つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

エントロピー

2006-06-30 | Weblog
悲しみを超えて、このときに至る。
親しかった友を忘れないために、同じ日記のなかに、様々な‘思い’を綴っていこうと思う。
類は類で集まるように、同じようなことを記してみよう。

彼もまた縁を説いていたようだったから、同じようなことを書き留めていけば、
縁となって、心の中に現象として彼があらわれてくるのではなかろうか?

そのようなことが在るも無いも、心念の力として、信じてみるのも一つの選択。
夢の中でも会えるなら・・・
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彼は死にました。

2006-06-17 | Weblog
 彼は死にました。
生きているということは苦しいことであると、生前よく言っていました。
その意味を解せば、死んでその苦しみより解き放たれたように思われます。

私は、深く生きるという意味を理解していません。
ただ自分が、気がついたらここ(この世)にいて、
いるから、ただ一生懸命に生きているというだけで、
仏とか神とかを真に考えたこともなく、いまある現実のなかで、
うろおぼえで仏、神を思っているものです。
彼からしてみれば、私など、煩悩のしがらみの中で生きていて、それが当たり前として生きているために、仏なり神なりを荒唐無稽なものと考えていて、
とても、まっとうに考えようとしない人、なのでしょう。

ただ生きている人、なのでしょう。
苦しみの中を行き来するだけの命、なのでしょう。

彼の身近にいた者として、今は亡き彼を思えば、そう思っていたのでしょう?

昨日いた人が、今はいない。という現実にであうと、
現実に戸惑う。
あらためて私も、仏を考え神を思う。
水のように形は無くて、しかし、見えて、空気のように見えなくて、しかし、
触れている。
在るものの中にあって、もう、会うことは無いのでしょうか?

失って、はじめて得られるもの・・・不思議!?!

彼がいつも言っていたことを思う。
「一生懸命になると疲れてしまう。そう続くものではない。
一所懸命としての懸命になればいいんだ、一所懸命に生きるんだ」「一所の懸命だよ」って・・・
つくづくそうだと思っても、賛同してあげられる彼はいない。

整理していて、この日記を見つけることができました。
誰にともなく書いていたこの日記が、止まったのはそのためでした。
少なくとも見てくれてた人、彼に変わって、ありがとうございました。
言葉足らずですが・・・ピリオド。
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神はいない。

2006-06-10 | Weblog
「神はいるのですか?」とたずねる者がいた。
こう答えた。
「あなたが考えているような全知全能たる者、神はいません」と。

神はいない。万物の創造神などいない。
心の中にもいない。

いまだ、神が多くの人の前に現れて、その存在を明らかにしたことは無く、
まして、手を差し伸べて、悲しみに在るものを救ってくれることなど無い。

創り主なる者はいない。

エネルギーの法則で万物は作られている。
回る性質であるために、その変化に対応したエネルギーとなって、
生命は作られている。
すべてがこの法則の下の存在で、神も仏もこの法則の下の存在となっている。
人としての生命が、修行によって神或いは仏となっていったもので、
元は、神も仏も人である。
縁によってなるもので、悟ることによって、行為としていけば、誰でも神や仏になれるものであると説かれている。
元は人であったために、縁となって、啓示として人に語ることができる。
神通力なるものが備わり、人から見れば超能力と見えるのだろう。
神、仏はそのような存在である。

しかし、法則の下の存在であるために、神や仏といえども法則を変えることはできない。法則を超える力は存在とならないからである。

すべてが法則の存在である。
法則が回る動きである為に、無くなることのない動きとなっていて、
無くなることがないために、
回る動きの変化を、諸行無常として常住であるとなっている。

環境の変化にそれぞれ対応したエネルギーが、それぞれの生命となっている。

生命はエネルギーである。そのために、なくなることがなく連綿となっている。




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争わない

2006-06-09 | Weblog
競争の中に在るものは、常に苦しみと共に在る。

聞くことも聞かせることもできるだろう。
しかし、議論は避けよう。無駄である。
けっして互いの考えが交わることはなく、平行をたどるだけである。(ー_ー)!!
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自然の道徳

2006-06-07 | Weblog
頭がよい。知識も豊富。学歴もある。そして、地位も名誉も・・・
そんな人たちが罪を犯す。
連日、そのようなニュースが後を絶たない。
法治国でありながら、不法をなす。
してはいけないことを充分学んできた人たちでさえである。
もし、一定のきまり、(秩序)が無かったなら、人の世界、社会はどんなんだろうか。あまりにも悲惨な世界に違いない。
人は、悪魔か?
善悪の判断がつくにもかかわらず、魔はさす。

人の創った決まり(法)は完全ではない。完璧ではない。
そのため、その法によって苦しむ。

生命はエネルギーである。
エネルギーの法則がすべての存在をつくっているために、
その法則が完全無欠となっている。
善悪もなく恐怖もない。
回る動きである為に、始まりも終わりもなく、浄化の動きとなって、
絶対善となっている。

悪も恐怖も人がつくっているもので、そのために、
悪を現象としなければ恐怖も消えて、人は苦しむことは無い。
もともと無いものであるために・・・

・・・理解する人はまずいないだろうけど、
般若心経を正しく解釈できれば分かってくるのだが・・(^^)


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抽象的と・・・

2006-06-06 | Weblog
じっと自然を見つめる。
ただじっとして、自然に・・・

揺れ動くものは自分。
動かぬもの、変わらぬもの、時のなきもの、空間のなきもの、
その世界こそ縦横無尽で、生命エネルギーの望む世界。
究極の世界。清浄な世界、如来の空間。

普通、あまりにも抽象的ととらえてしまうのは、
ありのままの事柄が、ありのままに見えていないために、そう思う。

明日も今日と変わらない。
ただ回っている。回る変化が変わらない。
ここに、ありのままが見えている。
なぜ回っているのかということは思う必要はない。
回っているための存在だから・・・。

抽象的にしか見えないと思う。(・・?
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もう近い将来・・

2006-06-04 | Weblog
海は涙。人のながした涙の量。かなしい水。
うれしくて泣く、悲しくて泣く。
こぼれた涙は、土に滲みて苦さが残り、空に上って雨となって降り注ぐ。
苦さは滲みでて更に辛い水となる。

よくても悪くても泣いて、たまった水の中から生まれてくる。哀しい存在。

それがぐるぐると回り繰りかえす。そのために、
悲しみは揺れ動き、波となる。
波は荒れて、すべてを飲み込もうとしている。

やがて、浄化されていく。



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悲しみの進化

2006-06-04 | Weblog
哀しい環境を見て
「助けてあげたいと思った」という。
そう思うことは良いことだ。 でも、 そう思ったなら
そうしてあげられるよう少しずつでも行為としていかなければ、
思いは伝わることもなく、まして 形になることはない。
思っただけでは叶わない。それまでである。

人は賢いものである。尊いものである。

それなのに、人は人を虐げる。

人は学習する。賢いはず、尊いはず。 なのに
馬鹿であり、醜いものである。
卑しくて哀しい。

そんな かなしいものの住む星、青く輝く水の星地球は、
涙の星。
もうじき、その哀しい涙に人は溺れてしまう。

「遠いむかし、優れた文明があったが、涙の大海に沈む。」と遠い未来に記される。

自らを一瞬にして滅ぼすことのできる能力を得て、
それが故に滅ぶ。道徳を学習しなかったために・・・。

この100年、その変化は現れる。(ーー;)

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パラドックスの中

2006-06-01 | Weblog
今日もまた、昨日とまったく変わらなく一日は過ぎる。

いつものように起きて、いつもの時間に出かけ、いつもと同じ仕事をし、
いつものように帰る。

いつも、いつものように同じく過ぎる。

ただこのことに気づく。

変わらない中に少しずつ変化しながら、でも、変わらない。

「私は嘘しかつかない」という矛盾。

こういうことに惑わされて、見えなくなる。

パラドックスの中に住みついてしまっているために、
何を聞いても荒唐無稽となって、変わりたいと思いながら、変われない。

本来、矛盾は無い。

自浄其意、自浄其意、 自浄其意。

そのことに気づけば、矛盾は無くなる。(~o~)
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