つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

ロックオン

2021-12-30 | Weblog
日々の常識にとらわれている人は、100%にしてほぼ80%にある。
残りの18%は迷いにあり、2%はとらわれない人としてある。
全体の98%は日和見でもあるが、2%だけは覚醒している。
2%は独覚にして、如何なるにも揺さぶられることはない人である。
全体が日和見であり、左右されるために運をもって選り分けられる。
良縁をもって命を運んでいくことは、自身の意識の正しい善にもとづくことである。
量子として意識は繋がっているために、全体として運命共同体にある。
その意識は、いまだに悪の進化に囚われていて、その進化の誤りによって一旦というリセットにある。
それは、もうロックオンされてしまった。誰も逃れられないとなっている。
これは法則による是正であるために、絶対となっている。
ただ一つ、この世には絶対ということはないために、意識の思いによって
不定でもあるとする判断が大切である。
意識の識の常識を打ち破れる人であれば、昇天はかなう。
常識にある時間、残り1秒(約10年)である。
意識に死は無い。自身の未来が何を見るのか?意識に覚悟が必要だ!
覚る悟るである。エネルギーの自由の法則を!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自らに由る(自由)たる理由から

2021-12-28 | Weblog
冬至が過ぎた。
時間は春に向かうも、今しばらくが最も寒い。
もう無理かと思いが過(よ)ぎるが、諦めは覚悟をもって夜明けを迎える。
諦かに意識は開かれた。観音力が知恵によって具わる。
意識の自由は、正しい善の正義となって、思い道理になる。
それは、神通力として瞬時を得る。
本来誰にでも具わっている能力であるが、全知全能として存在の意義を保つために、
忘れることをして、忘れることの罠にはまり、完璧に忘れてしまった。
現象はゲームとして、存在の意義を探す。時のない中に時を作り、
数え始めてから80兆劫は経ったであろう。
それは、この意識の世界、宇宙において各々の生命意識が刻んだものである。
まさに、それぞれの生命エネルギー意識の感受の創り出した時間である。
この宇宙そのものには、ただまったりと広がっている悠久のエネルギーがあるだけである。
始まりも終わりもない。道理が円運動であるためで、ゼロポイントとなっているためである。
私という意識が感受した刺激によって始まった。すなわち自由からである。
どうしてそうなのか?答えは自由だからである。
これが宇宙を動かしている自由エネルギー。
円運動であり、無くなることのないエネルギーである。
全ては本来無償にある。愛で作られているためである。
愛があるから存在している。思い出すである。人生、輪廻の目的とでも言おうか・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

唯識

2021-12-25 | Weblog
生命エネルギーは意識である。
どう意識するかが人生である。
意識は心、物質ではない。精神、あるいは魂、あるいは霊。量子にある。
丸く輝きオーブと言われている。
感の強い人にはそのように見える。
その輝きにはそれぞれ強弱があり、また、大小がある。
生命エネルギーの活力である。くすんで見えるもの、澄んで見えるもの様々である。

鬼が云うと書く魂は、もともとが無知にしてある。それは汚れのように、また垢が付いているもので、
靄のかかったオーブでもある。勝手に善悪を意識している。当然エネルギーの法則に無知にしてあるために、
善悪が転倒して悪だらけの形相、意識の地となっている。そのために、
鬼のような心としてある。その心をもって、人生経験によって正しく精げ、示し申す自然の神としなければならない。
本当の自分とはなんだ?と探し求めて、自然から分かれたものとして知るなら、正しい自分を見つけることができる。
自然は善悪のないが故の絶対善の動きである。ゆえに、綺麗である。美しいものである。
だから、そこから作られ分かれたもの(エネルギー)の自分という精神、意識は、もともとは美しいものなのです。
世に出て、無知にして経験を積んで、意の識を正しく知ることが法則に適うこととなる。
これが人として生まれた稀なる機会、逃してはならない。いまその機会をすでに受している。だから、
正しく生きることである。日々精進努力して心を磨け。よくよく精げて、精神を豊かにすることである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖夜に思う感謝

2021-12-24 | Weblog
セリーヌ・ディオンのクリスマスソングso this is Christmasを聴く。
まさに心が洗われる、聖夜とは清いものだ。
示し申すもの自然というのは斯くも美しい。
いかなる力をもってしても動かすことのできない力で存在している。
清浄な力である。
意識に語り掛ける浄化の力は、凛として清いものだ。
その自然から生まれて、自分という意識は、清らかでなくてはならない。
怠ることなく精進努力は、意識の浄化のためである。
これをもってして、人間に生まれた稀なる時を有効とすべし。
人間界にしかできない意識の在り方である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

賢愚

2021-12-23 | Weblog
ウソがばれる時が来た。
本当のことは皆信じられない。
信じられないために嘘だと乖離する。
そこで、
彼らは死ぬまで騙される。
可哀そうに、彼らは何のために生まれてきたのかさえ分からない。
そのために、ただ物理的に輪廻をするだけ。
飽くことなく生死を行ったり来たり。
それは、一切が苦しみである。それでも、彼らは知らないために、
必死で努力して、苦しみの中から僅かな喜びを見出して、
それを幸せだと信じ込む。
何のために生まれるのか?死ということを理解しない。
誰にでも等しくある現実を理解できない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

惰性の人

2021-12-21 | Weblog
リセット、
何も変わらないように見えて、大きくうねりだした。
今までの流れにすっかり同化して、
気づかないままに慣性の法則が働いて、惰性で進む。
あなた方はまだお若い。精神的にも今を永遠としている。
でも、
一寸先は闇であると覚悟をしている人は、案ずるより産むが易しである。
占星術、宿曜経は智者の予知である。
啓示として説かれたと知る人は、変化に即対応できる人である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善悪はないから絶対善となっている

2021-12-20 | Weblog
エネルギーの法則には善悪はない。
善も悪もないために、法則は絶対善となっている。
簡単に言えば、善いことはないが悪いこともないために、
悪いことがなければ、それは、必然善いことではないかということである。
善悪を意識するのは人の思いである。
法則には善悪はない。だから、法則は絶対善として動いている。
これが浄化の法則である。
浄化の法則にかなう生き方、意識を持つことが幸せとなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知見=悟り

2021-12-18 | Weblog
嘘か誠か、凡そ一週間のうちに知る。
諦めないでいることに、
もう惑わされることはなくなる。
だから、ただ静観していることである。
自分が善い人であるなら、損得を離れているのであるなら、
好いことになる。
エネルギーの法則は、善業善果、悪業悪果、自業自得である。
すべて自然にあり、当然自分にある自由、
自らに然り、自らに分かれ、当然自らに由ることである。
善因善果、悪因悪果、自因自果は法則である。
エネルギーの自由の法則は円運動であるために、必然戻ってくる。
是が宇宙の諸々の法則であると理解できるなら、「知見」となる。
昨日、今日、明日という一日を自分は見ている。時の流れを経験している。
ただボーッと過ごすな!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厭離穢土欣求浄土

2021-12-17 | Weblog
因循姑息にある国を担う指導者たち。
超微細なものに翻弄されて、大衆は疲弊しきっている。
地位と名誉に縋り付くただのどうでもよいサラリーマン的仕事ぶりは、
あーでもないこーでもないと言い合っているうちに時は過ぎ、
過ぎたるは猶及ばざるが如しとなっている。
自分たちの足元ばかり見て政治をするために、嘘八百をまかり通し、
大衆は騙され続けて馬鹿を見る。もうすっかり穢土となっている。
世の中はすべて皆繋がっているものである。自分だけが良ければよいとしていても、
他が悪ければ運命は共同体である。自分だけ難を逃れるということはない。
皆繋がっている。
これは道理である。大きく見つめて、宇宙は厭離穢土と判断にある。
残された地球時間、約後10年、宇宙の秒針1と変わらず。
このまま愛のない時を過ごせば、もはや絶体絶命である。
地上の変化は、荒涼たる景色が浮かぶ。
さて、窮鼠噛描となりえるか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪の進化となった金融制度

2021-12-16 | Weblog
金融制度に支配されている以上幸せは来ない。
多くの民は奴隷である。
何かに隷属していなければ生きていけないと思わされていて、また実際に隷属から離れれば、
至極辛い生活となっている。
youtubeなる動画の配信は、すべて企業の広告が付いていて、閲覧した数によってお金が配られる。
どんなに良いことを言ってても、お金が目当てである。
それは、金融制度社会では仕方がないことだとしても、どんなに良いことを唱えても、
欲望という貪瞋痴の中に入る。そこから発せられる言葉には、真意は疑われるものとなる。真心が見えない。

愛は無償である。ただ与えて去るのみ。見返りは求めない。
この愛なくして愛は存在しない。存在するとするなら偽善の何物でもない。
愛情という心情、感情が正しく持つということは、浄化の法則にかなったことである。
私達は意識の存在である。言い換えれば、意識生命体である。肉体が生命なのではない。
肉体に宿る意識が生命そのものである。
その意識を浄化するために、宿した肉体が大事なのである。
意識が離れた肉体はただの肉の塊、何の意味もないものとなる。
意識が最も大事なために、肉体を大切にして生きていく。この順番を間違えてしまえば、
唯物となって、生命エネルギーはエネルギーの法則との摩擦となって、崩壊していく、苦しむだけである。
意識は生命エネルギーであり、エネルギーの法則によって作られているものである。
そのために、すべての生命の動きは、法則の動きとなって、浄化の動きとなっている。
その動きは円運動であり、そのために、繋がっていくものとなっていて、無くなることのない存在となっている。
常にゼロに戻り、新たになっていく。だから、浄化となっている。すべてがきれいになる。このエネルギー、これを文字に現すと、是となる。
日が正しいと書いている。つまり、太陽の動きが、このすべての宇宙の動きを表してりるものだからである。
全てはこの法則の下の存在である。この法則を超える存在はない。
これを、百千万劫難遭遇という。唯一の法則であるために、今後永劫に巡り合うことはないとして!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする