つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

あの世は夢の世界と同じ世界

2018-09-30 | Weblog
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」、エネルギーの法則である。
このエネルギーの法則を正しく理解すれば、生命エネルギーの生死も理解することができる。
色の世界がこの世であり、空の世界があの世である。
是がエネルギーの法則である。
「この世とあの世は少しも変わらない世界である。だから、
人は死ぬとすぐあの世に生じ、あの世でも同じ現象となっている」
生命の生死は、この世とあの世の行き来である。
この世の意識の現象世界があの世となっていくために、この世とあの世は少しも変わらない世界であるということ。
この世は肉体のある世界で、肉体を持って活動していた時の記憶があの世の現象となっている。つまり、あの世はこの世の
意識の現象世界であるために、あの世での肉体はこの世の意識の現象肉体であり、
あの世での肉体そのものはもう無い。生前の記憶の現象肉体である。そのために、
変化することは無い。記憶の現象で動いているだけであるために、新たな学習ということは無いということである。
あの世は、時間も空間もないために変化することのない世界となっている。エネルギーの法則が
ゼロになっているために、ゼロが始まりと終わり同時となり、つまり、始まりも終わりもないとなっている場である。
だから、「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」と繋がっているということである。
色の世界と空の世界は異ならない世界で、色は是によって即空となり、空も是によって即色となると
エネルギーの円運動である法則を説いている。是というのはエネルギーの法則である。
人の生死はこのエネルギーの法則、是によるもので、是は絶対法則となっているために、
誰一人死を免れる者はいない。
生命はエネルギーであるために、円運動の法則となっていて絶対となっているために、
無くならないものとなっている。だから、円運動による変化が無常としてゼロ地点に戻り、生命の生死となって
繰り返し繋がっていく。生命エネルギーは肉体をもって変化に対応しているもので、そのために肉体は無常となっている。
これが人の死である。肉体が無くなるだけで、生命エネルギーそのものは無くならない。だから、転生していくものである。
記憶はエネルギーそのものであるために、無くならないものとなっている。
記憶は想念となり心となって判断となっていく。記憶の積み重ね(輪廻転生)は統一されて、今生の心となっている。
輪廻の法則によって再びこの世に生じても、あの世の記憶というのはされないために、一切思い出すことはできなくなっている。
前世(過去世)は思い出すことはできても、あの世での記憶は現象肉体であるために記憶とならず、そのために、あの世は一切思い出すことは無いのである。
つまり、あの世は一切の反応を示すことがない世界となっているのである。そのために、あの世というは、生命の知ることのできない世界、
生命の空白の時、世界であるとして、あの世を空としている。
仏は、どんなに悟ってもあの世を知ることはできないために、知らない世界を想像で語ると、それが誤っていても正すことができなくなるために、
一切語ることはしなかった、できなかった。あの世はどんな世界かという質問に答えることができなかったのである。

エネルギーの法則が絶対世界となっているためである。
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涅槃寂静、すべてがエネルギー

2018-09-28 | Weblog
人生、どのように生きたか?その行い、つまり、業は
本人がいなくなっても、消えてなくなるということは無い。
いわゆる、起きた業に対しての報いが行われて、はじめてその業の存在が処理される。
プラスマイナスゼロとなるもので、無かったことになる。
良くも悪くもという報いがあって、業のチャラとなるのである。

業の報いが行われないうちに、その本人が死んでしまったとしても、
業そのものはなくならないために、いつかの本人という魂そのものに報うのである。それは、
何世代先に報うのか、はたまた次の転生に際して報うのかは定かではない。が、
必然報うのである。報われて初めてその業は消える。魂は無垢になるもので、
転生された人生は、賞罰のない綺麗な状態で生きることになる。だから、
不意な天罰に遭うことは無い。

不意にとして害されるのは、人間の無知なる記憶によるものと、
新たに起こした業に由るものに関わる。
無知なる記憶は、生命エネルギーの根本に刻まれているもので、
生命エネルギーの性質とその格に関わり、作り上げられる。
自分の性質性格は、生命エネルギーの幾多にわたる人生経験が
統一されて塗り替えられていったもので、今の自分を象っている。
転生するごとに生き様が刻まれ、生命エネルギーである心が作られていく。

エネルギーは動くものであり、そのために変化していく。
常に変化していくものである為に無常という。
この無常が常住となっているのがエネルギーである。
だから無くなるものでなく、それ故にそこから生じている万物は、
絶えず変化して存在していく。無常をもって経験したことが、
常住となっていくために、このエネルギーの性質、無くならないものであることを理解すれば、
矛盾が明らかになっていく。なぜ生まれなぜ死んでいくのかも理解できていく。

エネルギーは円運動である。エネルギーから生じている生命も円運動となっている。
だから、私たちはいつも同じことを繰り返している。
行ってきますと家を出て、ただいま戻りましたと帰ってくる。
すべてが円運動となっていて、くりかえす。
そこから学習して、常住であるエネルギーにかえっていく。
エネルギーは円運動であるために真円である。ゼロの姿形で常住。
動いているが動いていることすらわからない真円という綺麗な姿形。
これがこの宇宙の正義である。円運動の正義であるために、これを学習して正しい悟りとなる。
寂静が真円である。
魂はここを求めて、この中心に還るために、涅槃寂静に入るために、
幾多輪廻の苦しみを味わって学習、悟りに至る。人生はその辿りである。
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無知なる者、恐れを知らず

2018-09-27 | Weblog
終活という言葉をよく耳にするようになった。
人生の卒業、それほど老人が多くなっているということだろう。
最近ふと思う
死というのは、前からくると思っていたが、実は後ろから迫ってくるのだと感受する。
まして、生活習慣の悪さ、食生活の乱れなどによって、追いかけられるという感がある。
まだ、寿命ではないのにお迎えが来る人が増えている。
若くして、働き盛りにして、或いは、80,90、100歳にしても、
寿命というのではなく、
災害に見舞われたり、不慮の事故に遭ったり、病魔に侵されたりして苦しんで死んだりする。
それは、不意である。
本来、人間、老衰で天寿全う、言葉通り͡寿ぶく命であるはずが、
寿に至らず、人生半ばにして卒業しなければならなかった大半の人々である。何がいけなくて
死王に見初められたのか?
いつかは誰でも死に逝くものであるのが道理であるのだが、
不意に死ぬとは実に心苦しいものである。

死王に見初められる二通りの感受。
一つは、人生半ばにしてすでに悟りを得、
人生達観となったために、これ以上の人生に意味は無く、別世界への次元上昇移行
と判断された由、∴心残りは起こらない、それとなく知るために、恐怖もない。
一つに、今生に於いては、これ以上生きていても、此の身
徳にして得となることがなく、
更には、他に害多くあるものとして、人生無意味と判断となったための二通り。
一つは、無常にして寿ぶく命の寿命であり、
あと一つは、無常にして輪廻転生という寿命である。
一つは、天性であり天成、寂静の辿り。
一つは、やり直しの寿命を得、悲哀にあり苦から学び取る。
輪廻は一切皆苦であるも、やり直せる機会を与えられたことでもあるために、
慈悲にある寿命、良くも悪くも心がけ次第として現象する。
心して苦を乗り越えよという意味合いを持ち、気が付くものはやがて
輪廻を離れる。
道理は、種の保存であるために、人は人としてのみ転生する。他の生物に
生まれ変わることは無い。が、人生、人で無しという行為に由れば、
人でなしであるために、人ではないものに生まれ変わる。
ここで初めて、種の保存を断ち切る。
人でなしの行為の相応以上の非情に生きる種になる。これは、
自然の流れである。
自然という字をよくよく見てみるとよい。
'みずからしかあり'と書いている。

悪を為す者に智者は言った。「汝等は知らないからである」と。

  





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禁断の実

2018-09-23 | Weblog
アップルコンピュータのロゴマーク、
リンゴがかじられたマークはアダムとイヴの禁断のリンゴ。
知恵の木の実である。それは、
求めてはならない快楽の称である。
便利はやがて身を亡ぼす。
人間は禁断の身を食べたことになる。
人工知能はその能力、曖昧をもって心とし、
自由もどきを作り操る。
人のあらゆる情報が赤裸々にされ、無防備となるために、
勝ち目がない。隷属に伏す。
が、・・・
せっかく食べた知恵の実である。
鎖につながれた犬の自由を、不自由とみて道理の徳を得よ。
自由に束縛は無いから自由なのであると知恵をもって覚れ。
「成らぬは人の為さぬなりけり」と先人は覚っていたではないか。
自由、よくその文字を思え、知恵の眼で見、聴け。
心に手を添えて・・・。本物は真実である。

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異変近づく

2018-09-22 | Weblog
わが国の年金制度はすでに破綻状態。
国民年金、月6万ほどの金で暮らしていけると
政府は思っているための金額なのだろう。
「我が身をつねって他人の痛さを知れ」を知らない人達が
携わっているのだろうか?
それとも
知っていながらもはじき出している金額なのだとすれば、極悪人だぁ!
一事が万事、この国がよくなるわけがない。
首相、
世界中訪問しては金をばらまき、自国民は生活苦にあえぐ。
災害がいくつもあっても何のその、
豊かに見えて貧しい国と言われているのに、聴く耳を持たず、
いい格好しぃである。
外面よろしく内面悪し。
もしかして裸の王様?ふふふっ、豚もおだてりゃ木に登る?はて?

先進国として、世界に先駆けて老人大国になり、一億三千万弱の人口数、
島国にして単一民族、頭脳明晰、武士道にあり果敢にして優れもの、悲哀に遭いながら技あり民族だから、
試験的に最高適任民族、様々を目論まれ、データが集められる。

ケムトレイル、空中散布された薬剤は、もくろみに沿って現象となり、
生態系に変化が現れる。生体に対して顕著、性的な攪乱、生殖の不備などが多くなる。
三大疾病、特に記憶に作用、生ける屍がふえる。
食品添加物、加工食品、遺伝子組み換え、F1種、薬品等々等、つまり、生命科学技術(バイオテクノロジー)
によって変異が現れる。
これらすべて金で縛られて、わかっていても目前にして、安かろう悪かろうに手をつける。
そうして、もくろみにはまり、未来健全化の一端を担う。
捕食者である神々の為に・。

さて、心という自由を植え付けられたYAP生命体は、どう振舞うのだろう?
神々を超えるのか?戦戦兢兢として薄氷を履むがごとし、神々は注視する。
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七個目の改ざん、その脅威と驚異

2018-09-21 | Weblog
人類の科学技術も進歩して、今までできなかったことができるようになってきた。
今ある科学技術は、外宇宙からの知的生命体に教えられてこそできたものである。
そのヒントの応用をなして、人類は進化し続ける。
未来は人類の及ばないところにあるが、やがて到達するだろう。
先人たちは、はるかに優れて今を維持する。
まさかのさかを自ら作り出して上り下りしている。
人類が
AIなるものを作り出して、便利を享受するも不自由を余儀なくされる。
エネルギーたる自由を知らないために、道徳に与ることがないためである。
知的生命体であるエイリアンは、神々として人類の改造に勤しみ、
自らに由るものという心を入れ、七個目とした。
自由は曖昧としてその道程を探るも、不便が勝り統率の取れない様に至るを知る。
原子的な力によって葬り去る道を示す。
癌細胞が宿した身を食い尽くし、自らを滅ぼすことを知らないように、
神々であるエイリアン、捕食者は自由を宿したものに挑む。
彼等にとって、人類改造は失敗作となる。
なぜなら、自由を動かすことは如何なる力に於いてもできないためである。
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武士道の気骨

2018-09-21 | Weblog
民主主義という独裁政治、
平和ボケしている日本国民をだまくらかすのは簡単なのだろう。
選挙は、国民の為、国民の為と一途に謳い、果たして、
社会は騙され続けてどうだろう、巷は住みやすくなったか?

公務に従事する者達は、法律を作るために、自分たちの生活基盤を好く整えて、安全地帯を作って身を守る。
国民は、虐げられる。
世界を見てもわかる通り、ほとんどの国お山の大将というのは、善を隠れ蓑に下劣なものだ。
大衆はバカであり、指導者はエリートであるから、好い環境にあって当然と思っている。
馬鹿と鋏は使いよう、上手く操ってこそエリートなのであると、こざかしげに思っている。
確かに小賢しい。

日本国、子供は減少の一途をたどり、老人大国となって、国勢は衰えていくばかり。
子供を産みづらくしておきながら、老人パワーに頼り、
働ける奴は死ぬまで働けと老骨に鞭を打たせ、年金の出し渋りを行い、
健康を害するまでじりじりと懲らしめて早く死に追いやる。
もう働けない老人は、年金を減らされ続け、生かさず殺さずで、早く死んでくれと言わんばかり苛め抜く。
社会保障費はできるだけ払いたくないのが見え見え。
気持ちはわかるが、子供を産みづらくした政策の誤りが祟っている。
長寿は金持に多く、貧乏人ほど早く死ぬが、あまりに贅沢に溺れた生活のものは、
贅沢病に侵されて、苦しくして死ぬ。苦しくして死ぬものは、あの世も苦しい。
辻褄は合うようになっている。

災害は、
人の不幸は蜜の味、心底下心ばかりで、
助け合いと都合の良いことばかりあげつらい、ブラック企業さながらにボランティアを募る。
経済優先金融社会に需要と供給は、きれいごとではすまされない。
愛情とはなんだ、献身とはなんだ、互いを思いやる心に損得は無いはず!
人の心が試される。

強者は弱者を助けてこそあたりまえ、当たり前のことをして単なる人である。
そのために、当たり前ができないでいるから、生きづらい社会となっている。
人でなし社会だから、
毎日不安ばかりが募り、頭がおかしくなり、悲観して自殺していく人々のなんと多いことか。
物資豊かにして心貧しく、欲望にかられた人たちばかりが闊歩する社会が正しいわけがない。

この国は、原子爆弾の為された唯一の国である。その悲惨さはあまりに酷い。
にもかかわらず、じりじりと戦争の正当性を自衛隊に記していこうとしている。
悲惨さを体験した人々がいなくなっていき、頭の中だけで思い浮かんでも、
喉元過ぎて熱さ忘れる浅はかさが人の常、明らかに学習されていないための論議がされる。
権力で嘘を塗りつぶし、あちこちで不祥事が生じ、悪が闊歩している。
どうだ、平然とその指導者がまた選ばれた。国民が阿保だからと呆れられてもしょうがない。
実際選んでいるのだから、不正している奴をのさばらしているのが、平和ボケの日本である。
敗戦国である故、刀を奪われた武士。されるがままか?
本当に武士は絶たれたのか?

正しくない世の中だから、
人類の進化は、ただただ滅亡への進化となっている。そして、
生まれては死に、死んでは生まれる無常の繰り返し。
それでも、下等な繰り返しは絶つべきである。
人間だもの。人間だから。
「為せば成るなさねばならぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」と先人は言っていた。
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智慧の目

2018-09-19 | Weblog
あれこれと議論することが不要である物事だから不思議という。
智慧の身に付いた思いは、すべてに対して即断となるもので、
そのために、瞬時な行動が伴うものである。
それはまた、すべてに対して的を得た判断となっているために、
事なきを得、害されずに済むものである。
観音力というのは、即正しい対応がなされる力である。
そのために、知恵を身につけ、観音と呼ばれるようになった人の心念の力は、
このような力であると例えて述べているのが観音経である。
不思議な力という。つまり、道理を得たための力が具わるのである。
観音経は、
観音力に祈るための経ではない。
だから、
祈ったところで願いはかなわない。
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同異

2018-09-18 | Weblog
不思議がある。
観音と呼ばれるようになった人の心念は、
不思議である。
その不思議を語っているのが観音経、観世音と呼ばれた菩薩である。
観自在とは全くの別人、観自在は般若心経を語った菩薩で、
観世音とは違う菩薩である。
共に同じ観音たる力を得た仏であるための総称として、観音菩薩というのである。
観自在イコール観世音ではない。観世音イコール観自在ではない。
それは、
あなたと私が同じ人間であるのだが、全くの別人であるのと同じである。
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プレデター

2018-09-15 | Weblog
癌で死亡する人が増えている。
これからますます増える。
食べ物は、
遺伝子組み換え植物でありながら、そうではないと売られているのが実情。
毎日口にする葉物野菜のほとんどは一代交配種。
原発事故があり、数年が過ぎて話題は薄れているが、汚染された動植物の流通は
未だに存在する。「人の噂も七十五日」とか「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とか、
とかく人間は姑息なものであるために、過ぎ去ったことには疎くなる。
お金さえ出せば、今ではほとんどの食べ物、それもおいしいものが買えるのが日本である。
美味しいイコール良いものとして、平和ボケの日本人は認識している。いや、
そう思わされてしまっているといった方が正しいだろう。

精子の数が少ない男性が増えて、また、男性の女性化も増えている。
子供を産みづらい環境が作られ、育てにくい社会構造になってきている。
百歳以上の高齢者も増えている。長寿は好ましいことではあるが、
子供が減って老人が増えていけば、国力の衰退を
意味しているともいえる。

便利になればそれだけ不便も大となっていくのに気づくのは、災害があった時。
便利になれた身体は脆弱なものである。
つまり、何かに頼るということが高じていけば、逆に苦しくなっていくことを意味する。
「不自由を常と思えば不足なし」と先人が訓えたのは道理である。


長持ちする食品が重宝され、売る方は特に、買う方もメリットがあるとして、
様々に研究開発されて、美味しくて長持ちすることに重点が置かれ、商売が成り立っている。

加工された商品は商売の為という、いわゆる金融制度で支配されて、金儲け第一主義が正義。
そのために、手っ取り早く儲ける方法が楽となり、あれこれ考える。
欲、貪欲に支配されていく。

地球人口が増えていけば、地球環境も悪くなっていく。
特に、支配することに支障をきたす。
プレデターであるお山の大将はそう考え、独裁にして民主と謳いながら支配力を行使する。

病気も生活苦も巧妙に図られて、粛々進んでいる。でもほとんどは、「へぇーそうなんだ」と流すのみ。
しかし、
ここ最近、
新しい強力な侵略者が現れて、対立前に急ぎ謀が進められている。
この二年のうちに、善と悪と悪の対立となり、多くの痛みが伴い、
前人未到の境地が現れる。

多くは、聞いても聞かないものだから、火宅に埋もれる。
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