日が正しいと書いて‘是’としている。‘これ’と訳すのではない。
太陽が東より昇り、西に沈むんで行く仕組みがかわることがなく、絶対正しいとして、‘是’と表しているのである。「是諸法」として、この‘是’がもろもろの法則の基であると述べている。「是諸法空相」とは、「‘是’がもろもろの法則であるために、空の実相は」と訳す。「空」とは、‘あの世’のことで「空相」は、「あの世の実体」は、となる。「不生不滅、不垢不浄、不増不減」とは、「生まれたり死んだり、きれいとか、汚いとか、増えたり減ったり」で、つまり、「是がすべての法則である為に、死後の世界の実体は生まれたり死んだりすることがなく、きれいだとか汚いだとか思う、一切感情の動かない世界で、記憶の現象が増えたり減ったりしない世界である」と説明しているのである。
感情の動かないというのは、汚い所にいても、それがあたりまえとなってしまい、汚いと思わず、きれいなところにいても、きれいと思わなくなることである。
死後の世界は記憶の現象の世界である為、生きていたときの記憶が、増えたり減ったりすることがないため、不増不減としているのである。
「是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法」・・・
「ゆえにあの世の世界では・・・」・・・つづきはまた
太陽が東より昇り、西に沈むんで行く仕組みがかわることがなく、絶対正しいとして、‘是’と表しているのである。「是諸法」として、この‘是’がもろもろの法則の基であると述べている。「是諸法空相」とは、「‘是’がもろもろの法則であるために、空の実相は」と訳す。「空」とは、‘あの世’のことで「空相」は、「あの世の実体」は、となる。「不生不滅、不垢不浄、不増不減」とは、「生まれたり死んだり、きれいとか、汚いとか、増えたり減ったり」で、つまり、「是がすべての法則である為に、死後の世界の実体は生まれたり死んだりすることがなく、きれいだとか汚いだとか思う、一切感情の動かない世界で、記憶の現象が増えたり減ったりしない世界である」と説明しているのである。
感情の動かないというのは、汚い所にいても、それがあたりまえとなってしまい、汚いと思わず、きれいなところにいても、きれいと思わなくなることである。
死後の世界は記憶の現象の世界である為、生きていたときの記憶が、増えたり減ったりすることがないため、不増不減としているのである。
「是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法」・・・
「ゆえにあの世の世界では・・・」・・・つづきはまた