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つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

目白押しに

2025-08-28 | Weblog
読売新聞、記事は誤報、お詫びしますと本日の新聞にあった。
遂にここまで露呈してきた。新聞で正しいのは日付だけ、と揶揄されたが、その日付までが間違って掲載された新聞があったことを記憶する。なにも校正されていなかった、と言う事が露呈した。公と言う、つまり権力が絶大にあれば、間違っていたとしても、誰も歯向かう事はしない。指摘するだけで、とことんやっつけられたものである。そのため、悪い意味での忖度が横行していた。日が経つにつれ傲慢になっていくのが成り上がり者の常である。過去に見るメデアの不祥事、ジャニーズ問題に絡みフジテレビの歪さが明らかになったばかり、これは、権力という大きな力には嘘はないという刷りこみが、隅々まで行き渡っていた時代である。ついつい最近まで、いや、今もってまだ蔓延っているのであるが、遂に「嘘はつけない」というところまで、社会が追い込まれてきたのである。これからもっと、明らかになってくることがたくさんある。そのため、今のうちに
「誤ったところは謝っておこう」とする思惑が見えなくもない。ある意味ずる賢さがある。表向きは「善行」にあるとしての看板を掲げながら、裏では、
「あくどい事を為していた」と言うのが現状であった。世の中に見る
「まさか」と言う驚きは、「人間不信」を否応なく抱かせる。
昨今、様々な呆れた事件が報道される。本当の意味での世紀末状態である。
「一旦、人類は淘汰される」のが正解なのかもしれない、と、道理を見てそう思う次第である。
歪にあった社会が、暴露、また、否応なく露呈している状況を鑑みて、
やはり、「秩序」と言うのは正しく回りゆく事で、浄化の法則が顕著となってきていると知るのは、一応、人類に未だ更生の道が残されていると判断できることでもある。だから、これから、善い事と悪い事が折り重なって表れてくると知れるのである。まず、化粧を落として、粉飾をやめ、素顔、素直な心で行き来しなければならない。すれば、本当の「ブス」と「美」が素朴な中に表れてくる。もう騙すこともしなくていいし、騙される事も無くなるのである。
人類、誕生以来の最後の賭けである。
「信じるものは救われる」は、真実であった。
「信じるものは騙される」は、過去として、人よ進化しろ!

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道義的動き

2025-08-27 | Weblog
さて、北朝鮮問題、拉致は、年内が山場、「命の尽きぬ間に」、人としての動きが注目される。ようやく、世界が動く。
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日本、民主主義国?

2025-08-27 | Weblog
現総理になって自由民主党、とうとう解体に向かう羽目になった。
「石が破る」は真実となってきている。これほどの危機に至ったのも、すべて長年の「驕り」からきている。お年寄りは従順であったが、今頃の若者は「物言わずして離れていく」つまり、過去の学生運動に見る反撥ではなく、クレーム失くして、そっぽを向く仕草である。クレームを言ってくれれば、対策の仕方もあるが、黙ってはなれていく様には、困惑するばかりとなる。
「石破辞めるな」の支持率は、そもそもアンケートの仕方が偏っているための事、正確ではない。メデアはそのような印象操作を巧みに行い、国民をあらぬ方向へと誘導している様は如何なものか。公共を欺く仕方は戦前に見る権力の乱用である。従わなければ村八分的風潮を生んだ。人の上に立つ者が誤りにあれば、その国は終わる。現に日本国は戦争となり、その後地獄絵図となった。
振り返れば「ポピュリズム」(大衆迎合)は、世間の風潮を助長し、個を封じ込めた悪しき時代であった。
現在に見る選挙戦で敗退したにもかかわらず、居座る総理の醜さが、自民党を象徴しているために、過去の自民党をぶっ壊すとして現れた総理の思惑が、
今ここにきて現実となってくる。石破氏の醜さ(欺き)は国民にそっぽを向かれた事象を確実としてこの9月、次期総理総裁選が行われる。
支持率どうのこうのではない、すでに選挙での結果が出たのであるから。
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現在過去未来

2025-08-26 | Weblog
日本のマスメデア、はしりとしてフジテレビが信用失墜した。現在復帰しつつも
前途多難、そうこうしている間に、TBS、日テレ、テレ朝、最後NHKと闇が露呈し、いずれも総入れ替えが起こる。ここ3、4年の間と受ける。フジテレビのゴタゴタ事にも呆れたように、放送法ができて以来、驕りが各局に知らず知らずのうちに蔓延り、善悪の麻痺として正しく機能しなくなったためである。
「驕れる者、久しからず‥」詩に詠まれたように淀みに浮かぶ泡沫を表すものである。報道こそ人々を惑わせるのにうってつけの方法となったのである。
久しく感じたものでも、思い起こせば儚い事である。
いつしか、それとなく人の入れ替えが進み、歴史は繰り返されるが、一つ違う事に、時間は学びを与えるものである。人間と言う動物、他にない精神的仕草を持つ。故に、進化する者であり、魂と言う得体のしれないエネルギーに思いを馳せる。もうじき、スピードと言う障壁を乗り越え、慣性の法則を克服し、物理的にも進化を見るが、すでに、精神的にしては量子を覚り、「瞬時」というエネルギーを纏う。これは、観音経に見る「思い」で明らかに示されている。随分と時間が経つが、人それぞれの解釈の仕方が可能不可能を選り分けている。「思う心」に宿ることを知る人ぞ知る。それは簡単だが、99.9%の人達は難解として謎のままに残る。
ただ近年、人として在らずの優れた才能を見る。それは、宇宙は生命エネルギーで満ち満ちていて、それぞれの特性をもって存在している。そこに思いを馳せれば、交流もいつしか、カメレオンの如くにある不思議を得る。
恐らくそれは、江戸時代に、いまの科学技術を語るようなことで、なかなか受け入れられないことである。時期尚早が現実である。しかし、未来と言う時は、必ず来るのである。

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路傍の石の如く

2025-08-24 | Weblog
さて、この独り言に辿り着く人は稀である。
路傍の石としてあるために、目立たなくしてある。
価値ある物、ダイヤとか金とか、希土類元素(レアアース)はその名の通り、
希(まれ)なのである。見つけることが難しい。それなりの「縁」が必要である。誰でもと言うわけにはいかない。因みに、
奇麗なものにはきれいなものが集まり、汚いものにはきたないものが集まる、
道理であることを知るものは「縁起の法」を見る。
もうじき、この独り言も閉じられる。どこかでまた会えるものであるならば、
「縁」と言うものを覚る。
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サプライズ

2025-08-24 | Weblog
日本国政府、与野党の茶番劇を見せられ続けて、もううんざりの国民。
選挙で大敗しても居続ける総理総裁、本来であれば選挙後の結果、即入れ替わっていなければならない。それが出来ていないのは、野党と称する党の怠慢、
国民の税金に群がり、与野党共に国民を騙し、歳費として搾取できる美味しい仕事であるためである。国会を開けば一日当たり数億円の費用と言われる。
なんだかんだと理屈を捏ね合い、検討ばかりで時間稼ぎ、国民の為になる政策は一向に決まらない。それでいて高額な歳費を給うのであるから辞められない。
如何に国民が選挙で騙され続けてきたか、である。その果が現在のような恥ずかしくある有様である。国民そっちのけのぬれ落ち葉的政治、世界の恥さらしとなってしまった。大和魂の潔さは何処にも見当たらない。落ちるところまで落ちた感のある日本国である。この危機迫る現象に、対処する者が現れる。
日本国堕落ばかりしてはいられないとする人達がいるのである。悪者がいれば善い者もいるのである。日出国としてある日本国、来月より大きく方向転換が成されていく。表向きには報道されていないが、故に、驚くのである。内緒で実行される演出、供給事、サプライズである。
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迫りくる希望的見解と絶望的見解

2025-08-23 | Weblog
絶望的見解の人と希望的見解の人とに二分されて時空が開かれる。
それが顕著となるのは来月9月からである。2025年9月より2026年8月頃まで続く。絶望的時間線上にある人達は、台湾有事を発端にして日本有事となり、
都市はほぼ壊滅、これは、独立を歩まされるための核保有国に向かい、隣国である大国との核戦争に発展するためである。歴史の恨み辛みの清算は、まさに凄惨な状況を表し、再三にわたる悲劇の結末にて終焉となる。多くの犠牲が払われる。「人、喉元過ぎて熱さ忘れる」の哀しさに帰すためである。
希望的時間線上にある人達は、過去に学び、学習の末悲惨な歴史からサヨナラをして、生まれ育つ生命に語り継ぎ、肝に銘じて惨劇を繰り返さない教育をし、
地獄絵図から決別した招来とした人達であり、精神的に以降した魂群である。
ここに、金融支配は無く、愛情に満ちた時間線が構築されている。
同じ地球であるが、全く異なった地球時間となっている。
それは、善い人と悪い人がいるように、混在した時間であったが、
地獄と天国があるように、異種混同がなく、はっきりと分別されている。
自身の魂(気)と言うのが、どちらにあるのかで、時間の分岐点を通過する。
もし明らかに歪にあるのであれば絶望的時間線上を、いや、少なくとも愛情にあるならば希望的時間線上になるが、曖昧にあるならば、正される時間はⅠ年間のみである。

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あの世は、天国と地獄のどちらかである

2025-08-22 | Weblog
先ずテレビ、それから新聞、次ラジオの順で効率化が図られる。
生き残る所と消えていくところは現状の報道を見ていれば知れてくることである。まさかあの大手企業が、と粛清(粛正)されていく。
長い物には巻かれろ主義は、自己を持たないものであるために、断罪される。
結局、いけないことはいけないと主張するものは生き残るのである。
天国と地獄と言うのは、本当に存在するのである。それは、誰でも必然知る事である。知ってからでは、取り返しは出来ない。だから、無知と言うのは本当に恐ろしい事である。人生僅か50年時代から100年時代になっても、無知をなくすには短い時間である。何のために生きるのか、美味しいものを食べて生き延びているだけでは、人生を無駄にしているだけである。だから、昔の人達は苦しみの生活を強いられて生きていた。物質だけに執着していたために、四苦八苦の中で生きていたのである。何度生まれ変わっただろう?、ようやく精神的に生きることが、幸せを得られることに気づき始めた生まれ変わり。人生100年時代の進歩である。それでも、ただ漫然と生きていては漠然の中で人生は長いものである。精神的に気づき、僅かな人生であったとしても、漫然と生きていた人生より比較にならないほどの価値のある人生となる。その価値は、もう苦を感じることは無い。永遠の幸せを得ることになる。真実だ。
誰でも必然嘘かホントか知る時が来るのである。貴方を操るのは魂である。
その魂には「死」と言うのはないのであるから。そのうえで、
人は、死ぬために生まれるのである。あの世こそ、魂の真実の世界なのである。その世界を幸せにするために、この世でいろいろ学ぶのである。

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現代版社会変動期

2025-08-21 | Weblog
国民の為の政治となっているのであれば、誰もやめろとは言わない。
国民を虐めて、私利私欲の政治を行っているのが分かるために、「早くやめろ!」と言われるのである。子供でも分かる。日本国、ありとあらゆるところで腐敗して、まさに世紀末状態。
日本国民の為の政治となっていれば、誰も「総理首にしろ」とは言わない。
なっていないから言われるのである。すったもんだしている時間は無い。して、
この9月総理総裁選が行われて、新総理誕生の運びとなる。辛うじて、日本沈没が回避される。表にはまだまだしぶとく居座るニュースばかりだが、裏では、粛々と入れ替わりのタイミングが計られている。以前より噂されていた大量逮捕劇が真実となる。「火の無いところに煙は立たない」、昔からの聞き慣れた道理である。時代が進み、科学が進歩すれば、「火の無い所にでも煙が立つ」ようになる。「風雲急を告げる」と言うのは、現代版社会変動期。
どう見てもおかしい、変だ、不条理だとする社会現象は、「暗雲にわかに掻き曇り轟く稲妻雨ザーザー」と急ぎ足、洗い流される。
昨今に見る天気は、まさにあちこちでそのように異常状態、急変している。
地上が汚くなれば、その汚さ天に上り、真っ黒い雨雲となって地上に降り注ぐ。地上は一変、洗い灌がれて綺麗に成っていく。この一連の動きはエネルギーの円運動、必然一旦ゼロ(綺麗)になるのである。
一日が終わってまた新たなる一日が始まるように!このようにして、自然は
だから美しい、何億年と続いている地球の道理である。

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峻別

2025-08-20 | Weblog
民意は選挙で示された。現総理の政権では国民が酷民となってしまう。
石破早くやめろ!と示されたのであるが、民意を無視して続投を言い張る、
それを擁護するオールドメデア、「石破辞めるなコール」は明らかにおかしい。
何のための選挙結果か?これを許せば、独裁政治に繋がっていく危険な状況に日本は置かれる。テレビラジオ新聞と言う情報媒体は罪を作る。そして、罰を受ける。露骨に何でもあり権力、このあからさまに見せる歪な事象は、それこそ、
善悪の正しい判断を問いただしているのである。権力側が正しいというのは嘘と分かるように「変」を見せているのである。この過ぎ去りし日々の記録が証明となるために。峻別である。
「峻別」=少しもあいまいな点を残さず、けじめをつけること、と辞書にある。
もう言い訳は通用しない。事実は記録された証拠。多くの人々の洗脳された記憶が、訂正されるための事象なのである。
長い間の悪魔の支配は終焉を迎える。この9月より大きく動く。
昨年の春分の日、秋分の日から、紆余曲折を経て、粛々と変化している。
オールドメデアは粛清される。印象操作は今もって、なりふり構わず酷くなるのは、終焉がまじかに迫る危機感があるためである。尋常ではない危機感を
感じているのであろう。「溺れる者藁をもつかむ」。
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