つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

縁って起こる。

2006-08-31 | Weblog
因は縁によって成るために因縁。
縁りて起こるために縁起。これは縁りて滅するということにもなる。

結果は様々な要素に縁るもので成るために、
原(もと)の中には果はすでにあるともないともいえることになる。
因と縁の絡みあいで生じるために、
条件次第で、事象は生まれるということ。
生まれから死に至るまでの一過程の様々な現象は、その時々の条件(縁)によって
起きる為に、予め決定されてはいない。

生じて滅する過程は円環的であるために、輪廻思想となる。
日々繰り返すことが絶対となって、正しいと成っていく。

習慣的な行いが業となる。業によって、合った場がつくられる。
善業、悪業として、業報によって輪廻は展開する。

習慣は力となって、ゆるぎないものとなっていく。
だから、悪い習慣をつくらないことが肝要。

すべて、縁起の法であるために。



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少しでも目覚められれば

2006-08-29 | Weblog
昨日と同じく今日は来て、今日と同じく明日は来る。
このように未来は変わらずやってくる。
同じことを繰り返し、時は過ぎては訪れる。
根本的変わらないものの中に、かわらないものは無い変化が続く。
全般的に大きく見て、生まれては老い死んでいく。生まれては老い死んでいく。
小さく見て、朝が来て眼が覚めて、夜が来て眠る。
昨日と同じく時は過ぎて、今日と同じく明日は来る。
あなたは、子供から大人へと変化して、また変化する。
思いというものも変わる。
子供のあなたと、大人のあなたは同じあなたで、変わってはいない。でも、
大人のあなたは子供のあなたではない。
変化は変わらないものという中にあって、変わっていく。

この世もあの世も少しも変わらない。
あの世はこの世の思いでつくられていて、
この世の思いは経験によってつくられる。経験は知識となって記憶となる。
この世の経験が記憶となって現象して創られていく世界があの世であるために、
記憶の中に少しでも悪があると、悪がある世界となって、地獄となる。

どんなに今生、裕福に暮らせたとしても、死という想い(イメージ)が
恐怖となっていれば、あの世は地獄になる。
恐怖は悪であるために、悪の在る世界となってしまうためである。

今も地獄として生きている人がいるだろう。その人がこの世の地獄から逃れようと自殺して、あの世に逃げても、あの世はこの世と少しも変わらない。
地獄である。この少しも変わらない地獄というのは、
子供のあなたと大人のあなたは同じあなたであるように、でも、
大人のあなたは子供のあなたとは違う というようなイメージの処。

繰り返しの経験が絶対となり正しいと成っていく。
繰り返しの経験が邪(あや)まれば邪まりが正しいとなって絶対となっていくために、
邪まった世界が創られる。それが地獄の世界で、正しいとなって、
地獄であることに気がつかなくなって、その世界があたりまえとなっていく。
苦しんで生きているのに、生きていくのに苦はつきものとして、あたりまえであると、一切疑問に思わず生きていく。地獄の苦しみを受けることがあたりまえという
感情の動くことの無い世界である。毎日苦しみを受けているのに、
そのために、悲の世界という。
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大人しい

2006-08-28 | Weblog
すぐれたものほど質素である。だから、大人。
成熟したものは静寂である。だから、大人しい。
熟しきって、種が身になり、継がれて、後の世に出る。

達成したものほど、常に怠ることが無い。
努めて励むが常である。たゆまぬ精進努力。
‘敵は我にあり’は正しい。

足ることを知るものは豊かである。
欲しがるものは貧しい。
物惜しみするものは更に貧しい。
貧しき中から分け与えるものは更に豊かである。
物はつかのまであるけれど、こころは本質である。
こころなくしてあるものもない。
こころをみがき(摩き)本物となる。

大勢の人が行き交う街角に立ち、乞食をする。
施しを受けるごとに、有り難さにひたすら頭を下げる。
慢心をなくすためにとして、こころは摩かれていく。
何を目的として、何を思うかで・・・。
愛しみはまれにやってくる。だから、有り難い。
ただじっと、大人しく立ちつくす。
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無明をやぶれ

2006-08-27 | Weblog
一生懸命勉強して、努力して、苦労して、それなりに富を得た。
生活は豊かになって、不自由とするものがあんまり無い。
一丈ほどの空間があれば間に合うものだが、富に任せ、必要以上の広大な空間を独り占めにする。
広大な敷地に大きな屋敷を構え、二、三人で暮らす。使わないもの、使われないものがほとんどを占める。
それが自由を得たようで、誇り、幸せと思うものだ。
その誇りに綻びる。綻ぶために隙間ができる。
隙間は大きくなって、やがて取り返しができなくなる。
つもりつもった誇りは埃のように風に舞、跡形も無くなくなる。
物は無常であるために、無くなる。
どんなに幸せだと思っていても、間違っていれば病気になる。
物質的に富んでも、病ははびこる。病に犯されて苦しみ悩み、やがて亡くなる。
趣くところは、病のなくならない世界という地獄。
物質的に豊かになったら、なった分、独り占めすることなく、分け与えていくことである。
それは自然にかなうこと、道理に合うことであるため、徳となる。
常住の幸せを得る。道理に従えば常に道理に守られて、災いを免れていく。
病気になる事も無くなっていく。例え病気になったとしても大事に至ることはなく、消滅する。
この世でもあの世でも幸せを得る。縁であるために。

どんなにすばらしい人であっても、無明であれば、行き着く先は不幸せ。
‘情けは人の為ならず、めぐりめぐって自分の為’と言われるように、
困っている人に出会ったなら助けてあげること。自分でできる限りを尽くしてあげること。‘できる限り’がだいじ
理であるために。
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チャンスを生かして

2006-08-26 | Weblog
生命は輪廻する。
今の人生は一度きり、だから一生。その前の人生も一度きり。そのまた前も・・・。
と、前世、そのまた前世と生命は転生を繰り返してきた。
その繰り返しのつながりは縁によってつながっている。
絆は変化の過程を得て、果として現象する。
変化に応じた果となる。

一生を終えて次の一生を得るまでの間が死後の世界。
時間も空間も無い世界で、人生経験の記憶で創られている。
永遠な世界であるために、縁によって再び母体に宿るまで、そこで生きていく。
因果応報の世界である。
縁によって、再び母体に宿るのも苦しみである。
子供のうちに死んでしまうと、数年で生まれ変わる。
人としての人生経験がないためである。

生まれてくるのは苦しみである。生きていくのは苦しいことである。
この世にいることが苦しみなのである。
この苦しみから逃れて、転生することの無い世界へ、そしてその世界が幸せな世界となるために、成るまで、生死をくりかえす。

縁を知り、智慧を身に付けていけば果然となる。
何のために生きていくのか、生きているのか、生きたのか、
なぜ善いことをしなければならないのか?
まだ、わかりませんか?
分かるまで、因によっての果として生じてくる。それは、けっして
しあわせなことではない。
今の人生が、例え幸せだと思っても、転生を繰り返す身のうちは、苦の中に在る。
でも、チャンスを得てもいるのだが・・・。
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判断

2006-08-24 | Weblog
法則には善悪はない。
人が善悪を判断している。人の善悪は、
自分は善で自分以外は悪と判断してしいる。
この判断の誤りがすべての判断の誤りとなっている。

誰しも自分というものを肯定して生きている。
他人との優劣をみて、他人に負けたくない、一番でいたい、一番になりたい、
一番でなければ・・・と競いたがり、競う。
その負けん気に覆いをかぶせて、共に歩もうとうわべを繕う。
これが社会。小さい頃から、この教育を受ける。
人の上にたちたいと思う心が、どうして共にあるべきことなのか?
人よりも・・・(云々)というのは、差を願っていること。
自分だけは・・・としている我欲。我欲は煩悩、悪である。
この悪の蔓延している社会が正しいとなっているために、住みづらい。

法則に差はない。後先は無く、高低もない。円であるために。
差を望む心が、法則に反しているために、摩擦となって悪となって苦しみが創られている。
法則は円運動であるために、どこが始まりで、どこが終わりであるというけじめが無い。どれも同じ状態に在る。
この差のないことを理解し、自然であるべきと智慧を持って思うこと。

人も自然である。そのために、人の行為もすべて浄化の行為となっている。
体内も休むことなく動いている。循環している。滞ることが無いために生きていられる。
止まることのない動きである為に、人はじっとしていることはできず、常に行為となっている。
人の行為が経験となって、人生となっていく。行為が浄化の行為であるために、
行為が誤ると、誤った浄化の行為となって経験となっていき、誤った人生となって、誤った死後の世界となっていく。

心の思う誤りを正して、常に身を調えて、智慧を保っていかなければならない。
この努力が縁となって報われて、天国がつくられる。
更に縁を究めて、解脱となって、輪廻転生から離れ、永遠の天国で生きていける
生命となる。

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正しく思うこと

2006-08-23 | Weblog
ナイフ、それ自体 善悪はない。
正しく使えば実に便利なもの。間違った使い方をすると凶器。
使い手によって良くも悪くもなる。

法則に善悪は無い。善悪が無いために、絶対善の動きとなっていて、
浄化の動きとなっている。
くるくる回る動きは浄化の動きであるために、すべてが浄化されていくものとなっている。
地球もくるくる回っていて、その変化に対応して自然となっている。
だから、自然は浄化されているために美しい。

円運動は浄化していくものであるために、すべてが浄化されていきゼロにもどる。
円運動は、始まりも終わりも無いものとなっているためにゼロの世界となっている。
この円運動が宇宙を作っている法則である。ゼロになる世界。
ゼロとは、中がうつろでふくらんでいるもの という。

諸々の法則であるために、すべてがこれにしたがって成っている。
絶対唯一の法則で常住である。
この常住の中の変化として諸行無常となっている。
そのために、変化しながら、変わらない明日がやってくる。

この法則がエネルギーの円運動であるために、無くなることのない動きとなっていて、生命もなくなることが無いとなっている。
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2006-08-22 | Weblog
自然を身に付けるとは、道理に従うこと。
道理は法則であり、法則はエネルギーの円運動である。
すべてがこの法則で存在となっている。
だから常にくるくると回っている。
宇宙も太陽も地球も、あらゆる存在が止まることなく回っている。
静止しているものは一つもない。
エネルギーが円運動となっているために、この運動の変化が
時間と空間を生んでいる。だから、時間は円運動となっていて常に元に戻る。

夜空の星たちが、いつも同じところに見えるのは、宇宙と共に同じ速度で動いているから。その速さは光の速さと同じ。
宇宙全体が同じ速度で回転しているために、止まっているように見えるだけ。
その中の一つ、銀河系、その亦なかの太陽系として地球は在る。

太陽が東から上り西に沈む、この狂いのない円運動があるために、
人は、まわって動いていることを知ることができる。
太陽が無ければ、動いていることも分からない。まして回っていることさえ。

この太陽の運行が絶対で正しいものであるために、日が正しいと書いて是として、
法則を示している。

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生命は死なない

2006-08-21 | Weblog
人の感官は未知なものがある。
それは、予めることだ。
なぜ、前もって分かることができるのか、今はまだ分からないでいるが、
それは、自分を自分が知らないように、というような感覚で存在する。
未だ、人は未知数のまま。

何もかも分からないでいるために、信じるものを誤ると、何もかもが誤っていく。
基準が無いために、誤っても誤りであると正すことができない。

物事を客観的にみようとしても、そう思うことが主観であるために、
どうしても、客観的には見られない。

自然は常に客観である。
法則であるために。
だから、自然を身に付けることで、はじめて客観視できるようになる。
それが智慧である。
智慧は、過去を知り未来を計り、そして見ることができる。

釈迦もキリストも法を知り、そして 見た。

未来を見た人は言う。
一人は、愛するものをつくるなと言い、
一人は、愛しなさいと言う。
一見、正反対のことを言っているようだが、どちらもまったく同じ意味のことを言っている。
分かる人は、実に救われる。

近い将来として、すぐそこまで人類の滅亡はきているという。
誰一人生き残る者はいないという。
なのになぜ、分かる人は救われるというのか?

それは、死後の世界が在るために。





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予め、悲しいこととなる

2006-08-20 | Weblog
前にも日本沈没の映画があった。
今また、新しく日本沈没の映画が話題になっている。

漫画もそうであるが、映画も程度未来を読んでいる。
荒唐無稽とも思われる事柄に、突然起こらないとも限らない事象に対処して、
心の動揺を少しでも少なくできるよう思惑を含む。

2001年宇宙の旅、あるいは未知との遭遇など、これからありうるかもしれない事柄に、少し前より心を構えさせる。

予め、

日本は、戦後61年経った。その頃、今ある携帯電話など夢の夢、ところが、
僅かな時間の流れの中で不便が便利になって、夢が象(かたち)になっている。
当時から構想はあったとしても、相当の計らいがなければできてこない。

10年一昔というが、時間の流れはありえないと思う事柄を、その流れの中に現実にあらわす。
まだ61年、もう61年、あっという間に61年なのに、これだけの進歩、進化。
そして、想像もできなかったことが、想像もしなかったことが
現実の中に少しずつ、或いは足早に現れ始めている。
便利を追求する進化の裏返しに、この100年ほどで歴史は終わるようだ。
世界中に現れる地表の変化は、人の歴史に終止符を打つ。
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