つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

能力の記憶

2022-12-29 | Weblog
死んだら終わりとする意識の誤りが
自身を物理に閉じ込める。
意識は物理に非ず。その法則に縛られることは無い。
縛られるのは、肉体が生命であるとするからである。
肉体はただ魂を入れる物に過ぎない。
魂は肉体経験の感覚を得て成長する。そのため肉体経験は大事であるが、生命そのものではない。
魂が生命である。
魂が大人として成長すれば、もう肉体を必要とはしない。
成長しないうちに肉体が亡くなれば、何度も生まれ変わってくる。
魂が肉体経験の記憶を思い出し、成長過程より引き続き学習できれば、
成長の完成は早まる。成長の完成度が高ければ、生命エネルギーの輝きはまばゆく、
物理的肉体に頼ることは無くなる。すべてが意識の現象肉体となって、制限のないエネルギーとして
存在できる。輪廻から解脱となる。まったくの自由意識体生命エネルギーとなる。
その形は、光の玉の様。
それを全知全能というが、全知となるために存在の意味を失う。それゆえ、
存在の意味を失わないために、全知を忘れるふりをする。そして、
忘れるふりをしていることを忘れてしまう。
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逆転・粛々と現れる

2022-12-28 | Weblog
目覚まし時計が鳴ろうとしている。
目覚めた人18%、まだ眠り続けている人82%。
年末年始をまたぎながらあと2%が目覚めようとしている。
この2%が目覚めたとたん、世界が変化する。ある意味普段通りに見えていながら、
以前に起きたようなバブル経済以上の喜びが大衆に湧き上がる。
それも、泡のごとく消え去るというのではないために、
現地上の地獄の様相が浄土と化すに至る。あまりにも不思議なことであるために、
今までを謳歌してきていた者たちは、たちまちのうちに奈落の底に向かう。
奇跡と言うのは言葉にあるように現実にも作用する。これは全く不思議なことである。
この現象を現実であるとする心の思いこそ真実となる。やはり、善い心の人はいるものである。
この好いことは、人知れず進んできて、とうとう広く知られることになる。
善い事というのは、そういう時を得て成就する。
人間であるというのは、根本性善エネルギーで生きている。ただ、眠らされているものが多いに過ぎなかった。
これからは進化の中で、過ぎ去りし時は戻らない。だから、
正しい世界が現象する。「過ち」から学習した時を得て、過行く時の分岐点に差し掛かる。
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あざなえる禍と福

2022-12-27 | Weblog
邪な心で成り上がってきた人達の更迭が諸出しとなって続く。
虚飾はいつか暴かれる。露呈に暴露は悪事につく言葉。
おおよそ三度繰り返される事柄も、それ以上は繰り返されることなく新にとって代わる。
糾う縄のように禍福はある。どちらか一方だけ受けるという事はできない。だとしたら、
福の中にあって、進んで浄化の行為をしていくことである。例えば、掃除である。
日常、行うべき身の回りの整理整頓に努める。放っておけば「芥」はたまるものである。
たまっていけば害を及ぼす。
ちなみに、灰皿はたまればたまるほど汚くなるものだ。お金もたまっていけばいくほど心が汚くなっていくと言われる。
全ての事柄は流れて、一時もとどまることは無い。とどまれば淀み腐り匂いを放つ。やがて、
周りに害を及ぼすことになる。
お金は貯めるものではない。使ってこそその役目を果たす。だから、お金はお足ともいわれる。
足をつけて流れ去って行って綺麗になるものなのだ。
ま~何事も、ネガティブなことにポジティブに対処していくことで、福の中に耐えられる禍(負)を作り
進んでこなしていくことである。そうすれば、糾える禍福の中にあって福のみを謳歌できていく。
この地球は地獄の様相であるが、その中にも仏はいるもの(つくるもの)である。
これからは変わる善く変わるとする思考は要である。
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霊妙

2022-12-25 | Weblog
魂という気(生命エネルギー)は、物質的肉体に宿り、
外部からの刺激を受けてその感覚を知る。
ほぼほぼその感覚に迷わされて惑うが、肉体がなければどんな苦痛に
悩まされるというのか?悩まされるのは肉体があるからである。
魂は精神的生命エネルギーである。それが意識であり思考である。
肉体が無くなっても、肉体経験の記憶のエネルギーの統一されたエネルギーが想念となり、
想念が生命エネルギーであり心となっている。
肉体経験が誤った経験の記憶となっていれば、誤った心となり、その心の判断は誤った判断となる。

意識は物質的ではないために、物理で判断はできない。意識には死というのは無い。
連綿であり永遠である。
エネルギーそのものは円運動の性質であるために、無くならないものとなっている。
これがエネルギーで作られている世界であり、宇宙もそうである。
エネルギーの円運動の法則で作られている世界である。

意識に死がないために、肉体の死(変化)が理解できず、理解できないことは恐怖となっている。
だから、肉体の死後の世界が恐怖となって地獄が作られていく。何も知らない(無知)ということは恐怖なのである。
これは意識である生命エネルギーが、肉体が生命そのものであると誤った認識をしてしまったためである。
意識に死がないために、経験とならないことは想像でしか判断できない。
意識は精神的であり物質ではない。それゆえ物理で判断する意識の過ちが作る現実は死が地獄となっている。
エネルギーはその自由によって永遠である。これが存在という事である。
だから、エネルギー存在である物質も根本は無くならない。ただ形が変化していくだけである。
それが劣化していきやがて消滅したように見えるが、変化していっただけである。
私達は、あるがままに見ているが、あるがままに見ていてその深遠を知らない。
エネルギーの法則は増えもしないし減りもしない。
増大しているように見えて縮小しても見える。それは、方向が違えば違うように見えるだけである。
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入れ替わるとしての大衆迎合の起因

2022-12-24 | Weblog
我慢を強いられてじっと耐えているもののそろそろ限界にきている。
彼らもまたそこのところをよく見極めているが、少々度が過ぎたようだ。
何事も過ぎると言いうことは修正がきかなくなる。つまり、作られた過去は消すことはできない。
その時間線上には永遠に残る。創造されたものは無くなることが無い。ただ形を変えて存在しているものの、
技術的にはその過去の位置と空間にさかのぼり、
記憶を回復させる大きな電磁ショックを与えれば、当時の姿形が甦るのは可能である。
それはエネルギー的魂の存在、その記憶は連綿だからである。記憶はいつのころから立ち上がったのかというのは、
魂の存在が「そう思った」とした時からである。その時間はあるでも無い無いでもないという間であるために、
永遠の中に位置している。「そう思った」とするのが始まりであるが、それは個のエネルギー(魂)の刻みである。
そのために、どうしても明確?に数字を表したいとするなら、デジタルとしてではなくアナログ的に64兆年という地球時間経過であった。
他の魂(エネルギー)からはそれぞれであるために、無量大数として記すでけである。
永遠の中にそれぞれの始まり「そう思った」時からであり、そのはかり方の術はまたそれぞれである。
(私達という)魂のエネルギーでは、波長の同調共鳴と非同調の流れの中にも混在する。
この宇宙は唯一である。百千万劫難遭遇なのである。
そのエネルギーの存在生命は異種ではあるが、ほぼほぼおなじ動機である。
基は一つであるが孤独ではない。あまりにも生命に満ちている。
(私達とする)魂には、まだ過ぎたるは及ばざる如しとしてある。
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永遠・無くなることが無い

2022-12-23 | Weblog
便利は不便を忘れるけど便利になるほど不便にやられてしまう。
その不便さに非常に応えて、絶命に至る道を足早に進む。
私達は一見頑強に見えても、脆弱な肉体に宿り多くの制限を受ける。
心が肉体に変わって、様々な縛りを受けると錯覚をする感覚は現実として受ける。
そのために、永遠という事を失う。
心は「気」である。エネルギーである。
エネルギーは円運動の法則で動いている(存在)しているために、無くなることがない。
無くなることがないために永遠である。永遠であるために、そこには時間空間は無い。
無いとする思考によってあらゆるところに存在する。自分の思考によっての姿形を表す。
だから、位置と時間の特定は皆無である。他の存在が自分を特定できるのは同調共鳴である。
その思考能力は、永遠の中で学んできた同調共鳴技術でしかない。
エネルギーの波長はその性質の格付けにあり、永遠に学んだ思考能力(どう考えたか)の質にある。
エネルギーの法則はゼロという無の存在である。そのためにあらゆるものは変化していながら無くなることは無い。
変化は浄化であるために、常にゼロに戻る、つまり無の存在となる。
「無」の中に何を創造するかは自身の想像(幻想)である。だから、「無」の中身が重要であり有用である。
現実は自分の無知から生じる「虚」であるとする「無」の源泉、自分と共鳴する波長の結果。
この結果は消滅はできないが変えることはできる。
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退屈凌ぎである(ゲーム)を思い出せ

2022-12-20 | Weblog
人間退き際は大事である。

精神を諦かに見た時、精神の動きの不動の源を知る。
物質的に考えるな。精神的であることを心得よ。
人は心に付き従い心によって動くものである。
心が大事であるからとしての肉体である。
この順番に無知であれば、貴方は肉体になって物理の制限を受ける。
思い出せ。思考に壁はないのだから。精神は自由である。
自らに由ることを思い出せ。すべてはそれが本物であるのだから。
自分を騙してはならない。自ら作ったゲーム(罠)であることを思い出せ。
想念に制限は無いのだから。自由に操られるな。
全てを知るが故の罠にはまるな!
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根本善である

2022-12-18 | Weblog
来年早々、政治は変わる。
国民を無視した政策は転覆する。そんなことは無いと高をくくっているのだろうが、
それは起こる。世の中というのは皆繋がっているために、それを無視していくと、
必然その反応は起こる。相反する反応というのは一方的という事は無い。
曲線的な変化の中で空間の位置が特定され、ピンポイントで起こる。
「なんか変だ」という反応が動力であるために、ピンポイントで的に当たる。
それは不思議なことである。今年の反応が来年に繋がっての間もなくである。
秩序というのは正しいことだ。新しい秩序古い秩序というのは人々の心の中の秩序。
法則の秩序は少しも変わらない。
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非道

2022-12-16 | Weblog
テレビ、新聞、ラジオなど情報伝達はとても社会に影響を与える。
無知にして、意図的に方向性を持たせることができる。
特に権力の圧力というのは、表向き慈善的装いであるため、裏は大いに見ることは無い。
見ても信じないという頑なさに覆われている。裏というのは表とは正反対(粗雑)にしてある。
一見見分けがつきがたいが小分けにしてはっきりわかるのである。
自信喪失、忘却の彼方へ…洗脳の目的である。
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思い出す事

2022-12-15 | Weblog
肉体的感覚に騙されないで、心という感情を大事にすること。
感情を研ぎ澄まして外部の刺激に対応すれば、その変化に正しく応対できていく。
因みに、私達は不死の魂の生命体であることを念頭に入れて!
これが理解されていなければ、肉体的感覚に囚われて、霊魂を知ることがない。
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