つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

お金につかわれて

2010-11-29 | Weblog
お金が無ければ生きていけない社会になった。
昭和30年代、とくに始めころ、純朴な風景だった中では、人の心も純朴だったと思う。
茜色に染まる頃合が多く、生きる命の尊さを感じられたものだ。
お金など二の次であった、生きていくための助け合う、人だものというしぐさ。あの人もこの人も、だれもかれも
おなじ振る舞いなのだから、駆け引きなど考えようも無く、ただ素に手をさしだしたものだ。
素朴というものには癒しがある。素が清浄であるなら惹きつけられていく。
素直に人としての種のいたわり。高度な完成度を秘めて人と崇められる。
人と人との間が窮屈になれば素が雑になり、雑を煩い、化けて粗を隠そうと
つまらぬことに気をかける。
お金が無ければ生きていけなくなった社会は、すべて化粧して正当を装う。
化粧しなければ粗雑な自分が見られない。見て取って、粗雑な自分が生きていけない
弱い素の自分がかわいそう。
哀れを隠し立てしてきれいを装い、‘愛よりお金’の本音で生きる社会は人で無し。
人で無しの社会は人間ではなく、食うか食われるかの獣と同じ。
君は人間ですか?人で無し?お金が無ければ生きていけない人で無し。
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道子

2010-11-28 | Weblog
ある使命を持ってこの世に現れる。
意図しているにもかかわらず、その道すら知らず、
迷い戸惑い歩む。

私はこれが好き。と、
かすかながら自分を知る。古の記憶の重なりの中で
培われた性質が、わずかながら
見え隠れし始めたころ、その道を知る。

道ゆく人として
すがら、多くを学んで道の子となるも、
ただただ訓えられること然り。

道子よ、何が因縁で道の子(師)と呼ばれるようになったのですか?
自然に学び智慧を得たからである。
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法子

2010-11-27 | Weblog
秩序を保ち
よく戒めて
真摯に努力を行う者に
道は開かれている。
規則正しく並べられた道筋を、
規則正しく行い歩むも
ただ努力の甲斐あるものと道理は称える。
精進する人のなんと素晴らしいことか。
人は捨てたものではない。

浅はかに淫らなことにいそしむな。

感動を与えるものは、限りなく整列していて、それを
狂い無く的を得て
情けは揺さぶられる。
巧みな技を身につけた人の静かな姿は、
とどまることの無い動きの重なり。
ひとつにして、幾重の姿。
通り過ぎたぎこちない姿の幾もの現れは、
円くなって見える。
類稀なる者である、人というのは。

ほんの数パーセントしか使われていないという脳。
その能力全開は、人という所以をもつ。
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終の始まり

2010-11-25 | Weblog
何かが終わりに近づくときは加速していく。
物事の変化が早く、安定を欠いて定まらない。
年を追うごとに時間が早く感じられるのは、
命短しということ。
年老いた人だけが感じるのなら道理。
老いも若きも
季節の移り変わりが速いと感じている。
ついにきた、時の終焉真近。
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こころをみがくうた

2010-11-23 | Weblog
(故得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚)
故に、悪魔となっている想行識の三つ(三藐)が正されて三菩提として
身についてくる事が誰でも得られるようになった。それ故、悩める多くの人々に知らせていった。
この是(法則)こそ、
釈迦の語った法則であり、菩薩によって明らかにされた訶(うた)である。
この是(法則)が
この上も無い訶であり、比較するべきものの無い唯一の是であり、一切の苦を除くことができ、
真実にしてうその無いものであるとして。
(故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶 般若心経)
故に、悩める多くの人々に呪を説いていった。説かれて即、
人々はぎゃーぎゃーと歓喜(なんてすばらしいだ)の声を上げ、修行僧らも歓喜の声を上げた。
般若心経こそ、娑婆の人々の悟りの訶(うた)である。

般若心経は音写されたものではなく、中国語である漢文に訳されたとき、一文字一文字
正しい意味のある文字を当てられ訳されている。般若が智慧と訳されるべき文字ではない。
般は一般の般であり、若は、若干名の若で、数を表している文字で、つまり、一般大衆を示している文字である。
悩み多き人々の心をみがく訶(うた)である。
波羅は、波のように揺れ動く悩み、苦るしみである。蜜多はミツバチの巣の如くぎっしり詰まった、である。
つまり、悩み苦しみにがんじがらめになっている人々を示している。
梵語は横文字である。漢文は縦文字である。経とは、縦を意味して、横文字を縦文字に訳したものとして経という字があてられている。
心経の文字は意味不明なのではなく、真言というわけのわからない仏の言葉などでもない。
一般の大衆に説かれたものであるために、難しいものであってはならず、簡潔に説かれている。
また、心経の文字にさまたげられることのないように、正しく解してくれるよう、序文がつけられ、
心配りがされているほどである。が、・・・心配は的中、心経は実体を否定するものとなっている。
無は否定の無でつけられているわけではない。
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こころをみがくうた

2010-11-22 | Weblog
(無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽)
無明は地獄の世界。無無明とは地獄が作られてしまうと
地獄の世界が無くなる事が無く、地獄が尽きて無くなってしまうことも無いことである。
それに、老いて死にゆく怖さも無くなる事が無く、また、老いて死にゆく怖さも尽きて無くなる事も無い。
(無苦集滅道 無智亦無得以無所得 故菩提薩埵 依般若波羅蜜多)
苦を集め滅していく方法が無くならず、智慧も、また智慧で得た力も無くならない故に、
悩める多くの人々の悟りへの道が開かれている。
(故心無罣礙 無罣礙 故無有恐怖 遠離一切顛倒夢想)
道が開かれているのは、心が心経の文字に礙げられず、無を無いとするのではなく、
無くならないとして、心の自由な思いとなっているためである。心が文字に礙がられないから、
無が無くならないものとなってしまうために、恐怖も無くならないとなり、救われなくなってしまう。
そのために、救われないとする思いを一切遠くへ切り離して、無くならないものは無いとして、
顛倒して思い、想いから恐怖を無くしていくことである。
(究竟涅槃三世諸佛 依般若波羅蜜多)
そうすることが、悩める多くの人々の涅槃となり、三世にわたり佛となることができる悟りの世界である。
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こころをみがくうた

2010-11-21 | Weblog
開経偈

=この上なく奥深く、優れた法則は永久にめぐりあえないだろう。
我、今見聞きし得、受け持った。
どうか如来の真実の意味を正しく解してくださらんことを願う。

摩訶般若波羅蜜多心経

=深遠なる如来の法を修行し、悟りを得た観自在菩薩は、
法が縁となって、同じ修行の下、舎利子に降臨、舎利子の口を借り
啓示として、人の五官のエネルギー(五蘊)は、皆、
死後の世界(空)になっていくものであると明らめた時、
多くの悩める人々は、一切の苦しみ災いから離れられた。
舎利子は言った。
色(五蘊)の世界は現世で、空の世界が死後の世界となっている。
色(この世)と空(あの世)は異ならない世界となっている。
この世もあの世も異ならない世界であるために、生死によって
異なることがない世界となっている(色不異空 空不異色)。この
法則が絶対正しいものであるために、法則を是として、是によって、
生命は即、
色の世界(現世)、空の世界(死後)となっていく。生まれても死んでも
異なることのない世界となっている(色即是空 空即是色)。
そのために、生命は生死によってなくなるものではなく、永遠となっている。
この世が五官によるエネルギーの蓄積されたもの(五蘊)であるために、
想い・行い、憶によっての肉体行為でつくられ、眼耳鼻舌身で受けた
刺激に対応して創られていく世界、受の行為の世界となっている。
受想行識の世界である。
受想行識も是によって、そのまま移り変わっていくために、
人は人として転生していくものとなっている。
舎利子は言う。
是(法則)が諸々の法則、絶対法則であるために、存在するすべてが法則の下の存在となっている。
空(死後の世界)の実相は、不生不滅、不垢不浄、不増不減である。(是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減)
老いて死ぬこともなく、汚いとかきれいとか感情の動きがなく、
変化のない世界となっている。
空(死後の世界)が法則の絶対世界であるから、色(現世)のあらゆるものが無くなる事が無く、想いもなくなることが無い。(是故空中無色無受想行識)
無くなら無いために眼耳鼻舌身(五官)が無くならず、想い(意識)も無くなる事が無い。
意識がなくなることがないから、色も声も香りも味も感触も無くなることが無い。法が無くなら無いからである。(無眼耳鼻舌身意無色声香味触法)
法が無くなら無いから、見た世界が無くならず、意識も無くならないから、空(死後の世界)は意識の現象された世界となっている。(無眼界乃至無意識界)
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終の瞬間

2010-11-19 | Weblog

辛い人生だったとため息をつくも、
まだこうして不条理に生きている。
悲しみと苦しみと切なさと情けなさと、
死ぬる狂気と勇気ももたず、ごみのように塵のように生きた。
長く短い人生を、短くも長く生きている人の哀しさは、ただただままならぬものと
何の因果と知る。身のだらしなさに。
生きる限り灯はともされて、慈悲である。
終わりよければすべてよしと。
目を閉じる瞬間、生に感謝して息はとまった。
闇ではなく、白く輝く光に覆われてすべてが見えなくなった。
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幸い

2010-11-18 | Weblog
めぐりめぐって自分にかえる。
この道理を知っていれば、
道は歩める。
愛する人は幸いである。
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思いがない

2010-11-16 | Weblog
好きな人に出会う。
俗に言うひとめぼれである。
そうなると、気は常に好きな人に引かれて、
他のことが疎かになってしまう。
好きな人が絶対を占めて、その好きな人に振り回されていく。
気を奪われてしまうので、自分はとても無防備な状態となってしまう。
そのために、その事によって害われていくこととなる。

とても悩んでいることがあっても、
今、自分に早急にしなければならないことができると、
その事に夢中となって悩みがあることを忘れてしまい、悩みの苦しみから解放されている。
事の一段落が終えると、悩みを取り戻してしまう。

病気になってなどいられないと、自分にある程度、危機的状況を思わせての緊張を与え続けていれば、
つまり、病ということを思いから消し去っていれば、かかるべき病も離れていく。
気を奪われないように、他に熱中することである。闘わず気にかけずである。
闘おうとすれば、闘う相手が絶対となって、常にそれに振り回されつづける。忘れられない存在となり、
ついには根負けとなってしまう。
「思いがない」ことである。
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