つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

願うばかり

2017-12-30 | Weblog
2017年は信用が失墜した年であった。
そのままなだれ込んで、
2018年は前代未聞の大事件。
人間が人間であるべき尊厳を失う。
神々は、終に見放した。

未来が不定であることだけが強がりである。
どうぞ、一人一人の正義が一つでありますように!

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この世は地獄

2017-12-29 | Weblog
お金が支配している社会である。
お金のあるなしで人の良し悪しがはかられている。
お金のあるなしで自由も左右される。
お金というものはきたないものだ。人の心まで変えてしまう。

きたないものにはきたないものが集まる。これは世の道理である。
さて、お金持ちというのはどうだろう?
愛はあるのだろうか?
愛があれば、世の中住みやすいものだが、
住みやすくないのはなぜだろう?

きたないものにはきたないものが集まる。世の道理である。

このお金に支配されている世の中は、ゆえに、地獄である。
お金がなければ何もできない世の中となっているのは、情けないことである。
情けのない世の中は、地獄である。情けが無いのだから当然そうなる。
お金じゃないよ世の中は、ときれいごとを言っても、先立つものはお金である。
お金がなければ誰も動かないし動けないのである。不自由極まりない社会となっているのである。
現実はお金に支配されている奴隷社会。誰もが不自由を感じていながら、どうすることもできなくされているのである。
すべての隷属は苦である。

地獄に仏という言葉がある。
この世の言葉である。
あの世が幸せとなる様にと、仏は訓える。
あの世にお金はいらない。




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崩れかけるときは速い

2017-12-29 | Weblog
誰もが今年一年早かったという。年寄りの多くなった
日本社会だからそう思うにすぎないのだ。
確かに、どんなに計測しても一秒は一秒、その間は変わらない。
当たり前のことである。
誰も不思議がらないものである。
感受するもの個々の捉え方である。
が、
本当にそうであろうか?

同化する。
同化してしまえば気が付かなくなるものだ。
そのために、「変」に同化してしまえば、どうかしているよあいつは、と同化していない人は吐き棄てて言う。


私達は、光があるからものを見ることができる。光がなければ
ものがあっても見ることができない。
無いに等しいが、気で感受することができる。

神々は、高度に進化した科学技術で光を操る。
故意に屈折させて現象を妨げることはいとも簡単である。
幻象も簡単に作れる。だから、
見るもの聞くもの安易に信じてはならないともいう。

感受するもの個々に時間が変化するなら、
生き急ぐもの死に急ぐものになる。

今、地上は人類が闊歩する。最も神々の支配下にあって監視されながらであるが、
堕天使の波長に流されつつある。そのために、目まぐるしくまわる。
悪いことは為しやすく、善いことは為し難いために、
ついつい堕天使の導きにひかれて、乱れた世となっている。
じりじりと引き込まれていく様が、ある程度確定的になっていくと物事は早く進む。
坂道は転げ落ちるものである。朽ちるときはなんでも加速していくのである。
乱れた独楽が、急速に弾かれ止まってしまうように。

未来が不定であることが救いとなっている今が哀しいことではあるが、
個個に、愛をなくさない事だけが一縷の希みである。
大衆は亡くなっても、個々の救いである。

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秩序的

2017-12-28 | Weblog
外宇宙からやってくる神々と、すでに地上に君臨している神々との
駆け引きは、単に高度に進化した科学技術の優劣に影響する。
それは、どんなに進化しても、お釈迦様の手の中で優劣に勤しんでいる人間のようなもの。
そこに、明らかに意図するものがあり動いていると見るも、
そこに、明らかに意図されて動いているとするも自由。
自由は定めはない。どんなに計算に求めても無理である。
‘時に’と現れる‘明’は秩序的なだけである。
だから、神々の持つ自由の事由にして答える。正しいとすれば正しい。
否とすれば否としても正しい。

エネルギーの法則は美しいものだ。

的・・「そのものではないが、それに似た性質を持つ」
   「何かに関する」「何かの範囲内で行う所の」「・・・としての」
    などの意を表す。
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とりあえず年は越す

2017-12-26 | Weblog
火山噴火にしても震災にしても、大衆には全く予期しないで起こるが、
知る人ぞ知るというようなことで、秘密裏に駆け引きが行われていて、安堵と緊張が交叉する。
未来は不定であるために、それぞれの利にして、神々は関与するものである。
未来が誰も知らないとするのは、量子の様であるための離散的だからである。
すべてが自由からなり、その時々である。だから、
可能も不可能も自分次第にある。
宿命も運命次第で変わっていく。
未来は及ばざるものにして過去に優る。
どのような映像が映し出されるも、夢のようなものであるために、
確定されてはいない。自分次第で現れる。
薄情な年が暮れていく。





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気(エネルギー)のもちかた

2017-12-25 | Weblog
病は気からと言っても、凡人は気にしてしまう。
気にしてしまえば気になって、病が生き活きとなって病に侵されていく。だから、
気にしなければいい、が本音である。が、
とわ言ってもが大衆で、病にかかって死に至るのが常となってしまう。

人間の体というのは、頭が考えるのと少し誤差がある。
特に運動しているときなんかに感じることが多い。もう筋肉の限界だと思っていても、
筋肉は限界点には至っていないものだ。100%力を出し切ったと思っていても、おおよそ120%ほど、或いは130%ほどまでは
筋肉は余裕を持っている。鍛練していればさらにあがるだろう。
体は限界点に達してしまうと思考さえできなくなる。そうすれば、正しく身体の情報が伝わらなくなっていき、
うまく制御ができず完全に壊れてしまう。身体が壊れてしまうということは死を意味する。
もって、
ある程度の余力を持たせて、身体を保護するために本能的に働く防御システムを具えていて、
もう限界とイエローカードを心に発する。
いやらしい言葉をつかえば、建前と本音とでも言おうか。脳が思いを騙すのである。
自分の思いと身体の能力にはそんな駆け引きが行われているのである。
だから、能力の限界をどこまでひきだせるかの気を養わなければならない。
「病は気から」は言い当てている言葉であるが、心のみがき方によって左右されるのである。
とっさの時の馬鹿力が、「危ない」と即断した身体の本能力、潜在意識とでも言おうか、
正しく伝わった能力の引き出しである。脳力と気力の合体にして現れた力への体の反応。

意識すれば意識するほど現象は現れやすくなる。
達人たる者と凡人なる者との最初の一手は同じに見えても、
力の違いが歴然と現れてくるように、想いの力は不思議なものである。
その意識は、何を根拠に力となって集中されるのか。
経験という想念。
一を知って十を知れる知恵にある。
いま行っていることへの正しい想念。

迷わされるな、惑わされるな、今(生きている)を信じることである。
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忙しくしない

2017-12-24 | Weblog
心を亡くすと書いて忙しいとする。
忙しくして慌てるものである。
慌てることには焦りが付く。
何事も焦ると失敗するものだ。
どうぞ忙しく動き回らずに、一息入れることは大事。
急がば回れとも言うのだから、この時期、特に心得て動くことが大切。
心を亡くしてしまえば、何事も成就しないものだから。
忙しくないとして思う。
体は心に付き従うものだから。

いまどき、
風雲急を告げる、である。
大事になりませんようにと聖夜に思う。
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奇跡ではない

2017-12-23 | Weblog
人間が神と崇めるのは、エイリアン。
知的生命体である。内惑星から来るものと外惑星から来るものと、
他銀河団より来るものといる。
神々の技術進化は著しくあり、森羅万象を操る。
その中でも特に、自由のあり方を理解する神は、
神の中の神と位置付ける。万能にして欠点はない。

聖夜に答の知る者あり。
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人の為として偽りと読む

2017-12-22 | Weblog
政府はあからさまに弱者をいじめる。
国の為にならない者、負担となる者は排除する方向性を示した。
法治国家でありながら、悪は守られ善は棄てられる。
偽善は闊歩し始めた。あれよあれよという間に、人の為という欺きに
支配されて、手遅れ状態。擬態は悪意にして、見たこともない姿をさらしだす。
大衆の愚かさは始末の悪いものである。
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正義たる自由

2017-12-21 | Weblog
大きな事件が起こる。
一つの輝きが一つの輝きに重なった時、
閃光が夜空を覆いつくした。天が避け地が躍り上がった。
腐敗は一掃され、憎しみと驕りは悉く消え失せた。
ルシファーは、猿に火を与えたことを後悔した。
過ちは学習して正義を見た。
エネルギーの正義である。善悪のない自由である。
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