腰柔らかくして、甘く囁きかけてくる。
揺るぎない意志をもって意思を貫く心構え、覚悟を気にして、
善悪のない故の法則、その律する行為こそ縁(円)となって巡りくるものである。
よりよくばかりが添う。だから、ことごとく選択が叶う。迷い戸惑うことが瞬時避けられていく。
実に不思議なことである。
周りは荒涼であっても、自身の周りは、そのオーラ(霊気、雰囲気)の大きさほどの冥加である。
嬉しい限りに自身の意に沿う。貴方の愛(したう)人をも覆う。

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