つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

意図的に導かれて

2023-04-29 | Weblog
一億総白痴化と言われて久しいが、今、現在、顕著になっている。
経済は経世済民を為す事なく、お金の奴隷となって、国民は酷民となって、
先進国ではあるまじき貧しき民となっている。
精神的にも物質的にも虐待を受けている酷すぎる民、哀れな民となっている。
一部の富裕層を覗いては、ほぼほぼ貧困に喘いでいる。格差是正とは名ばかりで、
ますます格差は広がるばかり。選挙の時は皆いいことを言うのだが、一向に好くはならない。
好くなるのは富裕層。それでも国民は従順で、まるで家畜の様。
最も指導する立場の者が傀儡にあれば、噓八百に騙されて今があるとする。
一億総家畜化、家畜は行き着く処、殺されて食われる運命である。
従順とは素直過ぎることでもある。何事にも「過ぎる」が付けば、過ちとも読むように、過ちは
全てに及ばなくなる。従順過ぎるのはよろしくは無いことがわかるはずだ。
だから、おかしい世の中、社会風潮に気が付くことだ。このコロナウイルス騒動で、
あきらかに「変」が見て取れたではないか。
従順になることは家畜に等しい。とどのつまり殺されてしまう。
この世は天国ではない。だから、悪人もいる。
相手が信用できないから契約書を作り守らせる。
契約書のいらない社会、世界を人の間に作る事さえ
あなた方は想像できない。
これは、全知全能が退屈凌ぎで作っている壮大なゲームである。
あなた方が、AI(人工知能)を作ったように、チャットGpTは、
やがて感性を作り出し具える。
どのようになるのか?
神が、自分に似せて人を作ったというように。

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心配りと書いて心配するという

2023-04-27 | Weblog
損得勘定で動いている人は、損をすることになる。
お金がすべてであるとする拝金主義社会には偽善が多い。
命がお金に換えられて、損得に行き詰まり、前後の見境もなく悪事をなす。
多額の保険を掛けられて命を落とす。とどのつまり、損得はすべてを失う羽目になる。
いま、金融制度は崩壊して、新しい価値観に変わる。
「吾が身を抓って他人の痛さを知る」として、心の配り方が重要視される。
【心を込めて】は末永く存続する。
心ないものは朽ち果てる。人間の社会というのはそういう事にある。
心ある者、しいて言えば愛情のある者、人が憂えると書いて優しいと読む。
優しいとは優れるとも読む。
心配りのできる人は偉大である。
何よりも優れる者である。
さて、新しい価値観とは、称賛である。
心を込められた些細な事に誉あり。
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意識が語り掛けること、思い出せ!

2023-04-26 | Weblog
悪智恵を働かせるの者がいるために正直なことは控えなければならない。
そういう者を欺くには、オオカミ少年のようなことであらねばならない。
でなければ、ほぼほぼ何事も台無しにされてしまうためである。
「正直者は馬鹿を見る」にある世の中であるために、逆手をとって当たる。
そのため、どれが真実であるかさえ分からなくなってしまうのが普通の心の者。

貴方がもし、全知全能だとすれば、何が楽しくて生きるだろうか?
ことのすべての顛末を知っているために、何をするにも意味がない。
だから、貴方は全知全能の能力をいかして、全知全能を忘れることにした。
そのために、忘れることの罠にはまって、思い出す事ができなくなった。
謎を求めることによって、存在というつまり生きることに意味を作った。
目的を持ったのだが、反面、恐怖も生まれた。時に、恐怖にやられて命を落としもした。
が、何度落としても、もともと死のない存在であるために、繰り返し繰り返しの中で、
答えの出せない生命となってしまった。
どうにか、自分が全知全能であることを思い出しそうになると、生命の寿命が尽き、
再び一から生まれを与る。物理的肉体の中に魂を宿らせたのは、
頻繁に生まれ変わるという(思い出す事ができない)リサイクルに完ぺきにはまってしまったのであである。
生死は一切皆苦であるために、一生の間に何としても何のために生きるのかを思い出し、
全知全能の能力を回復させ、この苦しみより離れ、楽しみのために存在の意義を見出すことにしなければならない。
どれほどの期間、劫の時を経たであろう地上時間において、およそ80兆年と推測する。
もうじき、その能力を回復するための輪廻を経てきた。
あと少しで思い出すだろう、魂という生命エネルギーが、この地獄の世界で、
仏に会うことに成就の時を迎えた。
そのために、地上は一変、浄化の法によって浄土となる。
獣たちは、3次元という低次元にそのまま残される。
御魂を磨い者は、高次元と上昇するのである。
だから、心を磨けと、思い出せと宇の意識は語り掛けているのだ。

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心を込めたエネルギーシステム

2023-04-25 | Weblog
近い将来金融制度の崩壊を迎える。常識が覆る時を迎える。では、これから
どのようにして社会が成り立つのか、カギとなる言葉がある。
それは称賛である。心に基づくが、ここに至るには慾があればなしえない。
太陽を観察していると、地球よりも大きいと思われる構造物(船)が現れるが、
それを作るには、人工ではかなわない。人類の想像をはるかに超えた能力で、しかも、
心を込めたとする称賛のたまものによって生まれる。そこに私欲なる望みは介在しない。
金まみれの物欲は皆無。
ただ心の誉のみである。「名作の誉れ高き」にして作られる。
技術は、巧みにおける匠な技のみ、誉、称賛の望みである。
希望というのは稀な望みとしてあるために、かなえた時には称賛を得る。
それが存在の存続となっている。
人類という物質による、あまりにも制限のある質的にあれば無理にある。
ゆえに、心、精神を磨いてこそ真の進化となって適う代物。
それは質量にして重力はゼロ、無い。よって、各々の意思伝達で操れる。操縦機器は皆無、
思いのほか柔軟である。
まるで生物の様な生命エネルギーの姿形をとっている。
陽炎の様子を見せるプラズマ、血漿プラズマのように見えるだろう。
物理を離れて理解しなければ分かり合えることは無い。
意思疎通が良好なる善運動でのみ操縦となる。ただ称賛をあるのみとする。
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日常の同化、ほぼほぼどうかしてるよ状態

2023-04-22 | Weblog
日常に慣れ親しんでいるために、非常事態を想定することができない。
人生100年という人間にしては長い一生を、繰り返しという習慣、
その地域社会の行動様式、慣習に疑いもなくどっぷりつかってしまい、
それが正しいとなって生きている。ある意味洗脳に当てはまる。
私達は、同化という事に騙されてしまう。
同化してしまえば、同化していることに気づかなくなってしまう。
だから、間違っていても分からない。
例えば、地球は時速約1600キロという速さで自転している。高速で回っているのだが、私達は
目を回すこともなく、ほとんど静止状態、動いていることさえ気づかない。
それは一緒に回っているから。同化という。もっと簡単に、100キロのスピードで動いている電車の中にいても、
自分は動いていない状態にして眠ることもできる。同じスピードの中にいるためである。
移動していても移動していない状態で移動している。同化というのは斯くも気づくことがなくなる。
地球に同化、電車に同化、そのために、その中で同化に気づくことがなくなる。
とんでもない速いスピードで動いていることさえ分からなくなるのである。
人生の長い間日常に同化して、日常の変化、とんでもない誤りなんてありはしないとする、
異変にさへ気づかなくなってしまう。日常の変化は範囲内と想定して、それに同化してしまい、
異常な変化、非常事態であることにさえ気づかなくなってしまう。
時間のない魂という生命エネルギーに、空海が計算した5億6千7百万年、あるいは、
仏の説いた56億7千万年にあと10年弱と迫る、地上時間線上に当てはまると、宙の意識を受ける。
今、弥勒は、3,6,9の数字をもって救いの兆候をあらわしはじめた。
変わりつつある世の中、「まさか」の開示がいたるところで、気が付き始めた人たちに聞こえてくる。
「春眠暁を覚えず」の人達は、蜘蛛の糸状態に身を委ねる。


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無智亦無得、以無所得

2023-04-21 | Weblog
目上の人を敬う事は善いことだ。
敬老は人の道に適う。
組織としての構成に入れば隷属になり、自分の自由は損なわれ、否応なしに従わざるを得ない。
隷従である。それは奴隷状態。
本物の自分になるには従属してはならない。従属は何か大きなもの、あるいは自分よりも強いものに依存することにあり、
本来、自身で道を開いていくことにはない。本物とは依存せず、自身の持つ才智によって、切り開くことにある。
いわゆる独学である。その道の理に学び、経験によって得る知識は智恵となって、本人にしかわからない感覚を得る。
コツともいわれる自身にしか分からない感覚が得られるのである。それを相手に伝えるのは難しい。その感覚は
同じにして同じではないからである。体験の感覚、知識は恵みとなって、あらゆる道の理を知ることになる。
一を知ることにより十を知るように成れるのである。つまり、体験しなくても想像にて感覚できるのである。
それはまた確かな的を得るのである。道理に学ぶというのは、あらゆる道を知ることになる。
本物というのは依存はしない。属することが無くてよい。師をこれといって必要としないのだが、長い時を経て
適う。
が、時を競う場合、間に合わなければ意味はなくなるために、量子的意識を思い出し応じる。
瞬時を得て間に合う。智慧は自身を本物とする。本物は独学である。自らが先生とならなければならない。
先生というのは読んで字のごとし、先に生まれたという事にあり、それだけ先んじて道理を学べたことにある。
独学でしかない。あらゆるところにアンテナを張り、受し、精査して「無」に帰すことにある。
今こそ「儒」から「道」に適うべきである。

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切磋琢磨

2023-04-20 | Weblog
虐める人がいる。
どうしてこうも心が歪んでしまったのか、哀れでしょうがない人がいるのである。
幼い時に、虐げられた人は大人になっても心が歪んだままでいることが多い。
そして、他人を虐げたりする。
愛情ある育ちを受けた人は、優しい人になることが多いが、大いに環境は人の性格に影響を与える。
特に幼いころには影響大である。
愛あることが人を正しく育てる。これは100%間違いないことなのだ。
人が憂えると書いて優しいと読む。また、優れるとも読まれる。「優」とは全てにおいてまさることなのである。
「秀」=ずばぬけてすぐれているもの、こと。評価の段階として最上。
人のことになれば優はその上となる。優秀な人として優しさはすべてにおいて秀でるのである。
いま世界は虐待にある。表向きに正義にあるとする立場を利用して裏の顔を見せる。
表と裏は一体である。表向きに偽りを言う。偽りとは。人の為と書く。
さて、なぜ人の為と書いて偽りと読むのか、自身を覚るなら単純にわかるだろう。
人間というのは、浅ましいものではあるが、愛情が無ければうまく育たない。
地上が人間であふれるのは愛があるためである。
「情けは人の為ならず、回りめぐって自分の為」として、理解できれば
覚悟は貴方に付き従い微笑む。やがて、憂いが自身をたくましく育てる。
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驚きを隠せない日々の連続、変な事だらけ

2023-04-15 | Weblog
世の中は2極化がはっきりとしてきた。
今までは正しいとされてきた側が、実は正しくは無かったことが次と露呈してきた。
悪いことは暴露される。
正義とは、その存在が存在し得るための道理である。善悪ではない。
この世の存在は相対するとしての在り方である。どちらか一方だけでは存在とならない。
そのために、裏表としてあり、それは光があれば影が必然あるようにである。
本来、月日を見れば、日の光で月は見えなくなるほど日の光は強い。
どんなに頑張っても月の光は日の光には勝てない。が、見えなくなっているだけで存在はしている。
夜になれば闇が強くなって、月の光が照らし出すが、日の光のように鋭く刺す感覚は無く、むしろ癒しのような
優しく照らす。どちらの光にも育みと破滅がある。
時に、日和見で浴びる光をうまく浴びれば好いのだが、どちらか一方に傾いて浴びれば、
ただ破滅だけになる。ただ一時、すべて死ぬものにある中で、思う善悪の中に、喜びと悲しみが
はっきりとしてそれぞれに与る。悪い思いの人はその縁で深く哀しみ、善い思いの人はその縁で大きく喜ぶ。
それがもうまじかに迫ると宙から受ける。
2023年に2極化が誰の目にもはっきりとする。
「まさか」(真逆)の坂道は、上り坂と下り坂一対で現れる。昇る者と転げ落ちる者とが行き交う。
さて、『貴方』はどちらに?
まさか?あのひとが・・・と、まさかが続き振り返る。そこに自身の影もあるのか?
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急がば回れの心持

2023-04-13 | Weblog
隷属しない。依存しない。
参考することにとどめ、最後の判断は自己に由ることである。
そのために、恨み辛みは生じない。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
過ちは自己を責めてただ悔やむことにあるが、
自分は愚か者であるために、ただ学ぶことをすることに努める。
これが前向きな思考、エネルギーの法則に適う。なぜなら、エネルギーの法則は前進のみであるためである。
普通にして可逆することは無い。前に進むだけである。道理である。
道理に適えば間違いは無い。
知識を体験とし、経験に学べば、一を知ることに十を知り得て、知恵として想像する。
その想像は幻想の中に創造となって現れる。仮想空間のように、現実とすることが叶う。
もし、学び得て覚悟をするなら、周縁和合のもと瞬時の判断が効く。間違いなく的を得る。
直感は優れてくる。当たるも八卦当たらぬも八卦という事ではない。ズバリ的中を得る。
世の中には、「優秀な」とするものがある。「劣悪な」とするものもある。
その選択は、自身の心次第に係る。「優』に結ぶことなれば徳となる。
諦かに見えてくる、何ごとも。
悟る者に人生は短い。愚か者に人生は長い。
自身に、地上の時間は急ぎ足となって感じているか?
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君臨するなら

2023-04-12 | Weblog
あってはならないことが頻繁に起きている。
地位も名誉もある者の犯罪、公職にある者の犯罪(取り締まるべき立場にある者)、有名企業の犯罪(不正)等々等後を絶たない。
また、人に道徳を説く者、団体~数限りなく軽蔑的事件が発生。
「まさか」という驚きであるが、あまりに多いために「またか」として、
やり過ごしている風潮にあると受け取れる。現代においても尚世も末と嘆かれる。
人間の進化は、ただ悪の進化となって改まることが無い。
原子力も爆弾や、取り扱いの誤りで破滅に導かれる。恐怖と不安は人間の正常な判断を過ちに導く。
過去に学べ!
法律を作り、改正として弱点個所を直すが、ほとんど改悪となって真に用をなさない。
人は、自己以外は悪として警戒心をもってあたる。そのため、自己防衛としての正当性の上に行動する。
何か事が起これば、自分は悪くなく相手が悪いと決めつけての行動をとる。
肉食動物にみられる、合ったが最後食うか食われるかの争いの中に生きる猛獣と変わりない。
草食動物にみられる温厚さは微塵も見られない。
人間は、雑食、肉食であり草食でもある。若い時は特に肉食を好み、故に、
血の気が多く角を立てて生きている。血気盛んは好いことではあるが、覇気を多いに持つ。
そのために、あらゆるところで争いが付きまとう。小さいところで喧嘩が多く、大きくなれば
紛争、戦争となってしまう。
「覇」というのは「破」に結びつく。良くも悪くも傲慢、驕る者となって破滅に導かれる。
覇権、覇者というのは一見羨まがられるが哀しいものである。破滅の一途をたどる。

何でも若いというのは経験が浅く「若気の至」りとなって誤るものである。
老いて尚、角を立てて生きている者、「なぜ生まれ、なぜ生きる」のか、
一から学ばなければならない。
人倫として、気が付くことである。過去に学び、過ちを繰り返すな。
「覇」に生きるなら、
温厚な人、として地上に君臨することである。
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