つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

愛の情

2018-11-30 | Weblog
露骨に弱者をいじめる社会になってきた。
群れて暮らす人間社会は金に支配されて、
金持が正義となっている。そのため貧乏人は悪であって、
奴隷となっている。金持の言いなり。
それを正すことができなくて、選挙でまた選ぶ。
金持は、その時だけ手八丁口八丁にして嘯いて大衆を騙す。
案の定、口のうまさに騙されて選んでしまう。
騙される方が悪いとなって、結局格差顕著に広がる社会となっていても、
選んだのはあなた方国民ではないかと開き直られる。よし、次の選挙には
騙されまいとしても、また同じ誤りをして選んでしまう。
そうして、どんどん生き辛い社会が作られてきた。
大衆はバカだから何をしても暴動は起こらないと、
金持は高を括ってかかり始めた。
さながら、
なんでも強引に推し進める露骨さを、自然は放ってはおかない。
天災は、人災によって引き起こされる。このままいけばの時間線上に、
地獄絵が見える。
唯一、変えられる術は、愛情。
そう自然が語り掛ける。
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習慣の洗脳

2018-11-30 | Weblog
習慣が正義となる。その正義となる習慣が誤った習慣であれば、
世界は地獄である。
地獄は、地獄が正義であるために、苦しむことがあたりまえで
苦しむことへの反省がなされない。
改善されることのない世界となっている。
この世の中は、お金で支配されて、お金がなければ暮らしていけない仕組みにされている。
‘お金じゃないよ世の中は′と言っても、お金がなければ税金も払えない。払えなければ、
後ろに手が回ることになる。これが当たり前で常識であり、常識を守れなければ犯罪者となる末路。
誰一人異論はない。人間の社会というのは、お金が秩序を作り正義を守っているようだ。
何をするにも先立つもの・お金がなければ人間は動けなくされている。
自由とは何か?
お金に支配されてい生きている生物は、人間だけである。
他のあらゆる生物を見てもわかるのに、人間は気づかない。
すっかりお金に毒されてしまったこの世の中は、
地獄の世界である。



  
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常識の習慣

2018-11-25 | Weblog
新聞の巨人、
その社主は死して一週間ほどになるだろうに、
報道のコントロールにある。
人災、その策略は露骨にして、どんどん驚愕することが起こる。
悪玉のいら立ちは、姿を現してきた。
風雲急を告げるは、新旧善悪の動き。
膿だしは混沌に始まり、大きな犠牲をもって覚醒するが、
無知とはなんとも恐ろしい。
後悔は先には立たないものであると知ってはいても、
常日頃に慣らされて流れる。
慣れというのは危険である。
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日和見の一時

2018-11-25 | Weblog
龍と蛇は地球支配の神々である。そのために、
神社仏閣にはその象徴として太い注連縄が飾られ、
柱には龍をあしらい威厳を表す。
姿形はおぞましくあるために、畏怖の念を抱かないように変化することができる。
その姿は白色の女性形、青色の髪色をして慈愛に満る。
青色の肌で金色の髪、憤怒の形相にして邪鬼を払う。
筋骨隆々にして鬼の形相、邪気を払う。
神々は巨人である。
宇宙が相対にあり、神々にも善悪がある。
同じ姿形をすれども、対立がある。
大小さまざまにあるも、同等の値を持つ。
どちらも優秀であるために、常に鎬を削るが、
そこに曖昧があり、漁夫の利を得る。
これが中道、道理の善である。
概ね、理解はし難い。
対極にして、三つ巴。
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自由の尊重

2018-11-24 | Weblog
地球には、人類よりはるかに優れた科学技術を持つ知的生命体が存在している。
彼等の技術力は、外宇宙より飛来してくる知的生命体の技術にも劣らない。
そのため、外宇宙より飛来する生命体は、容易には地球を支配することができないでいる。
在来する知的生命体は、人類との共存にあるのは、その優れた能力故、
宇宙エネルギーの法則を熟知していて、その根本たる自由を侵すことはしない。
なぜなら、自由がエネルギーの法則のすべてであり、どんなに生命が進化しても、
その自由を超えることはできないし、変えることができないためである。
つまり、自由の下の存在であるためで、絶対存在となっていることを知るのである。
その自由は、必ず返る仕組みとなっている絶対存在である。
元に戻るというのが正義であり、元はゼロと言う何も無い綺麗な存在ということであるために、
邪心にて為す行為は、すべからくその責を負うものであることを理解するからである。
然るに、良心の行為は、ただひたすらに発展を促すことを知る。

エネルギーの法則の自由を、惑わされることなく得た者は、永遠の生命を得る。
その徳は、無常にしても常住の幸福の進化だけである。正しく正義の自由を、
自由の正義の道理を知れば、自ずと行為が具わるために、常に新しく楽しい進化になる。
そういうことを理解しているためである。
だから、智者は、訓え諭すことはすれども強制はしない。
弱者を守りはすれども、敢えて助けもしない。
自らを助けるものを助けるものである。
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過ぎたるは猶及ばざるが如し

2018-11-23 | Weblog
欲が悪いというわけではない。
欲に善悪は無い。エネルギーの法則に善悪がないためである。
欲を良くも悪くもするのが人間である。ただそれだけ。
欲を善く使えば良いだけの事なんだが、なぜか悪いものにしてしまう。
欲をかくと好いことは起こらないと昔からそう言われて知っているのに、人は欲をかく。
欲をかきすぎると、逆なことが起こってしまう。
世の道理というのは、正反対がくっつくのである。世の中は、
何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」であるから、転ばぬ先の杖(知恵)を持て!
して、
「及ばざるは過ぎたるより優れり」として謙虚たれ。
そうすれば、難なくなり希望となる。
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次元上昇期

2018-11-21 | Weblog
またまたまさかのさかが現れた。
あの人は、公明正大で立派な人である。と、
誰しもが思っている人が、その実、浅ましくあり、
人として蔑まれることをする。
地位も名誉もあればあるほど、また、さもしいものだ。
特に近年、どこの世界も、トップにあるもの、名だたるもののふしだらが目に余る。
いよいよ
地獄に落される者と天に上る者との選別が始まった。
魂の向上に努めて、私たちは光に導かれる者となれ!
根性が試される。

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当たりの前

2018-11-16 | Weblog
この世の中は、経済によって縛られている不自由な社会である。
本来、経済は経国済民のことであり、人民の生活苦を救うためにある。
なのに、ほとんどは経済的に苦しんで不幸せに暮らしている。
お金がないばかりに、なにもできないでいることのなんと多いことか。
はっきり言って、お金はすべてではないのだけれども、金さえあれば笑顔は見られる。
お金がないばっかりに、助けてあげられない事のなんと多いことか。しなくてもよい苦労のなんと多いことか。
して、
世の中は、お金に縛られた奴隷社会となっている。
すべての隷属は苦にして、その根源はお金。束縛されて生きている。
奴隷社会は言うまでもなくピラミッド型である。それは格差肯定にして、
一部の悪徳者の築き上げた構図。隅々までその構図はいきわたり、
当たり前となって、誰一人疑うことのない正義の構図となっている。
人類の歴史は、この悪魔によって築かれてきて、そのために地獄絵図が繰り広げられてきた。
弱肉強食、合ったら最後、いがみ合い、紛争、戦争、殺戮の歴史は今でも続く。
殺人はいけないことであるが、戦争で多くを殺せば英雄となった。

矛盾を人間は解決できないでいる。

さて、エネルギーの法則は円運動である。そのために、形は円い。角などない。
これが自由の原形であり本来の姿形である。凹凸がないのが自由の正義である。
然るに、必然正される。それがこの世紀中、地上の変化の周期にあたる。
自然は矛盾をいつまでも放ってはおかない。





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情熱があれば

2018-11-14 | Weblog
人の心は見えないものだが、
情熱は見える。
情熱がなければ心は伝わらない。
情けをもってあたれば心は見えてくる。
何事も成就する。
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感謝をもって人生とする

2018-11-10 | Weblog
こんなに科学が発達した現代でも、宇宙には地球人しかいないと思っている人達がいる。
井の中の蛙みたいな心の人達がいるものである。
宇宙は人知及ばぬほど広くて謎めいているが、微なるものから大なるものを知ることができるようにできていて、
当然、大なるものから微なるものを知ることもできるようにできている。
それは、自由が宇宙のエネルギーそのものであるから。
なぜそうなのか?という疑問の答えは自由からきている。この自由という意味を、
理解できなくては謎を解くことはできない。

エネルギーは動きである。動きがあるために静が生じるが、この静は動にあることを理解できるなら、
有無の答えも必然に知れてくる。自由が為す術には矛盾などない。

動=エネルギー=自由意思。この自由から分かれてあるエネルギーだから自分。
自分は何も知らないから、当然、自由であるエネルギー自体も何も知らない。
知らないから、動きによって様々を得る。その経験が識るのはゼロに由る。
ゼロが自由の元処である。綺麗も汚いもない。何もない。だから、綺麗に動いている。
これが道理である。
ゼロという有の道理である。これが自由の性質、エネルギーである。
ゼロ故に丸い形で、故に円い動きのエネルギー、故に絶対善の自由で動いている。
そこから分かれたエネルギーの自分は、動くことによって様々な刺激を受して、
どのように動いていったかの自由であるための、自分の歩んだ意識の世界が繰り広げられていく。
綺麗も汚いもないというのは、善悪がないということと同じである。
善悪がないために、絶対善が自由エネルギーの性質である。ここを理解できなければならない。それを、善もないのだから絶対悪とするエネルギーが
自由の間違えた解釈のエネルギーである。このエネルギー世界が地獄の世界である。
善いも悪いもないために、間違えてしまえばそれが正義となるために、正せなくなってしまう。だから恐ろしい。
エネルギーの法則は、ただ自由が本質であり善悪など持たない。ただ回るだけである。
そのために、元に戻りゼロとなるもので、浄化となって繰り返しているだけである。寸分の狂いもなくただ回るが、
回るための変化で歪になったりするが、必然元に戻る。道理であるためである。それがエネルギーの意思である。
この回る変化が刺激である。この刺激に応対してエネルギーが様々に生じる。もし、この対応が
本質にあっていれば、ゼロにかえった時点でそこから抜け出すことは無い。
静の動きとなって安定する。それが涅槃寂静の世界である。つまり、時空のない永遠の世界である。

人間の意思にある善悪などない。
善悪がないために善であることを理解できて自由が正しく知れてくる。
エネルギーは自由であり意思である。それが正義であるために、正しい意思をもって
刺激を受し対応していけば、その義はよく守られる。
くれぐれも悪の意思を持たないこと、作らないことである。もし、悪を為したら、
気が付いて正していけば、本質の義は守られる。間違えたら改める!これが修行であり、
生を受けて人生としている時である。極めて稀なる時であるために、大事にして努力することである。
生命は、特に人間は、本能的に無知であるために間違うものである。
が、他の動物と違い学習能力が優れる。そのために、無知をなくしていけば、間違うことが無くなり、
苦るしみのこの世界より抜け出していける優れた生命エネルギーを持っている。
今生きていることに感謝して、
エネルギーの法則を解き明かしている般若心経を正しく理解することである。

未来は不定であり、常に変化する。衆縁和合によって生じてくるために、
怠ることなく修行(努力)して、稀なる人生の時を感謝にかえ、生きて魂は救われる。
それが法則の功徳である。





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