読売新聞、記事は誤報、お詫びしますと本日の新聞にあった。
遂にここまで露呈してきた。新聞で正しいのは日付だけ、と揶揄されたが、その日付までが間違って掲載された新聞があったことを記憶する。なにも校正されていなかった、と言う事が露呈した。公と言う、つまり権力が絶大にあれば、間違っていたとしても、誰も歯向かう事はしない。指摘するだけで、とことんやっつけられたものである。そのため、悪い意味での忖度が横行していた。日が経つにつれ傲慢になっていくのが成り上がり者の常である。過去に見るメデアの不祥事、ジャニーズ問題に絡みフジテレビの歪さが明らかになったばかり、これは、権力という大きな力には嘘はないという刷りこみが、隅々まで行き渡っていた時代である。ついつい最近まで、いや、今もってまだ蔓延っているのであるが、遂に「嘘はつけない」というところまで、社会が追い込まれてきたのである。これからもっと、明らかになってくることがたくさんある。そのため、今のうちに
「誤ったところは謝っておこう」とする思惑が見えなくもない。ある意味ずる賢さがある。表向きは「善行」にあるとしての看板を掲げながら、裏では、
「あくどい事を為していた」と言うのが現状であった。世の中に見る
「まさか」と言う驚きは、「人間不信」を否応なく抱かせる。
昨今、様々な呆れた事件が報道される。本当の意味での世紀末状態である。
「一旦、人類は淘汰される」のが正解なのかもしれない、と、道理を見てそう思う次第である。
歪にあった社会が、暴露、また、否応なく露呈している状況を鑑みて、
やはり、「秩序」と言うのは正しく回りゆく事で、浄化の法則が顕著となってきていると知るのは、一応、人類に未だ更生の道が残されていると判断できることでもある。だから、これから、善い事と悪い事が折り重なって表れてくると知れるのである。まず、化粧を落として、粉飾をやめ、素顔、素直な心で行き来しなければならない。すれば、本当の「ブス」と「美」が素朴な中に表れてくる。もう騙すこともしなくていいし、騙される事も無くなるのである。
人類、誕生以来の最後の賭けである。
「信じるものは救われる」は、真実であった。
「信じるものは騙される」は、過去として、人よ進化しろ!