つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

無欲は悪を避ける

2007-01-31 | Weblog
疑う事をやめて信じる事に眼を向ける。
あらをさがしだすことよりも
好いところを観ようと努める。これを
常に心に留めて気を配る。
素直な気持ちは彼の世に行って悔いる事はない。
さて、誰がこれを理解できただろうか?

簡単な事を難しくとくよりも、難しいことを
より簡単に説くほうが好い。飾り無く、質素に。
道の理は実に簡素で絢爛である。これは
通る者にしか分からない。目があっても見えないものがほとんどだ。
信じるものは救われていく。これは本当だ。
欲することのない心は惑わされることが無く、
不思議と悪を避けられる。
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自分が傷ついて尽くす

2007-01-30 | Weblog
愛は傷つくもの。傷つかない愛は愛ではない。
傷つくことのない愛は、
愛と思い込んでいる我欲にすぎない。
自分だけが喜べていたらよしとする思い。
愛の勘違いは不測の事態にもろく露呈する。
醜く悲しい相(すがた)として。

自分のかけがえの無いものを差し出して尽くす。
愛は自分が傷ついて成り立つ。
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諦めるは明らめること

2007-01-29 | Weblog
常識としている識を無にして、
明らかな目で見つめ直す。

「明らめる」は「諦める」こと。
言葉という文字に王の総称である帝の文字をつけて、
言葉の最高の意として「諦」とする。
真実を曇りの無い眼で見るという言葉。そのために、
明らかに観るとして諦めるという。
途中でやめてしまうという言葉では本来無い。
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愚かなもの

2007-01-28 | Weblog
がん細胞は巣くうそのものを乗っ取ってしまう。
はびこられたものはやがて死ぬが、それによって
自らも死ぬ。
邪悪なものとはそのように愚かなものである。
愚かなものは悪に結びつく。故に、
愚かをなくせ。
智慧を身に付けて、無明を破れ。
知識ではなく、智慧によってのみ無明は破れる。
破れたところより光明はさす。
挫けてはならない。
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先ず、行動

2007-01-28 | Weblog
力あるものは、その力によって施しを。
貧しきものは震えている。だから、温かさを。
善は急げという。
考えあぐねていたら、彼らは明日にはもういない。
直ぐにそばにより手を添えねば
彼らは待つ時間さえもてない弱い力、死んでしまう。
人は、何かしたことよりも
何もしなかった事によく悔いる。
善は急げ。
善いことに考えはいらない。
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疑う、構える、疲れる、壊れる

2007-01-26 | Weblog
信じているから無防備である。
愛は信じること。その愛に傷ついても恨みは残らない。
悔いは残らない。
何の策略も持たず、一途である。
愛しているから、傷ついても傷つく事がない。

疑いを持てば、そこに備えが必要で
常に注意深く構える。故に強張り疲れる。
疲れは高じて壊れる。壊れたものはもとには戻らない。
時間が進む事しか知らないように。
疑いを持つことは愛ではなく擬(もどき)だから。
我欲という愛もどき。
だから、癒されることがなく疲れて壊れる。
惑わされて悲しい過程を歩む。
疑う事は悲しくて
信じる事は楽しくて、
信じて死ぬ事は楽な事。
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どちらでも無いというあり方

2007-01-25 | Weblog
あるでもない、ないでもない。
幻のような現実。
中はうつろで膨らんでいる。
これがゼロという容。法の相。
エネルギーのかたち。
同じ性質が集まってできる力。
回るという気質。
すべての存在の成り立ち。
無、ゼロになる性質。そういう存在。久遠の存在。(・・?
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まちがう

2007-01-24 | Weblog
自分が善くなるために人の為としていく。

誰でも自分が大切である。
自分があっての世界である。

自分が一番であるから、自分だけはとして、先ず自分を大切にする。
他は二の次にしてしまう。これは愚かな人の事。
最も自分を傷つける人。

自分が一番であるから、他を真っ先に思う。先ず他を大切とする。
自分は二の次とする。これは賢い人の事。
最も自分をいたわる人。

自分をさておいて、他のため人の為としていけば、自分は
生きていく事ができず死んでしまう。
自分あっての世の中である。
自分が一番幸せに生きていくために、先ず、他の為に人の為にと生きていく事が
自分の為となる。
そのために、‘人の為’と書いて‘偽り’とする。
人の為は自分の為であるから。

円である。円はめぐるために。
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時節

2007-01-23 | Weblog
日々、周りを見れば
どうしてこうも愛のない事柄が多いのだろう。
どうしてこうも愛のない人たちと過ごしているのだろう。

どうぞ恵みを与えてください。

しばらくして、理が聴こえる。

自ら求めなさい。そして、自ら動きなさい。
時は止まってはくれないのだから。
時は何も語ってくれないのだから。
求めるならば自ら速やかに動きなさい。
例えば、愛が欲しいなら先ず愛を与えて、
物質的に貧しくても、その中でも心豊かに保ち
その心を分け与えて、というように。

そのようにしていった時、時は雄弁に物語る。
愛と慈しみに満たされたものと過ごしていることを。
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2007-01-22 | Weblog
吼えてはいけない。
常に物静かであるべき。
控え目な態度が好ましい。
謙虚さがあるのは好ましい。
ただ、度が過ぎるのは
すべてに於いて宜しくない。
理は静寂である。
それに従うべし。
適うべし。
行為で善く語るべし。
それは、音がなくて響き渡る。
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