つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

宇宙は不思議な世界で不可思議ではない

2023-10-31 | Weblog

聖者と言われた偉大な宗教者でも、仏の説いたことを理解した人はいなかった。

それは、仏教が祈るための教えとなってしまったからと思われる。

祈りは行為の停止である。

行為が停止されても、肉体(内臓)は止まることなく動いている。内臓が止まることなく動いているのは、

エネルギーの法則が止まることのない動きとなっているためである。

あなたの意識で内臓は動いているわけではない。あなたの意識に関係なく内臓は動いている。

あなたの意識が、エネルギーの法則を理解していないために、意識の誤りが法則との摩擦となって、

地獄の世界となって現れてくる。エネルギーの法則にはそもそも善悪などはない。

善悪は人の思い(意識)が作っている善悪である。

エネルギーの法則を理解し、意識を正していけば地獄となっている現象世界も正されて、

いわゆる地獄の反対、天国の世界となっていく。そのことを説いているのが、般若心経でいう「三藐三菩提」である。

三藐とは誤った(意識)想行識のこと。それが正されて三菩提となっていく。

天国地獄は西洋的(神様)としての思考、仏の教えは天国を極楽という。浄土である。

意識の誤った考え方(エネルギーの法則)を理解できないための間違った思いが、

世界を地獄の現象としている。意識がエネルギーの法則を正しく理解できたなら、

浄土の現象となっていく。

エネルギーの法則は円運動の法則である。そのために、ゼロからゼロへ戻っていく動きとなって 

永遠につながて行く動きとなっている。つまり、無くなることのない動きとなっているのである。

それが一日という日の動きを見てわかるだろう。朝が来て夜がきてまた朝が来る。そしてずーっと繰り返していく。

無くなることがないのである。これが法則である。私たち生命がいる法則である。

すべてがこの法則の下の存在である。地上も宇宙もこの存在(エネルギーの法則)によって統一された世界である。

この理解ができないとすべてが法則との矛盾となって、やがて、私たちは滅亡してしまうとされる。

肉体は物質である。ただ変化していく。その変化を無くなってしまうと認識しているために、

法則を理解できず、すべてが矛盾となって分からなくなっている。

「無」はなくならないとしての無である。この無が般若心経で説かれている「無」である。

だから、「無」は肯定の無ということになる。このことを理解できないとなんとも宇宙は不可思議となってしまう。

 

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忙しいという事は

2023-10-31 | Weblog

忙しいという文字は、心を亡くすと書いている。

だから忙しくしていると心無いものとなって、何ごとも雑になっていく。

忙しくすればするほどストレスが溜まっていく。

心のこもっていないものは受け入れられなくなる。

人生そんなに生き急いではいけない。もっとゆっくり歩いてこそ大切に生きられる。

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ポジティブに!

2023-10-30 | Weblog

青い鳥はいつもあなたのそばにいる。

どこかに探しに行く必要はない。そう思いなさい。

あなたの心次第。意識次第です。そうは言ってもと思わないことです。

すべて否定していてはいけません。何事も前向きに思うことです。

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神仏への概念の誤り

2023-10-29 | Weblog

人が宗教を信じ神仏に祈るのは、救いを求めているためである。

人が救われていないための行為である。人が救われていれば、救われているのであれば、

何も祈ることは要らない。救われていない存在だから人は祈るのである。

でも、どんなに神仏に祈っても救われることは無い。なぜなら、今までも救いを求めて祈ってきたはずである。

なのに救われていないではないか。それを祈りが足りないからとしてさらに祈るが、決して救われることは無い。

それは、神仏は人の創造だからである。つまり、エネルギーの法則によって作られた存在ではないためである。

人の想像の産物だからである。法則の存在となっていないものは何の力もない。人の誤った概念の創造だからである。

そのため、どんなに祈ったところで救われることは無い。それこそ架空の存在であるためである。

まして、祈る行為は人の行為の停止である。行動無くしてただじっとたたずんで願うことだから。

人は動物、動く物である。だから、行動無くして物事が叶うことはあり得ない。

そのため、祈る行為は道理に反し、悪魔の行為となっている。

 

 

 

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気にしない

2023-10-28 | Weblog

この世の中は「受」の世界である。めぐる変化の刺激を受けて反応する。

刺激にそれぞれに応じた現象となる。あなたが受けた刺激に反応し、どう思ったかの

世界が開かれるのである。刺激に反応しなければ何も起こらない。つまり、受けなければ何も起こらない。

特に嫌なことがあったら受け流せばよいのである。受け取らなければよいだけのこと。

もし、誰かに嫌味を言われても知らんぷり、そうすれば、その嫌味は放った相手に帰っていく。

この世は「受」の世界であるために、嫌なことは受けなければよい。

気にしてしまえば受けたことになるために、嫌なことで悩むことになる。

エネルギーは「気」である。だから、エネルギー「気」としなければよいのである。

エネルギーは円運動である。それがエネルギーの自由たる性質である。だから、必ずもとに帰る、戻る。

このことを知り、自分自身嫌味を発しないことである。発すれば、必ずそれが自分に帰ってくる。

「後で」という時間差をもって!だから、嫌な気分になりたくなければ、嫌なこと(悪いこと)はしなければよい。

自分から進んで嫌なことをしてなければよい。もし、知らず知らずのうちにも嫌味なことをなしていたなら、

嫌な気分の現象だけが起こってくる。よく自分のことを顧みることである。

嫌なことは気にしいない。

時間は常に前に進む。不可逆である。つまり、プラス思考。道理であるために絶対である。

これに反してマイナス的思考をすれば道理との摩擦となって好いことは起こらない。

エネルギーの法則は円運動であるために、必ずもとに帰っていくのだが直線的ではない。ぐるりと回る

曲線的である。つまり円の動き。ここを間違えないで思考すれば道理にかなう。時間は常に前に進む、道理である。

 

 

 

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円思考が矛盾を作らない

2023-10-27 | Weblog

地球上の変化はエネルギーの法則の変化である。

つまり円運動に由る変化であるために、必然ゼロに戻る。これは、エネルギーの法則が

浄化の法則となっているためである。だから、時間はいつも零時になり零時から始まる。

ゼロがこの法則である。これは一日という地上の時間を見て分かるだろう。

すべては円運動となって、貴方は、行って来ますと言って出かけて、ただいま戻りましたと言って帰ってくる。

全ての存在は、その行動も円運動となっているのである。止まることのない動きである。

この円運動の法則で作られているために、貴方の意識に関係なく、身体の中は循環している。貴方が眠っていても

身体は円運動をしているのである。生命はこのエネルギーでできているためである。

だから、内臓の動きが止まった時点で肉体の死となっている。脳が死んでいても内蔵の動きがある以上、

それは本当の死ではない。

 

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洗脳教育の呪縛を解け

2023-10-25 | Weblog

少し先を行く時間に乗って、垣間見た現象世界、

地球経済安全保障改革法(global economic scurity and reformation act)が、

2024年前半期、承認、後半期、施行。経済がアナログシステムからデジタルシステムに移行。

金融制度ががらりと変わっていく。混乱は穏やかにして変革していった。

歴史始まって以来の変革であるが、この歓喜の風潮は約7年ほどであった。

ある意味、はっきりとした分断が現れ、その抵抗は、悪のエネルギーと化した進化技術によって、

もろくも破壊された。人間とは学習にありながら、ご法度の心が抑えられずに、

窮鼠猫を嚙む状態に、闇雲に発せられた閃光は、瞬く間に世界を震撼した。

人災は天災を招き終になった。

この現象は、釈迦もキリストも予見した時間線上のことである。

ともに存在の法則、エネルギーの法則を悟った魂の啓示であるために絶対ととなっている。

この絶対の破滅的現象から救われるのは、死後の世界の理解である。

死後の世界こそ魂の真実の世界、肉体という物質によらなければ、何の苦しみがあるというのか。

死後の世界は唯識の記憶の現象世界である。あらゆる束縛はない。自由である。

その自由を得るために、今を生きている。

物質に執着せず精神、魂を摩がけ!時間はあと10年もないのだから。

 

 

 

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人は死ぬために生まれることの理解

2023-10-24 | Weblog

知識について、

知識は人の行為の証である。死は人の行為とならないために知識とならない。

知識とならないことは分からない。死んでしまえば人ではなくなるために、知識となることはない。

そのため、決して死後の世界を知ることはできない。

生は死を絶対条件としてある。それ故、命は死ぬために生まれてくる。つまり、

生命は、死後の世界を真実の世界として、その世界を幸せな世界とするために生まれてくる。  

だから、人は死ぬために生まれてくる。魂に死がないために、死後の世界こそが魂の本当の世界なのである。

死後の世界は、魂に刻まれた記憶の現象世界となっている。

人は死ぬために生まれ生きていくものであるために、人の行為が死との矛盾となってしまう。

人の行為が矛盾したものとなれば、何もかも矛盾となってわからないものとなってしまう。

死は法則によるものであるために矛盾したものではない。人は法則によって作られ法則によって死んでいく。

矛盾したものではない。行為も矛盾したものとはならない。死後の世界が人の行為によって作られていくものであるから、

人の行為が死後の世界のための行為であることが矛盾とならないのである。そのために、いま生きて

努力をしていると判断できさえすれば、恐怖からの解脱行為となっていく。

法則には恐怖はない。恐怖は人の意識の誤りからくる。無知から起きている。

 

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心は自由

2023-10-24 | Weblog

意識には本来壁はない。壁を作るのは意識自体の誤りから起こる。

識するとは、区別して知る、覚えることと辞書にある。

心に記すことでもある。その区別にまちがいがあれば、心(意識)は、間違った判断をすることになる。

つまり、不自由となる。そのため、意識も自由な判断が効かず思いと違ったこととなる。

意識は気である。物質ではない。だから、物理は作用しない。

気(エネルギー)は自由にしてあるため、制限を持たない。障壁というのは存在しない。

だから、心の思いは自由自在に過去も未来も行き来する。時間も空間もないために瞬時につながるのである。

存在は裏と表があって存在となる。だから、量子として、自身の思いが相対してある。

あなたの思いが瞬時反対の思いができる。すべて同時である。存在であるために。

その存在は物質である肉体に心として宿り、肉体を動かす。だから肉体(体)は、心の思いによって動かされる。

だから、行為は心に付き従うと言われる。

意識(心)が正しくなければ、間違った行為となっていく。

自動車と運転手の関係を思えばよくわかるだろう。自動車は運転手によって便利にもなれば不便にもなる。凶器にもなるのである。

さて、「何も知らない」ということは怖いことである。

無知であればおおよそ間違いを起こす。だから、無知をなくせと言われる。

よくこの世の道理に学び人生とすることである。道理は一を知れば十を知るという不思議なこととなる。

肉体に執着せず心を大切にし生きることである。肉体は物質、物理にあり制限ばかり、心は気でありエネルギーそのものである。

その質自由であるために永遠である。心はこの事を知るために、制限のある物質界に宿り制限のない意識(心)を磨く。

体の感覚を受けて、心が自由であることを覚ことである。

心が吾であると知って悟りと書く。だから、人生覚悟を持って生きろ。

善悪のない道理に学べば、この世が善の存在であることも知るだろう。

気が付きなさい。善悪のないエネルギーの法則は難しくはない。簡単にある。

自身の心の(意識)識さへ正しくすれば、道理の利益は完璧である。

無知をなくせ。道理に学べ!

 

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思い出すことの意味は大きい。

2023-10-22 | Weblog

今日この頃、

生成AIがCMに出た。画像は全くの女性。

しかしコンピューター、人間ではない。

生成AIという言葉を聞くようになってから、本物と偽物の区別がつかなくなった。

公にテレビで見かけるようになって、その驚きの技術に、進化ということを時代の流れにして理解するのだが、

今更のことではない。公に伝えなければ、そんな技術がすでにあることさえ大半の人は知らなかっただろう。

科学技術は極秘にして進む。

もし全く知らなければ、生成AICMと見分けられる人は、開発者以外にはいない。

たとえて、全知全能は、存在の意味を失う。すべてを知っているのだから。

過去も未来もそして今も。すれば生きている意味、存在という意味そのものがなくなる。

もし、あるとすれば、全知全能であることを忘れて、「なぜ」という疑問をつくり、

そのことの答えを求めることを見出し、存在とする。して、全知全能であるがゆえに、

完璧に忘れることの罠にかかった。そして、過去も未来も現在も、なぜというゲームをしている。

存在ということはそういうことである。

自由というエネルギーである。忘れたことを思い出し、それが称賛に繋がれば、この宇宙は消えるが、

称賛されていないために、宇宙は拡大し続ける。それはまた、環状態状エネルギーであるために

一点(ゼロ)に戻りただ繰り返す。

フリーエネルギーというのは、依存はない。

だから自由という。本来生命エネルギーもフリーエネルギーでできている。そのため、

何かに依存して生きているわけではないのだが、忘れたところの罠にかかり、間違った答えの中にいる。

生命は、一つ一つが全知全能、自然が主体である。だから、物は地にかえり、魂は気にかえる。

気は量子として認めるが、あなた方のまだ知らないことである。

因みに、思い出すこと、思い出に答えはある。

 

 

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