般若心経は、読誦のため写経のためにあるのではなく、
無知、無明なるが故に、迷い過つ多くの人々の心のあり方を訓えている経典である。
観自在菩薩のあの世から語られているもので啓示である。
舎利子が釈迦の説いた修行が縁となって啓示を受け、介して
舎利子の口から話されている。舎利子の意識ではなく
菩薩の意識である。
この世とあの世は変わることの無い世界であることを教え、その内容を簡潔に説明しているものである。
舎利子として名を挙げているところから啓示は始まり、「以無所得」の語りまでである。
その前後の偈文は舎利子本人の語りである。心経の文字に礙げられることなく、
心の持ち方をどのようにすれば
悟れるのか、心の自由を説いて、
修行をされなくても、知識や信仰を持たなくとも可能であることを説明した。それ故に大神呪、大明呪、無上呪、無等等呪と説かれて、
一切の苦を除いていく呪として広まっていったことを述べている。
心経の文字を正しく判断するのは心の自由である為に、その判断は智慧によって為されていくものであり、
智慧の判断が誤ることの無い判断となるために、智慧を備えることを教えている。
智慧は自分の経験からくるものである。
知識は他人の経験を正しいものとして習うものである為に、
教えられても忘れてしまう。
くるくる回るというのが法則である。法則が道理である。
この道理を知り、法を身に備えていけば智慧の判断となっていく。
誤ることの無い判断となっていくために、あらゆる事柄に即断となっていく。
考え迷うことが無い為に、災難にあったとしても瞬時さけられるようになっていく。
過つことが無くなっていくものである。
それが般若心経の訓え、心の経典といわれる所以である。
智慧を備えた心で行って、心経は強い効力を示す。
今の心経は、読誦のためのお経となっている。