つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

タイムトラベラー

2023-09-30 | Weblog
任期満了が近づくために、選挙対策として、
命短し年寄りたちの気を引き寄せるために、生かさず殺さずの金をばらまく。
気寄せは諦かに分断にあり、マスメディアだけしか情報のない人達は、
ことごとく影響されて疑う術も無し。様々に情報媒体の環境を得ている人は、
まだしも、嘘と本当を選り分けられもするが、それでも、巧みな工作技術によって、
現代の映像すら真贋にあるため、擬態を見破ることは難しい。
その選り分けを的確にできるには、道理に由る知恵をもってして適う。
秩序というのは、自身の経験により識した知によって
恵みとした意である。貴方が「良」であれば、正しく秩序にあるために、
間違うことなく真贋が知れる。直感が効く。
快・不快、その感情は的を射る。「えっ?」と思う変は、怪しい。
特に今の社会、「えっ」?「えっ」?「えっ」?と思う変な状況に持って行こうとする者たちを、
否応なしに崩壊に導く。
いわくある宗教や政党、自・公は壊滅、衆・参にして極小、本物とする志だけが残る。
ここ数年の先の現象を、今という時をもっては、誰も追いつくことが無い。
荒唐無稽として処理される。
原始の時代、懐中電灯でさえ不可思議である。

因みに、意識は量子にしてタイムトラベルをする。
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地獄行きの人達

2023-09-29 | Weblog
内閣改造どころか、改悪される一方。
気違いばかりが集まっての茶番劇集団。だから、国民は虐げられるばかり。
司法、立法、行政が正しく機能していないのは、金に群がる欲の人達で構成されているからである。
諦かに既得権益を守る慾の塊集団。実に厚顔な人ばかりで、その組織の人達は常識はずれな人たち。
あまりに異常な組織となっている。
絶望にある国民の意識はお先真っ暗。ただ、希望があるのは、
他人を虐めている人達は悪事として、悪いことは悪い目に合う道理になる。
悪事は悪事にあうもので、、その道理に由って裁かれる。これは必然である。
人々を助けられる立場にあるのに、助けないでふりをするだけ、これは、極悪。
彼らは、この秋から冬にかけて、粛々と入れ替わる。この組織、解体される。
ある者は体を壊し、ある者は自業自得の悪事が祟り、地獄に落ちていく。
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最近より、約10年ほどの幸

2023-09-29 | Weblog
釈迦は、実在の人物である。
悟りを開いて、人間としてただ一人神となった人である。
それを証明しているのは、観音と言われる菩薩、仏の啓示によって理解できる。

釈迦の予言は、「そして誰もいなくなった」ことに行き着く。
それは、90億人の世界人口とならない内として語られている。
だから、あと10年と満たないと思われる。
宇宙に散りばめられた八十数億の魂は、彷徨うものと、また、思い出して
それぞれの生まれ故郷である星々に帰るものとに分かれる。
彷徨う魂(意識)は、地上に戻ってくる。戻ってくれば、物理に縛られ、
束縛の内から抜け出せなくなる。抜け出すには「気づき」、意識の気づきによる覚醒をしなければならない。
その気づきは「量子的存在」を意味する。
曖昧にして奇跡と思う事を具現化するには、自身に覚悟を持てば適う事であるが、
その覚悟を理解できていなければはなはだ難しい。

この地球にやってきたのは、それぞれの魂(意識)の気づきによる縁であるが、
なるべく気づかれないようにと短命なる寿命として与されている。
気づく、お思い出す、迄に行かないうちにリサイクル(頻繁に元に戻される)。
ある意味、隷属にある資源発掘の労働力の活用の為の意識。だから、地上では、
「搾取」という事柄で存在が巡る。
地球は、とても重い力で囲われている。それは意識の段階(レベル)にしてとても低い場であるため、
なかなか抜け出すことは難しいとなっている。人間が家畜を養うようなものである。
高低の差は、意識レベルによって、囲われている。
その意味で、地球は「動物園」、養殖場の様である。
人間が家畜を餌として、そこに何の悪意を感じないように、そして、当たり前として
善顔をして暮らしている。その根本は習慣、慣習として正されることは難しい。
地上の正義は、習慣によって為されている。
繰り返すことの義は、正しいとして記憶されているためだが、
エネルギーの法則の義は、繰り返しには無い。


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思い出す、全知全能の自由の哀しさ、知る人ぞ知る

2023-09-28 | Weblog
2032年8月頃、とっても暑い日と記憶される。
地上に誰もいなくなった状態が示されている。
これは、このままでいく時間線上の事柄である。
これは宇宙的時間にして一秒に満たないほど刹那である。そして、
数十万年後、或いは数百万年後の地上に再び植物が再生され、
緑豊かな地球が誕生している。その世界は現在よりとてつもなく進化した世界であるが、
住まいは寺のような建造物で、侘び寂のきいた景色を持ちながら、とてつもなく進んだ科学でもって作られている。
全ての構造物は、意識でもって動き、「気」でもって形作られている。そのため、
形あるようで形は無く、たとえて、水のようなしぐさと空気のような振舞をする。
一見、蜃気楼のように、陽炎の様に感知される。
今の人知では及びもしない構造である。それが、意識として動き、操作できるのであるが
エネルギーの法則に適う波動の存在でなくてはならない。それが正義である。
自由の進化系としての存在である。もし今現在認識できるとすれば、
パラレルワールド、並行宇宙的見方として捉えられるだけである。それ以上の
探索は理解しがたいことであるため無理とする。
ただ自然に流れる時間に任せるしかない。
時間は進む一方にして、諦かを為すのだが、
自身の存在がエネルギーの法則を簡単に理解するなら、
精神的にして物理を超えて、あり得ない事をあり得るとする自由の進化をする。
その時、自身は魂の不滅を心得る。
あまりに荒唐無稽な話として処理にあり、遥かには知ることである。
体を持たなくなった時の知恵の要である。

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隷属にあるもの、ただ不自由

2023-09-27 | Weblog
世界的な流行り病に悩まされて、上から目線的強引、傲慢とも思える命令が下された。
日本は令和時代、令に和まされる時代である。
「令」=きまり、おきて、命令の意の漢語的表現と辞書にある。
言われることに穏やかにして従う時代の趨勢は、奴隷にしようとする時代。
そのため、中枢にあるものに反することは、自由を束縛され弾圧されていく。
言論の自由然り、現社会の秩序、はたまた、昔から培われてきた義務という秩序、
戦後の混乱から、情報媒体の発展に伴い、うまく利用することに由る「洗脳」という教育が
習慣として浸透。その慣習、慣行は常識として刻まれた。だれも疑うことなく、
当たり前として構築されてきた。政府は嘘をつかないという常識。でも、過去を見れば知れてくる。
それは、ほんとうではないと。 
よろしくない変な習慣、慣習は打ち破ることは、はなはだ難しい。
大衆の意識とはそういう事である。これと言って定見がなく、日和見である。
いかに卑劣で軽薄であるかを知っていなくてはならない。
大衆のなかから成り上がり者に支配を任せると、ただ争奪による攪乱のため、
その社会自体の事の成り行きは滅していくことになる。
今という時代、盲人が盲人を誘導すれば深い闇の縁に落ちることになる。まさにその様である。

時代は進んで、便利を興じ過ぎて、不便を強いられる破目になる。
たとえて、人はほぼ楽になびくもので、して、立派に動く足があるのに、少しばかりの傾斜にも
エレベーター、エスカレーターなどの便利になびき、足そのものが退化していく破目になる。
運動する時間がないと言いながら、運動となる階段を使わず、安易に科学技術に興じていく。
やがて年老いて、車いすにお世話になってしまう。自分の足で、自由に歩けなくなっていく。
迷惑もまた、自分の心の無知から起こる。体(行為)は、心に付き従うものである。
だから、心して(心得て)、自分というものを知り、律していかなければならない。
若気の至りは道理にあり、仕方ないとしても、年老いて尚、角を立てて生きていれば、情けないものである。
百年生きても意味は無し、憎まれっ子世に憚るとはよく言ったものである。

私達は、便利を作る技術がすでにある。もの作りができるのである。
それは、お金によるのではなく、魂が求める行為である。
魂の求めは、代価ではなく、称賛である。作り上げることへの称賛にある。
その称賛は愛にあり、愛はただ無償にて愛である。代価にある愛は偽りの仮面。
その偽りの愛は、金融支配社会の洗脳にあり、正義として疑うものはいない。
だから、いついつまでも、奴隷として隷属にあり、金に使わっる人生となっている。
金を使っているように見えて、実のところ金の奴隷として生きている。だから世の中、
あなた方大衆の住む次元(世界)は、苦に満ちている。苦しむことで喜びが得られるとした実体験が、
あなた方を虜にして疑わない。苦しむことで喜びがあると信じる。

天の国、極楽には地獄は無い。すべて喜びである。
地獄には天の国(幸福)、楽は無い。すべて苦しみである。努力もなく一切の反省もない。
この世は曖昧であり、苦楽が共にある。
この感覚を共に記憶に残さないことである。

「お土産」として知人に差し上げるのは愛。
乳飲み子にお乳をのませるのも愛。すべて無償であるから生きていける。
この社会、今、死んでいく方が多いのはなぜ、と思いをはせることは大事だよ。

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一生之間能荘厳

2023-09-26 | Weblog
確かな現実が訪れる。
何かと変な世の中、と思う事が諦かになる。
今までの暮らしが、苦に満ちていたとするのは、自業自得とされて、
それが当然のこことして理解していた。その過去は、すべて誤りであったと気が付くには、
随分と長い間の時間を要したが、人生100年時代と言われる社会がやってきて、この一世紀の間に、
この誤りに気付く人の割合、ようやく真の存在の道理に適う割合,78:22と逆転に傾く。
宇宙の法則の正しい存在の割合である。2%と歪んだ波動は必然除去され、諦かな浄化が為された。
この浄化は、今年の春分から変化して、この秋分にて完了。
この状態を訝り、如何なものかと疑う心(意)にあれば、天網恢恢の疎にして、そのままとなる。
疎にしても漏らされずとなるには、信じることにある。浄化は自身の心を見れば明らかとなる。
これから、
景色を見よう。天に輝く太陽は、日のまぶしさ程暑くなく、希望をもってあなたを照らしている。
自身の心の高楼に昇れば上るほど、はるか遠くも見渡せる。それはとてもよく澄んでいて、きらきらと輝いている。
あちこちに草花が咲き誇り、見渡す限り心地よい。
それが今まで耐え抜いて生きてきた意への称賛、自身のこれからの生涯である。
引導臨終招極楽
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奴隷になるな、隷属を離れること

2023-09-23 | Weblog
稀な望みと書いて希望。
2024年から2025年、希望と挫折が明確に現れてくる。
今のままでいけば希望は稀なる望みだけに挫折となる。しかるに、今ある現状を鑑みると、
時局を鑑みて、「まさか」の驚きは、また「まさか」を覆いかぶせて「まさか」と驚愕させる。
希望は現れる。希望があらわれるのは、希望は事実を持つからである。
だから、そういう言葉が確かに言い継がれている。まして、希望を持つことは大事である。
希望は希望だけに久しく忘れてあるが、思い出せることである。それは自身がそう思う心にあるために、
それを意識することが要である。しまい忘れたことは、自身が生きている限り具現化する。
必ずして実現するからである。それは、自身の記憶の中のある引き出しに、いつの日か不意に、
或いは、忘れ持して引き出されるからである。記憶というのは生命エネルギーなのだから。
自身が死んだらどうなるかは、記憶の現象世界となるだけである。
それがあの世。魂という生命エネルギーそのものの世界。だから、自身の記憶の善し悪しにして、
あの世は繰り広げられる。その時、縁という事を自身は知ることになるのだが、一瞬である。
あの世では、もう現世の肉体は無く記憶の肉体であるために、新たに記憶が作られることはない。
あの世は記憶の現象世界なのである。それが魂という生命エネルギーの真実の世界である。
その真実の世界を正しい世界(法則に沿う世界)とするために現世に宿す。それは一切が苦しみとなっている。
生まれる苦しみと死んでいく苦しみを、生きていく苦しみを挟んで受ける。輪廻とはそういう事である。
だから、輪廻から解き放されなければ、永遠に苦しむこととなる。
現世に生まれ、輪廻からの解脱が生命エネルギーである魂の真の目的である。
その解脱方法は、自身の行為にある。心に基づいたその行為により解脱ができるか否かは決まっていく。
現世に生まれたことの意義はそういう事である。だから、正しく生きること。無知にして、誤ったら正していくことである
ただそれだけでよい。

さて、「まさか」という自由の世界が、自身の前に現れる時に生きているのは、奇跡と言うしかないほどの奇跡である。
この奇跡は、自身の幾多に渡る生死の繰り返しに由る記憶の積み重ねの縁に由っている。
確かに現世は、苦しみと喜びの織り成す世界。少なくとも、奇跡的変化をもたらすこのご時世に生きているのは、
好ましくある自身の魂の成長に由る。生きて御身魂を磨き上げた成果である。
そのために、決してブレずに、希望を捨てることなく自身を信じて生きていれば、この数年に起こってくる奇跡は、
自身の心を満たすこととなる。
あらゆる隷属を離れ、個(自身)を先生として学ぶことである。他に依存してはならない。








8を先生として

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堪忍は無事長久の基

2023-09-22 | Weblog
示し申すと書いて神とする。
自然は、いつも自然の姿、景色、仕草を示している。
あなた方の思う神というのは、自然を指す。
それを人格化し、創造主として崇め奉るが、すべて人の思いによる想像神。妄想でしかない。
あれこれと想像したことを事実であるあるかのように堅く信じてしまう心的傾向、つまり、夢想。空想でもある。
確かに、素晴らしい人は存在するが、超人という人は存在しない。
なぜなら、法則、道理を超える存在というのはあり得ないのである。
法則を超えてしまえば、存在とならないためである。
全ての存在は、エネルギーの下の存在であるために、その法則を超えてしまう事柄は、
存在とならなくなるためである。だから、人の言う超常現象というのは、本来存在しない。
ただ人の思い(意識)が道理(法則)に無知なだけである。日常ほぼ経験しないほど、
稀な現象なだけである。それは、マクロ的世界とミクロ的世界の動きの違いだけである。
地球上に適う法則は、宇宙空間には通用しないと同じである。

全ての存在は、エネルギーの法則の下の存在となっているのである。
マクロ的世界からの視点でミクロを見ると、人の想像を遥かに凌ぎ、人知及ばぬことを見る。
ただ人の知識がそこまで及ばないのである。無知にして私達は存在しているために、
常日頃、過ちながら生きている。だから、未来を今にして過去に換えながら生きるため、苦を負う。

自然は、自ら然り(しかあり)、自ずとその通りとして自然という。
その自然から分かれて、つまり、生み出されているために自分という。
自分の身に宿る魂が生命エネルギーそのものである。意識であり心と言う。
だから、その身は、心に付き従い、心の思いによって動く。
自動車を運転する人の心次第で、その車は便利に役立つが、悪魔にもなる。
それと同じように、人は心次第で、良くも悪くもなる。
意識(心)の違いで、良し悪しとなり、悪人善人と分かれるのだが、
エネルギーの法則には、そもそも善悪はもたない。善悪とするのは人の思いに由る。
だから、善悪がないのだから、悪を意識しないことである。
悪を意識しなければ、悪は存在しなくなる。
これと言ってよいこともないが、悪いこともない。すれば、それはよいことではないか。とする心持で幸せとなる。

たとえて、人は誰でも幸せになりたいと思う。思うのであれば、不幸せも受け入れなければならない。
なぜなら、幸せと不幸せは、紙の裏表の様にして存在となっているためである。
どちらか一方だけというのは、道理には無い。つまり、存在しないのである。
だから、不幸せになりたくなければ、つよくしあわせも望まないことである。そうすれば、幸せでいられる。(存在できるのである)
つまり、寿命までいられることとなる。
もう一度言う、幸不幸どちらも放棄することで、貴方は幸せである。
それができる覚悟は必須である。難しいことではない堪忍である。

私達は、量子的存在の集まりである。
だから、衆縁和合によって世界が現れてくる。
意識向上、アセンション、その数字は次元上昇、物事を考えたり話したりする立場や態度の高低の水準(レベル)のちがいである。
1から9まである。9は0でもある。



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出世間

2023-09-21 | Weblog
今の社会は、悪いことをしている人が出世する。
今まで起こった事件は、「まさか」と思うほど有名な処や人たちが多い。
清純な顔立ちをしていて、ふしだらであった、などなど。
法的順守にありながら、裏の顔があった。
正義面した悪の顔は、違和感を覚えるほど端正である。
言葉遣いも振舞もぬかりなく見えるが、違和感を覚えるのは、際立って「ぬかり」に注意があるからだろう。
人の世は、「公明正大」を重ね重ね言うと、逆を気づかせる。
「ボーっとして生きてるんじゃないよ!」って、5歳のチコちゃんも言っていたなぁ。
世の中は、気づく人と気づかない人がいるんだな。と、つくづく我が身の老齢を省みる。
どんなにいままで「まさか」の驚きを見聞きしてきただろう。これからももっとすごい「まさか」の坂を見るような気がする。
二度三度、はたまた再三再四と、
こう見ていくと、悪事を為していた人たちは、出世している。
世に出ているが、ただ偽善だった。世に出るもの疑うものあり。
ほんとにこのままいけば日本社会はつぶれる寸前。
善いことはひっそりとして、ほぼほぼ世に広まりにくくありですからネ。
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気づくことの要諦

2023-09-19 | Weblog
有名企業の正義が試されている。
まさか?あの信頼にある企業、団体が道徳を試されているとは、と
言う事柄、いや事件が頻繁に起こっている。
まだまだ起こる。本当は正義にあると思っていたところの信頼が、いとも簡単に崩れ去っていく。
まさに世の中、社会は欺瞞に満ちていた。これから、さらに司法、行政、立法の正義が明らかになってくる。
そんな事態が起こる。
今までも人倫に反したことが多く見受けられたが、皆目黙していた。これからは、
本当の姿の一致、不一致が見て取れる。
それは、人の思いにある善悪の姿があらわれてくる。仮面が多く剥がされる。
春分の日より、粛々と進んできた粛正は秋分の日をもってその方向性が諦かに見えてくる。
特に綱紀粛正は顕著になり、エネルギーの法則の質に適う。
エネルギーの法則は、善悪のない法則である。特に善いことはないが悪いこともない。
悪いことが無ければ善いことであるとする法則に沿って、その道理とする。
今までの起伏は、人の善悪の誤りである。その誤りは、法則によって正されていく。
必然、道理、その波動、波長に適っていくのが存在の法則である。
過去、何度となく無知ゆえに滅せられてきた生命エネルギーのとある魂達は、
ただしい波長の流れに同調して報われていく。魂(生命エネルギー)に死は無いためである。
幸不幸のどちらも望まずして、幸いである事の気づきは、善悪を持たない法則への要諦である。
さて、人類の意識にある善悪の判断はどちらに傾いていくのか?これから知れてくる。
まさかあの人が?あの人たちがと自身の意識の頑なが、崩れる。
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