つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

哀しきバイオロボット

2018-06-29 | Weblog
人に、
悪人と善人とがいるように、
神々にも善と悪がいる。
今、再び対立が激しくある。
悪は甘美を口にして語り掛ける。
善は厳しく戒める。
甘言の果は厳しくあり、言葉と裏腹に、
苦言も同。

お互いしのぎを削って平和を保つも、人、漁夫の利を得ず。
少なからず虚栄のかがり火は、人の目を覚まさす。
目の当たりに見て、ただおたおたするだけである。
今の人、稀なる時を生きている。
過去に思いを馳せて、今を見よ。
欺かれてはならない。
平和ボケは、必ず思い知らされる。
いつ見られても不思議ではない時を得ている。
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以心伝心

2018-06-27 | Weblog
毎日、僅かながらも私を訪ねてくれる人へ、
ありがとう。
ただドアノブに手をかけて、そっとでも私の部屋の中をのぞき見る人は、
哀しみをよく知っていて、
心の優しい人に違いない。
私は、害もなく、得もなく、損となることも無い人だから、
あなたの心の中に残ることもないでしょう。
すれ違いながらも、袖を触れ合う人の優しさで、
私はか細く生きている。
一期一会の人達だからこそ、精一杯の誠を
私は取り留めもなくおしゃべりをする。

私の部屋の中に、
ずいぶん前から、大切に育てている
虎の尾という観葉植物に、二本の茎がヒョロヒョロと伸びて、白い花が咲いた。
花が咲くなんて思ってもいなかったので、
なんだか嬉しい。それも、とても甘い香りを優しく漂わせて、
私はとても癒される。思わず、有難うと声をかけた。
そばに、優しくて美しい女性がいるように感じられて・。

私の部屋の中をそっとでも覘いている人は、
この香りが(見える)でしょう。
(イメージ)として香るでしょう。
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感受

2018-06-27 | Weblog
隷属であるために、勤労にして善である。
ただ個性もなく、経済に従属して正義、社会を支えるために個の犠牲を払い、
一心に全体に沿いながれていく。己ということを思うことを与えられず、
ただやみくもに従うことが善の正義であるレールを敷かれて、幸福と受ける。
教育は、洗脳ということを目隠にしてに、真実を偽る。
巧みに操られた欺瞞は、当初に容易く達せられて、
以後、手を煩わせることなく目的に向かわせることができる。
自ら信じて進んでいくための、これほど優れた方法は無い。
少しでも変に気づくと、自身の勝手と証拠を示すことができる。
賢い犬は、紛れもなくそれに肯き、
愚か加減に苛まされるも、結局、打開することなく同調に沿う。
しかし、僅か1%は覚醒し、独覚または声聞に与り、調節する。
やがて、犬となった者たちの調教、調整をなして大いを揺るがす。

にわかに反発は現れて、人の動きと神々の動きが活発になってきた。
エネルギーの乱れは、地と天に反応し、あちらこちらに変調をきたす。
地は揺れて天は荒れる。雷は双方の威嚇、多かれ少なかれ犠牲は払われる。
しかしながら、日常に明け暮れる人々は、目の前の娯楽に注がれて、
変調を感じながらも、火宅のままである。遅かりしにあるも、
ただ愛に目覚め、助け合い労わることを覚えて癒される。
弱者に対して献身、早急の癒しとなるだろう。
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意の世界は虚空

2018-06-26 | Weblog
99.9%経済に縛られた社会が作られている。
悪意に意図されたことであるが、これ以上の束縛は限界値にある。
0.1%の非同調性をもって、軌道修正が開始された。
宇宙(そら)から彗星が直撃、地上は一掃にある。
龍神にしても防ぎきれない強大な力は、悪に蔓延されたエネルギーの
排除を決定、戦いは始まった。
火宅にある人類は、善悪もろとも消滅するが、
魂は生命エネルギーであるために、死するものではない。
ただ、苦しみと悦びの二元に選り分かれるだけである。
生命の喜びは自由であること。
その為の存在である。
善は自由にあり、明白である。
悪は不自由にあり、暗黒である。

自由を学び、知ることによって、この不自由なる大空を、
意のままに行き来することができるようになる。
それが知的者。

苦に生きるのも、楽に生きるのも魂(心)、つまり、意の自由である。
地上の砂粒より多く宇宙の星々があるように、
魂もまた同じである。世界もまた同じである。
心(意)次第である。だから、意を調えよ!

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じき(時期・次期・磁気・直)現る

2018-06-25 | Weblog
虚に彩られた世界は最終章に入った。
虚はこれ以上の虚飾は無理にある。
転換は、極の反転を伴って現われ、
意に介するものと介しないものとの善悪を選り分ける。
ただ素朴なものは報われる。
虚に染まるものは、どのようにあろうとも暗夜を歩む。
素直にして青空に歩む。
生命は、意味なくあるものではなく、正義によってあるために、
意に解して正義に守られる。

赤く染まった空を、人々は見る。
富士の山は、北の虚にして破れる。
神々は、その自由に手出しはできない。
還ることを知っているためである。
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虚に操られた世界

2018-06-24 | Weblog
私たちは真実を見ているのに、何も見えていない。
見えていないのは見ようとしていないからで、
また、見ようとしていても概念の融通性がないために、
なかなか真実に行き当らない。真実にいるのに盲目なのである。
虚に飾られていてもわからないし、だから、事実として認めてしまう。
たとえば、
陽炎を見て陽炎だと認識しても、陽炎が何であるかわからない。
実態を見ていても実体がわからない。
実体があるにもかかわらず、実態を思うことがない。
ごく少数だけが思いを留め、真実を見る。
少数になるのは、素直だけである。言うなれば、子供の目である。
道理が諭すには、「子供のように、受け入れる者が、天国を創る」である。
子供の目だけが、変を見抜く。騙されないのである。
偽が騙したくても欺けないのである。不思議を持っているために。
それは、道理が不思議だからである。
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ふじ

2018-06-21 | Weblog
いよいよ中枢に痛手を負うところまで来ている。
頃合いの重なりは、招かれるものである。
高を括るための高慢さからで、後の祭りのお粗末さとなる。
日本の象徴は、怒りをもって爆発。
美しさを失う。
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幇間

2018-06-20 | Weblog
核の脅威、隠蔽、セクハラにパワハラ、
上にも下にも信頼に足るものは無く、人の道に外れたことばかりが闊歩する世の中。
偉い人というのはどこにもいなくなったこの地上に、
以って、ばかげたことばかりが起こる。
上に立つ者が、特に呆れた者ばかりで厭きれてしまう。
国の頂点に立つ者、企業の頂点に立つ者、それに付随、取り巻く者、
あなたの為、皆の為として
ただ私利私欲にて偽善を為す。そうして、
隷属社会は倫理観が乱れて、「自分さえよければ」が蔓延、人災と天災を招く破目に。

亀の甲より年の劫は跡形もなく意味をなさず、
老いて驕れるものは、贅沢極まりなくして、
贅肉で顔も首も腹も醜く垂れ膨らんで暴言を吐く。
自分こそ偉いための恰幅よさを誇示して、ふてぶてしく睨む。
若くあれば尚、激しく落ち込む破目になるのだが・。あまりに哀れな魂たちである。

無知というのは、威張る者だ。
権力の座においては、特に顕著に。


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想定

2018-06-19 | Weblog
何事か起こってから、実は予知していたというのが人の世、
これから起こることは人にはもちろん、神仏にも知ることはできない。
未来は不定にあるために、予定することはできない。
諸々は法則の下の存在であるために、法則を超えて見ることはできない。
だから、予想はされても、すべて偶然の中にあり必然ではない。
予想は、当たるも八卦当たらぬも八卦にあり、真実は誰にもわからない。
観察と分析とで凡そを予めるだけである。
「限りなく」に近づいても、断定するには至らない。
予知は、無理にあり予想に留まる。
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浄化が法則

2018-06-18 | Weblog
いよいよ人間の悪事は裁かれる。
裁くのは自然である。
前もってというそれなりの兆を現すが、
人にはわからない。
何をしても、どこへ行こうと裁かれるものは裁かれる。
法則には抜け目は無い。
淘汰というのは、自然にして道理である。
自然の摂理を知れる人は、どうあれ強い!
何も恐れることは無い。

自然の行為はすべて浄化である。
人の行為も同じである。
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