この世の中はお金で支配されているために,
お金を稼げる人が善人となる。
特に女性からは格好いい人となり、好まれる。
見かけはぶ男でも好かれる。
美男美女というのは万人が好むものであるが、
天は二物を与えずで、お金持ちで容姿端麗というのは、そうそういないのが世の常であった。
そのうえ、心まで優しくてという三拍子そろっている人というのは稀であるのだが、
現代では、いろんな面で進歩して、特に、容姿に於いては男女とも
不細工というのは少なくなった。化粧が上手くなった。
整形まではやっていて、今や当たり前にしてある。
写真も加工技術が優れ、どれが本当であるかが分からなくなってきている。
みんなカムフラージュして生きているように映る。
ただ、
変装、偽装は時と共に明らかにされてしまう。
まっ、お金がうまく巡っている間は、ほとんどうまくいくようだが、巡りが悪くなれば、
様々に嫌な面が現れてくるものだ。
裕福である時は優しかったが、貧しくなってくると優しくなくなったとか、
互いにいがみ合うことが多くなったとか、そういうことを多く聞くようになる。
貧しくなると
本当の心の姿が露になってくるものである。だから、貧しい時こそ、
本当に優しい心の人をみつけられるものとも思える。
ま、現代社会は金融制度がいきわたっているために、どうしてもお金は必要となっている。
そのために、お金はすべてではないが、実際のところ、そう言えるのはお金持ちになった時だけである。
とりあえず、金融制度の世の中では、お金がものをいうために、お金を稼ぐ方法を知ることである。
お金があれば、ある程度、早い段階で人助けもできていく。
この世の中は、お金が無いために、犯罪に巻き込まれていくことがほとんどである。
お金が無いために、命を落とすのである。
円というお金であるために、使えば返ってくる。だから、少ない中からでもまず使いに出すことである。
そうすれば、やがて友達を連れて戻ってくる。これが円という仕組みである。
この仕組みを熟知する事。
有り余るお金があっても寿命は寿命。
有り余るお金があっても、人助けに使う人は少ない。
有り余るお金があっても、立って半畳寝て一畳が人である。
胃袋だって牛馬のように食べれるものじゃない。
美味なるものはふんだんに食べられるだろう。高級なものはもてるだろう。
便利にまっさきにありつけるだろう。
だから、不便を感じることも無いだろう。
そういうことのその行く先は、
人の世は、便利が高じていけば不便を強いられることになる。
自分では何にもできない人になるために、バカとなる。そうすると、
あらゆる負の繋がり受けてしまう。
バカになりたくなければ、人助けにお金を使うことである。
とっても賢い人になる。お金に使われず、お金をうまく使う人となるために、
金融社会にありながら、奴隷となることがなくなる。
主人となるのである。それも、善い主人である。
金融制度がすっかり行き渡っている世の中では、
金融社会をうまく利用して、それから、この制度を無くしていく順番しかない。