つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

乱れて壊れる

2010-01-31 | Weblog
倫理が薄れていき
いよいよこの国も崩壊し始めた。
過去、つぶれることなど考えもしなかった企業がつぶれるはめになり、
幾つもの有名企業があえなく不況の中に沈む。
法律を良く守らねばならない職にある人が守らず、先生といわれる人が淫らな事にいそしみ、まさかと驚くことばかりが、いつしかまたかと慣れてきた。
国内外に様々に乱れてきて、世の終わりを告げているように思う。
人を見たら泥棒と思えとは哀しいことだ。疑うことだらけの世の中は、
道理に淘汰されていく。ここ数年で・・・。仕方の無いことだと哀しく思う。
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自主

2010-01-30 | Weblog
なにものにも頼ることなく生きるなら、
ふりまわされることなく、うろたえることも無い。
隷属することなく、自分をよく調えて、縁起でめぐる人の住処に、
善いことを為して生きていけば、
善いことにめぐり合い、善い人に出会い良く好く生きられる。

人に指図せず、されず、こうしてみたら?こうしてみよう!と自他共に問いかけるだけ。

この世では、好い人も悪いことに会うし、悪い人でも良い思いをするが、
後々苦楽の別が現れて、よい人は好ましいところに、
悪い人は好ましくないところに住む。
それは、苦しみだけのところと、楽しみだけのところとはっきり分かれて、
行き来することが無いところである。

人は誰でも死ぬ。例外は無い。
肉体を操って生きた世界は、肉体を持たない世界を創造する。
その世界が魂、心、気、いわゆるエネルギーそのものの世界。
心の経験の現象の世界、心の善し悪しの世界、思いの世界となっている。
真実の自分の世界である。
その世界が苦楽別の世界である。苦に赴くも楽に赴くも、
肉体を持っての人生の時の選択にある。
故に無駄に生きるな。かけがえの無い人生を与えられているのであるから。
信じることと疑うことの別は、善悪の別にある。
信じるものは救われるとは、人の格にあり、あの世へ赴くときの分岐となる。
格を磨いて・・・死に備える。



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徳な暮らし

2010-01-29 | Weblog
少しでも快く生きたいなら、
厚かましく己の利を求めず、
足るを知ること。

生きているということは、なんにしても何かを消費して生きている。
ほとんど浪費とでもいえる消費で。

善いことをするということは、
極力無駄を省き、便利に甘んじず、自分を動かして
足ることを知り、倹しく慎ましく暮らすこと。
‘けち’になることなく
もったいないを大事にして節約に心がけ生きる。
分かち合って、なんでも我が身に置き換えて
哀れみに思いを配る。
そんな風に暮らしていくと、不思議に
楽しく生きられる。
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自分の心の

2010-01-28 | Weblog
自分の心が素直であれば、訪れる時間も素直なものになっていく。
素直な人に出会い、素直な事柄の一日となっていく。

何事も明るく考えよう。

暗かったら明かりを点すようにしよう。
できるだけでいいから、できるだけ。

うつむいてしまうなら、先ず体を動かそう。
体を鍛えていれば自ずと前向きになっていく。
とにかく動いて、動きながら思うこと。
前向きな思いとなって楽になるから。

善い人との出会いは大事。要。
善いことに出会いたければ、善い人になればよい。
ささやかながら、ちっぽけなことでいい、一日一善。
気負わずに行って、やがて、つもりつもって善い人と成る。
類は友を呼ぶように。
そうして、知らない間に
良いことが廻ってくるから。ほんと!
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くじけてもくじけても

2010-01-27 | Weblog
生きてさえいれば・・・

こうなりたいと望んで挑み、打ちのめされて挫折。
それでも立ち上がり再び挑む。打ち砕かれて挫折。
またまた立ち上がり三度挑む。それでも打ち負かされて倒れこむ。が
また立ち上がる。また挑む。そうして、
何度も何度も敗れても起き上がっていくものは、勝ち進む。
負かされて立ち上がっていくものは、真の強さを得る。強大な力を身につける。
屈辱から得た優しさと、修羅の巧みなくぐりぬけ。
あらゆる方向の対応に長けて、破られることの無い愛の保護幕を放ち、
愛しまれて惜しまれて。
徳の力でよく守られ、真の強者となる。
求めて、
明らめて生きる。それを諦める生き方。最高の生き方。
賞賛して「諦」の字を当てて、羯諦(ぎゃてい)という。
歓喜の声、言葉である。
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浅ましさ

2010-01-25 | Weblog
自分さえよければ、
と思う人がいっぱい。
その気持ちはわからなくは無い。
でも・・・。
社会は倫理をなくして、乱れに乱れて・・・。
ああ~、と
自分の身の周りを保護する。
自分さえ・・・
それは
やがて自分を害う。
浅ましさに嘆く。
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哀しく見える

2010-01-24 | Weblog
お金があっても健康でない。
健康なのにお金が無い。
健康でお金があるなら長生きもいいのかもしれない。
生きるために食べる。食べる為に働く。
お金が無くても生きていける世の中は素適かもしれない。
不健康なのに生きている世の中は苦しいものだ。
不健康なのに生かされているのも酷。
お金のために働くのも辛いものだ。
食べる為にお金がいるのも悲しいものだ。
お金と健康のために寿命をちじめて、
人生を終える。
これはおいしい。あそこのものはおいしい
と言って、年老いて。
何の為に生きたのか、生きるのか。
食べる為に生きて、生きるためにただ食べて人生を終える。
そう私の目に世の中が映る。
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真逆

2010-01-23 | Weblog
明日が来ないとは誰も思わないし
日々の暮らしからして
一つの御伽噺、記憶にも止まらない。
いままでもSFのような未来予告はたくさんあったが、
時は過ぎ去って、変わりなく現実の日常は繰り返されている。
おそらく、人の持つ時間と宇宙の流れに違いがありすぎるのだろう。
ただ、
本能として
近々、地球に異変は起こるようだ。
百年未満とされているが、もっと早まっているように感じられる。
兎にも角にも21世紀は人類にはこないと
道理はそう予めて伝える。
これは智慧の思いである。
日々の暮らしに流され、日常的に過ぎ去る時間に
荒唐無稽と記憶にもならない時、まさかが起きる。
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生まれるな

2010-01-22 | Weblog
少し高台に上り、地にへばり付いていきる人々を見る。
生まれたての赤子も、うら若き乙女も、怖いもの知らずの若者も、姥桜も、老いる親父たちも皆、不浄なものとして見える。
魑魅魍魎を見るかのような形相を為していて
血肉で固められたその体は煩悩を内在して、ただ不浄なものを膿のように吐き出している。
脂ぎり悪臭を放ちながら、片時も清浄となることがない。
綺麗を装い艶やかな女でも。
生きるとは他の命を奪い、綺麗を穢れに変えてなる。
それは罪つくりであり罰となり苦しみである。
消費して浪費して苦労である。徳を積まない人生には。
徳を積めない人生には何の意味も無い。無意味無駄であるだけ、苦であるだけ。
生まれるなと覚る。
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生きるという旅人

2010-01-21 | Weblog
理が無いとして無理と書く。
何かをしようとするところの道理を見い出せないでいる為に、
無理だとしているだけで、
本来、すべてが存在する中で生きているもので、
無理なことなどない。
ただそこまで行くことの理を見つけられないでいるだけ。
凡そ、それは時間と行為、思考が関与するので、
探し当てることである。
試行錯誤してと、探しあぐねて
やがてたどり着く道を得る。
「為せば成る為さねば成らぬ何事も、
成らぬは人の為さぬなりけり」とは、その通り。
すべては有の中での存在である為に、
探しあぐねるのが人生という旅、それは苦しいものである。ただただ
苦しみの中にあってなされるものである。
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