つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

生甲斐

2020-01-31 | Weblog
この世の中、何をしても時が来れば、死ぬものは死ぬ。
この世の中、何をしなくても時にならなければ、死なないものは死なない。
その宿命は運命の中にあるが、それを知るのは自分の中にある。
執着すればするほど、そこから遠ざかることを知るなら、
生きた甲斐がある。
善く死ぬために生甲斐である。
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たった一つという極微に操られる

2020-01-31 | Weblog
ほぼ80%の大衆は洗脳せれていて、うまく操作される。
残り20%ほどは操作されることは無い。
その中の2%ほど風見鶏にあり揺れ動くが、日和見というのではない。
擬態にして先見性を得て操舵するものである。
この2%が中枢を揺さぶる要を為す。
1と1なる2が夜と昼の廻りにして、縮小と増大に入れ替わる。
陰と陽は、破壊と創造を共に受け持ち、その中で、環状体状にして現れる。
それに時間はあるが無いに帰している。
結局、減りもしないし増えもしないという不増不減であるが、
明らかに増減は見て取られ、それに振り回される。
で、私達は諦めないでいるために、
いつまでも環状体状の中でうごめいている。
それで存在の理由を創造している。
諦めたなら、存在の理由を失くしてしまい消えてしまうが、
無くならない法則の中にあるために、忘れることを試みて、
思い出すことをゲームとして、存在の意味を担っている。
そうして、忘れることの試みさえ忘れてしまい、思い出すことの迷路を作ってしまった。
悠久の時を得てしまった。
有無に帰すことさえ思い出せるなら、時に変化を得ない。
今にして瞬時を得る。
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前を見るだけ

2020-01-28 | Weblog
自分がどこに、或いは何に縁を持つか?
これに由る現象は、大衆迎合の運命共同体としてあるが、
どんなことを見聞きしても、信じたことに信じていれば、
心のブレが無く、ただ静かであれば、
静かに受け流されていく。
何事が起こっても、害されるほどのことは無い。
意識は繋がっているが、個々に分断されて相続してい
るもので、
影響されることは無い。
今ここにいるという時間の中の、
只有難さを思えるなら、暗闇にも道は見えるはずである。
混乱していて見えてなくても、すぐに見えてくるはずである。
がむしゃらに前だけを見れば、道はできている。
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しようがない

2020-01-26 | Weblog
急速に変化が起きている。
消えかかるロウソクの灯が、激しく燃え上がる時のように、
悪あがきは目に見えて現れている。
原因は、人の企てにある。そのため、人災は天災を呼んで、
あちらこちらで激しい運動が起きている。それは、目に見えない小さなものから、
巨大なものまで同時進行となっている。
ある者は、怖いもの見たさで、指の間からその様を覗く、
殆どの者は、臭いものには蓋をして、見て見ぬふりをする。考えないようにする。
それは、自分の醜さを見えてしまうようだから。
そうして、取り留めも無いようにして事件は起こり、混乱に歯止めはかからない。
が、これは消えゆくロウソクの火である。存在の抵抗にある。

キーポイントは、地上の浄化である。一掃である。
今のあなたがたの思考では、これ以上浄化はできないための判断である。
判断というのは、ただ単に、浄化の法則であるエネルギーとの摩擦によるものである。
あたかも、作りしものの意思によるかのようだが、そうではない。
悪事の縁起の連鎖となっているためである。

生命の意識は、一つ一つ独立であり、バランスを保ってあるわけではない。
そのために、運命共同体としても、意識の違いによってそれぞれに分かれていく。
あなたが、単に善い意識であるなら心配はいらない。
恐怖など感じることなく、束縛から離れていくだろう。
そういう転換期に突入したのである。

詐取する者は詐取される。それは、今ある命の詐取となる。
ただ縁起の法則にもとづいている。





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同じ人間であるという思考

2020-01-25 | Weblog
同じ人間でありながら、賢い人とそうでない人がいる。
超人的としてある人がいるもので、普通の人から見れば、まるで神がかりの人がいるのである。
天性的な人もいれば、天性にあっても、自然に出来上がるという時の(隔たり)を経て、天成(天性)開花の人もいる。
どちらにしても優れた才能を持ち、まさに超人である。
今はインターネットが当たり前にあるために、情報をたくさん得られ、
その様な環境にある人達は、更に想像を豊かにすることができる。
過去には考えもつかなかったことが、考えつくようになってきたのである。
そんな中でも、早さにさび付いていて、想像が追い付かない人もいる。
自分にはできない能力の違いを、目の当たりにしても否定してしまう。
人間はみな同じというのを、超えられないのである。
平等という見方を直線的に見ていて、それも一方向にして進むということを
蔑ろにして、右往左往と揺れて見る。
時代が進んで、過去に行けても、一度自由で作られた光は永遠に有り、変えられることはできない。
進んだ光が添っても、重なり混じり合うことはない。不連続の連続となっている。
そうして物語は成り立っている。混同してしまえば成り立つことがない。
思考は自由である。何の束縛を受けるものではない。隔てるのは自分の自由にある。
自分の自由を不自由としているに過ぎない。思考から鎖を解いて、
常に進むという概念である。それは、直線ではない曲線的である。
そうすれば、正しい平等という見方ができるだろう。
正しいという字をよく見て、一に止まると書いている。一に止まるのである。
時は片時も止まることなく進んでいる。
思考は相似したようにみえて、相続しているのである。
私達は、浄化のために生きている。
さび付いた考え方をしていてはいけない。


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要諦

2020-01-23 | Weblog
あなたは、自分を愛しない、嫌いだといって自分をいじめるが、
他に対して、いつも優しく思いやりの心で接している。
だから私は、あなたがそう言ってても、
あなたは、あなた自身を一番愛する人だと思う。
それは、
愛する人が愛する人にすることを、自にしているからと思うからです。
この反対に、
あなたは、自分を一番愛しているというが、
他にはいつも冷たく接している。
だから私は、たとえあなたがそう言ってても、
あなたは、自分を愛しない人だと思う。
それは、
愛しない人が愛しない人にすることを、自にしているからと思うからです。




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2020-01-19 | Weblog
意識が生命である自分である。そのために、意識を正しく持つことである。
何をどう思うか、自由である。意識は自由であるから、
自ら意識に制約を掛けてはいけない。意識を不自由にしてはいけない。

エネルギーは常に前へ進んでいる。片時も止まるものではない。
だから、前向きな気持ち、前向きな意識、前向きな思考、前向きな姿勢、
そう思う意識、直感を意識して行動していれば、道は開けてくる。
後の祭りとなることがない。
想像は現実の道標である。

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よい主人

2020-01-18 | Weblog
この世の中はお金で支配されているために,
お金を稼げる人が善人となる。
特に女性からは格好いい人となり、好まれる。
見かけはぶ男でも好かれる。
美男美女というのは万人が好むものであるが、
天は二物を与えずで、お金持ちで容姿端麗というのは、そうそういないのが世の常であった。
そのうえ、心まで優しくてという三拍子そろっている人というのは稀であるのだが、
現代では、いろんな面で進歩して、特に、容姿に於いては男女とも
不細工というのは少なくなった。化粧が上手くなった。
整形まではやっていて、今や当たり前にしてある。
写真も加工技術が優れ、どれが本当であるかが分からなくなってきている。
みんなカムフラージュして生きているように映る。
ただ、
変装、偽装は時と共に明らかにされてしまう。

まっ、お金がうまく巡っている間は、ほとんどうまくいくようだが、巡りが悪くなれば、
様々に嫌な面が現れてくるものだ。
裕福である時は優しかったが、貧しくなってくると優しくなくなったとか、
互いにいがみ合うことが多くなったとか、そういうことを多く聞くようになる。
貧しくなると
本当の心の姿が露になってくるものである。だから、貧しい時こそ、
本当に優しい心の人をみつけられるものとも思える。

ま、現代社会は金融制度がいきわたっているために、どうしてもお金は必要となっている。
そのために、お金はすべてではないが、実際のところ、そう言えるのはお金持ちになった時だけである。
とりあえず、金融制度の世の中では、お金がものをいうために、お金を稼ぐ方法を知ることである。
お金があれば、ある程度、早い段階で人助けもできていく。
この世の中は、お金が無いために、犯罪に巻き込まれていくことがほとんどである。
お金が無いために、命を落とすのである。

円というお金であるために、使えば返ってくる。だから、少ない中からでもまず使いに出すことである。
そうすれば、やがて友達を連れて戻ってくる。これが円という仕組みである。
この仕組みを熟知する事。


有り余るお金があっても寿命は寿命。
有り余るお金があっても、人助けに使う人は少ない。
有り余るお金があっても、立って半畳寝て一畳が人である。
胃袋だって牛馬のように食べれるものじゃない。
美味なるものはふんだんに食べられるだろう。高級なものはもてるだろう。
便利にまっさきにありつけるだろう。
だから、不便を感じることも無いだろう。
そういうことのその行く先は、
人の世は、便利が高じていけば不便を強いられることになる。
自分では何にもできない人になるために、バカとなる。そうすると、
あらゆる負の繋がり受けてしまう。

バカになりたくなければ、人助けにお金を使うことである。
とっても賢い人になる。お金に使われず、お金をうまく使う人となるために、
金融社会にありながら、奴隷となることがなくなる。
主人となるのである。それも、善い主人である。
金融制度がすっかり行き渡っている世の中では、
金融社会をうまく利用して、それから、この制度を無くしていく順番しかない。



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創造主である法則

2020-01-16 | Weblog
人が人を裁くことはできない。
人を裁くのは法則だけである。法律ではない。
法律は人の作ったものであり、人の善悪の都合でできている。
例えて、「赤信号、皆で渡れば怖くない」というような感じである。
大勢がよいとしたものが善となっている。
常識で言えば、そんなことは無いのが正義である。
理非曲直は、人の善悪である。
法則は、道理に適ってあるための正義であり存在である。
適わないとか正しくないというのではない。

法則というのは、森羅万象を形作っているエネルギーの法則である。
このエネルギーの法則は円運動の法則となっていて、絶対法則となっている。宇宙の法則である。
そのために、すべてが円の動きとなって存在している。だから、宇宙は円形となっている。
この法則には善悪というのは無い。無いために絶対善となっている。これが正義となっている。
この正義が道理に適うための存在となっている。
法則は絶対であるために絶対存在である。
唯一の客体であり、客体であるために、客体でしか裁けないのが法則である。
唯一の創造主であるためである。
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権力の悪事は地獄の地獄となる

2020-01-16 | Weblog
権力の座に就いた人は、その権力を駆使して、善い行いをしなければならない。
民衆の為にとして駆使できる力があるのに、何もせず、或いは私利私欲に使うならば、
その人の死後は100%、完璧に地獄の世界に落ちる。
これは、エネルギーの法則の道理である。
道理であるために絶対となっている。
人の命は、生きている時の為の命ではない。
死後の世界のための命である。
死後の世界を幸せな世界とするために生きている命である。
そのために、善い行いをして生きていかなければならない。
これが分からないために、好き勝手、わがままに振舞い生きる。
悪事を為す。
人の命は、
利他的にあってこそ自分の死後は安心となる。
利他的にあってこそ、自分の為となっているものである。
浄化がエネルギーの法であるためである。
この道理を知らずして生きていれば、間違った生き方となり、
どんなに偉くなっても、偉い地位に就き大衆を指揮しても、死後は苦が待っている。
偉ければ偉いほど、間違ったことをすれば苦は大きくなる。
死んで初めて気が付いても、後の祭り。地獄に仏はいない。
人は絶対死ぬのだから、どんなに偉い人でも例外は無い。
エネルギーの法則は絶対世界である。だから、誰一人として逃れることはできない。
悪事を為した人(他人を虐げた人)(他人を苦しめてきた人)、とにかく
自分以外の生命をいじめて生きた人は、間違いなくあの世は地獄となっている。
あの世で、転生するまで苛め抜かれる。それでもよければ・・・。
この世は束の間である。あの世は劫の間でもある。

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