つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

終わりなき世の・・・

2011-01-30 | Weblog
若くして命を落とす人。何の因果でと悲しく切なく思うのも、
確かに何の因果があってのこと。
罪も無く、何の落ち度なく品性豊かで育ち、環境にも恵まれながら、
病に好かれて、災いに好かれて悩み苦しむ人生を送り、儚くも命を失う哀しい人よ。
これで因果を終え報いは去った。いつかの過ちは、いつかの忘れた日に、いつかの命のときに現れて報う。
いつかの誇りも、いつかの忘れた日に、いつかの命に現れて報う。連綿と形成されてきた心は、まだ無記である体に
無記であるように子供の動きとなって振舞うために、培われた品性だけが物語っていく。
気づいて、智慧を持って道徳に励み、自分のためと知り、世のために人のためにとしていけば、深く悩み苦しむことは無く、
恐怖となることも無く生涯を終えていく。一つ一つ魂は向上して、過つことも無くなって、次の世もそのまた次の世も、
何の因果でと哀しむことが無くなる。
♪終わりなき世のめでたさに、松竹立てて門下に祝う今日こそめでたけれ♪命の歌である。
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自ら

2011-01-30 | Weblog
毎日毎日同じ事を繰り返して私たちは生きている。
繰り返すことが絶対であり正しいために、
明日が正しく信じられて人は生きていけるようになっている。
明日が来るか来ないか曖昧で疑いがあるなら、不安と恐怖で人は生きていけなくなってしまう。
繰り返されることが絶対善となっている。
そのために、毎日毎日殺生に明け暮れて生きていると、殺生が絶対となり善であるとなっていく。
悪いことでも善いこととなって、その悪行に気がつかなくなっていく。
地獄の世界であるにもかかわらず、地獄と思わなくなる。それが当たり前となり善となってしまう。
法則にはもともと善悪は無いためで、限りなく繰り返されることが正しいものとなってしまう。

地球は、秒速約465メートル、時速にして約1600キロメートルほどの速さで自転しているようだ。公転の速さは約10万7000キロメートルとされ、
人の日常の感覚からして想像し難い瞬速的で動いている。
それほどの速さにもかかわらず、静止しているかのように感じて住んでいられるのは、同化しているためである。
同化してしまえば何事もわからなくなってしまう。
すべてが限りなく動いていて、めまぐるしく変わっている。すべてがそうであるためにその変化に気づかない。
日常、その
同化の中での変化に対応して生きている。
繰り返すことであるために、必ず一旦元に戻る。ゼロとなる。そのために、浄化となっている。これが絶対善となっている。
すべてが浄化の動きとなってつくられている。諸行無常であることが常住となっている。
その中での変化に、それぞれ対応しての存在エネルギーであり、
生物の動きはすべて、生涯浄化のためとなっている。
地獄を作り、地獄を地獄とも思うことなく生きていくのは、誤った浄化の行為となっている。
そのために、永遠に誤った世界を輪廻転生、繰り返す。
ただ、地獄にも仏というように、助けはある。救いはある。気づくこと
外部の刺激から、自ら以外には無い。外部ができることは、
善い刺激を与えられるだけである。選択できるのは‘自ら’である。
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品性低劣

2011-01-29 | Weblog
人にお金を使えば
よくお金が回ってそこそこ自分も潤う。
損得を見て金勘定に走れば結局は損をして、我が身に置き換えて心配れば、つまるところ徳が積まれて。
けちこそ恥ずべき事柄で、九品九生の下品の値。
貧しき中からも分かち合う者は敬うべき人。
裕福でもケチはいて、裕福でやさしい人もいる。が、
どちらも無一文に追い込まれていくとき、さて、その姿は藐、ほとんど悪魔が顔を出す。
私は優しい人だろうか?あなたは優しい人だろうか?優れる人だろうか?貧
辺によれば見えてくる。人というのは・・・
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うらはらに

2011-01-28 | Weblog
善いことをしてもなかなか広まらず、
悪いことをすればすぐに知れ渡る。
信用とか信頼は年月が掛かるもので、
失墜は一瞬にして。
努力の姿は見えづらく、怠慢は間がよく見られて。
運がいい悪いはあるにせよ、間の悪さは損得に付いて焦るとさらに。
よくなろうと気にすれば邪魔が入り、よくをなくせば
よくなってくる。あぁ、あべこべ
急がば回れ
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気にしない

2011-01-27 | Weblog
健康であれば死ぬときも健康で死ねる。
不健康は死ぬときも不健康、つまり
苦しんで死ぬ。
健康であるというのはそういうことである。
健康に死ねるというのは、死が恐怖とならず、苦しみ悩むことのないことである。
そのために、死後も苦しむことの無い世界となっていく。
病気を意識せず、健康であることに努力することである。
病を意識してしまうと病が絶対となって、病から離れられなくなってしまう。
ついには病に犯されて、思いがけなく死んでしまう。心残りに。

‘気にするな’が方便である。救いとなることなんだが、
皆、逆なことを思う。
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感情の無い世界

2011-01-25 | Weblog
汚物に群がる虫たちがいる。
糞に集り、それを食して生きるものたち。
ぐちゅぐちゅに腐り、激しく悪臭を放つ中から湧き出るうじ虫。
ばい菌だらけの中で成長していく生き物たち。
色合いから形までおぞましい処で、おぞましく生きる。
好むと好まざるにかかわらずに、きれいも汚いも無い感情の無い世界。
地獄の世界であるにもかかわらず、地獄と思うことも無く、一切の感情の動かされることの無い世界。
そんな彼らの世界を、「不垢不浄」という。
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幸せでいられる手立て

2011-01-24 | Weblog
謙虚であること。
倹しくあること。
足るを知ること。
分かち合うこと。
愛すること。
これらに
思いをやって行うことである。
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ちんぷんかんぷんちんぷんかん

2011-01-23 | Weblog
時と場合によっては
意思に反しての行いもするものだ。
善悪など無く。

世の中は実に思議のいらないものであり、
世の外は思議のできないものである。
地球は不思議なことばかり、
宇宙は不可思議なことばかり。

私は私であっても私を知らず、
だから、
私はあなたを知らないようで
知る。
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コンビニエンスストア的

2011-01-22 | Weblog
人は触れ合って生きている。
スキンシップをしないで育つ子供は
荒々しくて情けに欠ける。
肌をふれあい言葉を交わし、
さまざまなやり取りをして正常なる心が育つ。

自動販売機に金を入れ、表示された中だけの押し付けられたものを求める。
心のやり取りは無く、金銭の授受だけで済まされていく。
わずかなふれあいこそあれ、通り一遍の言葉を交わし、欲望を見越された品を求め、
金銭の決まりきった授受のみで済まされていく。
触れ合う煩わしさだけを省いたものが好まれていく社会に、
無縁の怖さが忍び寄る。便利なものにはそれなりの負も付く。

色あせた小さな地域の店には、
決まりこそあれど、触れ合いによってささやかに得をしたり幸福を感じることがあったりもして、
駆け引きが情けを育んだりする。そこには揺らぎのような遊びがある。
不便なものにはなんだか温かなものが付いていて、どこかしら智慧が付いて
愛が付く。
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諸々の法則

2011-01-22 | Weblog
人もまた老いるものである。
十年違えば一段と老けて、十年ごとの自分が
覇気がなくなって、無知なる子供のように変貌していくのは
ただ切ないものである。若さはかけがえの無いものだと時を無駄にすごしてから知る。
あの頃にもっとたくましく生きていれたならと、人はただ後悔して。
若さがあれば智慧が無く、智慧が備われば若くなく、
命あふれる姿はこぼれて、あの人もこの人も見る影を失い、魑魅魍魎のように。ただに
哀れなるものは、無明なるものと知る。さて、
あの人は死んでどこへ行ったのだろう?それは、
縁に導かれるものであると智慧が訓えた。
あの世に逝ったあの人は、若さあふれる魂に戻って、
無知なるが故に、再び業の母胎に宿り、仮にとして泡沫の世に出でる。
足るを知るためのやどかりとなって。
人生は浄化のためとなっている。短くも長くも役目を終えたとき、つまり、
これ以上仕方なくなったとき仮の宿は尽きる。それは、創造主の自由によって判断される。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」が創造主、諸々の法則である。
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