つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

性愛

2010-03-31 | Weblog
色艶を求めて愛するものとし、好きだと語りあう。
好みという愛から深愛は始まり、
切るに切れない情が舞う。

愛し合うことが穢れなら、
そこから生じる命は悪なる結晶。
悪魔な子ということになる。・・そんなはずはない。

互いに愛し合って結ばれた命は、愛の結晶。
幸福な子。
性愛は本能行為。愛しみの行為。正しい行為。絶対善の行為。
愛しなさい。幸いとなるために。
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あの世の幸せのために

2010-03-30 | Weblog
幸福は現世にあるものではなく、求めるものでもない。
人生は来世を求める為にあるのではなく、あの世の幸せのためにある。
つきつめて、未来世を作らないためにある。
母胎に宿り、再び生じることをなくすためにある。
人生は苦なり、苦そのものなりと思いて、
苦の消滅のために人生はある。
そのために、廻ることを知り、縁を知り、これらが法であることを悟ることである。
生きることはただ苦しみである。苦しみの中からのみ楽が得られるものであるために、
人生があると知ることである。
生きて、その苦しく切ない想いを味わい、気づく為に生まれた愚かさを
一遇の機会と覚り、その機会を生かしてこそ苦は滅せられていく。
永遠の生命の安楽を得るものである。
人が生きるとはその為にある。
泥の中より生じる大輪のはすの花は、悟った人生の姿を表している。
泥は人生であり、大輪の花は
その中から得た幸果である。
努力は苦しみでもある。努力すれば望んだものが叶えられていくように、また、
それに近づいていけるように、
苦は楽を得られるための苦として、
望みできる苦を選び、望まぬ苦を受けないように、
一切皆苦を生きていくことである。
生じた愚かさを、有難き機会ととらえて。
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哀れなる未来

2010-03-29 | Weblog
季節が変調をきたし、にわかに地が揺さぶられ、
自然は少しずつ淘汰を明らめはじめていて、これから数年
その猛威を振るう。
この時に生きている生命は、
運命共同体となって、善し悪しに関わらず犠牲となる。
清浄なる自然の法則に則って悪なるエネルギー体は一掃される。
地球上の生命体のリズムが、影響を受け狂い始め、人為的ミスによる災害も増える。
これらは、宇宙の法則の予言である為に、避けることはできない。
確実におこる未来となっている。
私たちは実に、偶然の中の有難い中で生きているものである。
法則が少しでもずれてしまえば、ありえないものであるのに、
怖いもの知らず、わがままに生きている。人の歴史は、
僅かな僅かな時の流れのはなしである。
哀れなる未来をつくっているのは人である。
無知なる野蛮人という名を持って。
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歩く

2010-03-27 | Weblog
できるだけ歩くことをこころがける。
15分ほどの時間を早足で歩く。その帰り道は
のんびりと歩く。5日間ほど続け、2日間休む。
それを習慣としてしまうと、
歩くことが苦にならなくなってくる。20kmほどの距離も苦にならず、
歩けるようになってくる。特に5kmほどの距離ならまったく苦に思うことなく、むしろ
体力向上につながる思いとなって、喜んで歩いていこうとするようになる。
面倒と思う気持ちが無くなっていき、何事にも自分を頼ることに
自信が出てくる。他に頼ることを思わない為に、迷い悩むことが無くなっていき、
苦を感じない。
そのようにして、面倒と思う気持ちを消し去っていくと、
明るくなっていく。道は開かれる。
開かれていくから、益々明るくなっていく。

千里の道も、はじめの一歩からである。今という
行動から変化していくものである。
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自然治癒力

2010-03-26 | Weblog
エサを与え続けられた動物は、
エサを与えてもらわなければ生きていけなくなってしまう。
本来、自分で食べるものは自分の努力によってまかなわれるのが自然、
道理である。
他に依って自分という生命が維持されるのは
至極不安。他を気にしながら生きていくことになるため、
他にゆさぶられ自由を失う。

自然治癒は人にもあるが、外部から補われ続けると
その力を退化させる。予めという防御が過ぎると弱くなる。
他に依りすぎてしまうのは、苦に束縛されてしまうことになる。

他に依らず、自分に依れ、道理に依れ。

頼るものがあるからこそ、頼らず が 安心を得る。


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身体によい

2010-03-25 | Weblog
朝は歯ブラシをしてから食事をする。
食事の後は歯ブラシは極力しない。
夜、就寝前には必ず歯ブラシをする。
歯ブラシはそれだけで良い。
この方法が一番歯をよく守る。

朝、食事の後はお茶を一杯飲むと良い。
10時ころには一杯のコーヒーを飲むと良い。
2.3枚のクッキーを食べながら。
昼には、食事のあと、お茶かコーヒーを飲むと良い。
3時ころには、また一杯のコーヒーが良い。
僅かに甘味なものを食べながら。
夜、食事のあとに直ぐのコーヒーはよいが、それも僅かに。
その後はコーヒーとかお茶類は飲まないほうが良い。
就寝直前のコップ一杯の牛乳はとても好い。おなかの弱い人は、
極力暖めてゆっくり飲むとよい。老若男女に関わらずとても身体によい。
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今後

2010-03-24 | Weblog
廻り廻って・・・・。
時はめぐり、時代はめぐり、歴史は繰り返す。
一日はめぐり、私は、「いってきます」といって家を出、「ただいま」と言って家に帰る。
同じ範囲を廻ってもどる。
一日は、昨日と同じ事を繰り返し過ごす。
少しも変わらない昨日と今日とそして明日。
ただ繰り返す。ただただ廻って戻る。
巡ってくるために、行った企みは報いとなって戻る。
善いことはよい果となって、悪いことは善からぬ果となって、
善いことは必ず報われて、悪いことは必ず報いとなって訪れる。
悟ることである。
今が後につながることを。
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心経の功徳

2010-03-22 | Weblog
般若心経の功徳は
死に行くものたちの苦をよく除き、あの世と未来世において
希望を抱かせるものである。
なぜ、善いことを行うことによって幸せとなっていくのか、
悪いことをしてはいけないのか、その理由を知ることができるものである。
廻る運動が縁をつくり、すべてが繫がっていく動きとなって法となっている
ことがわかってくる。
般若心経を正しく理解すれば、凡人でも救われていく方便を知ることができる。
煩悩多き私でも。
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心の自由

2010-03-21 | Weblog
般若心経は、読誦のため写経のためにあるのではなく、
無知、無明なるが故に、迷い過つ多くの人々の心のあり方を訓えている経典である。
観自在菩薩のあの世から語られているもので啓示である。
舎利子が釈迦の説いた修行が縁となって啓示を受け、介して
舎利子の口から話されている。舎利子の意識ではなく
菩薩の意識である。
この世とあの世は変わることの無い世界であることを教え、その内容を簡潔に説明しているものである。
舎利子として名を挙げているところから啓示は始まり、「以無所得」の語りまでである。
その前後の偈文は舎利子本人の語りである。心経の文字に礙げられることなく、
心の持ち方をどのようにすれば
悟れるのか、心の自由を説いて、
修行をされなくても、知識や信仰を持たなくとも可能であることを説明した。それ故に大神呪、大明呪、無上呪、無等等呪と説かれて、
一切の苦を除いていく呪として広まっていったことを述べている。
心経の文字を正しく判断するのは心の自由である為に、その判断は智慧によって為されていくものであり、
智慧の判断が誤ることの無い判断となるために、智慧を備えることを教えている。
智慧は自分の経験からくるものである。
知識は他人の経験を正しいものとして習うものである為に、
教えられても忘れてしまう。

くるくる回るというのが法則である。法則が道理である。
この道理を知り、法を身に備えていけば智慧の判断となっていく。
誤ることの無い判断となっていくために、あらゆる事柄に即断となっていく。
考え迷うことが無い為に、災難にあったとしても瞬時さけられるようになっていく。
過つことが無くなっていくものである。
それが般若心経の訓え、心の経典といわれる所以である。
智慧を備えた心で行って、心経は強い効力を示す。

今の心経は、読誦のためのお経となっている。


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共存共栄

2010-03-20 | Weblog
競って生活をするものではなく、助け合って生きていくものである。
機敏でない者には手を差し伸べて、気付き遅れるものは導いて、
気遣い足りないものは諭しながら、良いことの分かち合いをして生きていくものである。
一番ではなく唯一であることが大事で、
「その人よりも・・・」と思わずに、「人と共に」が幸となる。
富みあるものが施すことは当たり前で、特段、徳となることもない。
貧しき中からも分かち合う者は最上であると道理は訓える。
最上の徳を得るものである。
死に行くものにあっても死を見ないと。

富を握り締め囲う者の世は、いつも末をたどる。

お金は廻り廻って人を助け、滞って人を害う。
世の中は流動的である。たまるものは腐るもので、悪臭を放ち
害を為す。廻り動いてうまく流れ、腐らずに役に立つものとなっている。
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