つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

立場に惑わされる

2024-06-12 | Weblog
ここ数年、現政権党の理不尽さが顕著となっている。
5万、10万、20万と人を集めて、何かをする。大衆の前で云々、
場慣れして、変な気持ち、気分に浸る。
世間、或いは、世界は動かせる、と錯覚を覚える。大衆への魅惑、魅惑的な目線を感じ惑わされる。どんなに魅惑的であっても、人は一兵卒である。・
・として、心得ていれば、ある程度その場(期間)は保たれるが、まことに一兵にあって惑い、途惑いは身を破滅に導く。往々にして人というのは欲の塊である。理不尽な事は不条理にして存在から弾かれる。秩序は正しくあるべき物事の順序である。筋道が間違っていれば必然壊れる。
公人としての私人は成り立たない。公人は公人である。立場を弁えなければ、
至って痛い目に合う。特に嘘はついてはならない。嘘も方便は、諸刃の剣。
自分を斬る(切る)。
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迷信じみた昔の人、迷信深い昔の人

2024-06-12 | Weblog
ぎりぎりまで待って、二転三転。
七転八倒、今の覇者。七転八起(七転び八起き)不撓不屈たる民意。
紆余曲折にしての果は、貴方の心の反映、良くも悪くも自身の心は知っている。
「ほら、やっぱり変わらない」とする保守的な思いと、「まさか」と驚く進歩的・革新的な思いとに現れるのは、歴史を見てわかる事。
古き良き時代とするも、古き慣わしに縛られた迷信。
世の中は変わるのが当たり前、道理、絶えず時間は変化、進化している。
そして、
ゼロに戻る。一日の終わりと始まりが示すように、一旦綺麗になる。
様々に事が生起しても、何事もなかったように過ぎていく。
信じる人の眼差しの違いは・。
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人格者

2024-06-12 | Weblog
勝負事、後出しジャンケンが有利として、ぎりぎり締め切りまで待つ。
絶対に勝つとしての目論見は、ただ欲望、「今だけ金だけ自分だけ」として、
成り立ってきた慣習にある。だが、様々に継がれてきた慣行は、昔ながらの悪い慣わし、封建的主義社会を基として在る。それを絶対的権力として、
下々に渡って駆使してきた。言い換えれば独裁にある。この独裁というのは、善い事には無く、悪いことにあるために「独裁」という。善いことにあれば、民主という。しかし、この民主も洗脳教育という間違った教育をされてしまえば、民主とは名ばかりで、共産主義的社会となる。
本来、共産という主義国は現時点存在しない。なぜなら、共産であるためには、読んで字の如し、指導者は国民(みんな)であり、特定の人を持たない。
特定の人が指導者であれば、それは独裁国家である。共産国とは言わないし、当てはまらない。独裁はその人個人の考え思いである。個人の考えは、一人一人違う。まったく合致という事はあり得ない。それは「個」であるためである。
合致しているかのように見えて、一緒(連立)になっても、やがてはぐれていくことになる。
独りで裁くことの危険性は、きわめて危ういのである。
「君子危うきに近寄らず」、「君子」=些細な事に感情を動かしたり、誘惑にあって自分の初志を見失ったり、困難にでくわして、くじけたりすることの無い、理想的な人格者。「人格」=その人の物の考え方や行動のう上に反映する、人間としてのありかた。ー「者」立派な人格を備えており、多くの点で敬愛される人。
優れていれば優れるほど親しみの情を持つ。
人格者は、敬愛の念を示す。
世の中には、尊敬に値する人もいるものである。
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