つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

魂という・・・

2007-08-31 | Weblog
顔も見えず声もわからない。
どんな字を書く人かもわからないのに、
話を聞くことができる。また、声で無い言葉を
伝えようと思えば、伝える事もできる。
意思は目に見えないものを伝って会話をする。
今はまだ、科学のテクノロジーを使って可能となっているが、
人には気という媒体がある。
時間も空間も越えて、意思疎通をかなえる
優れた技術。
魂と言うエネルギーを持つ。
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理にあわず

2007-08-31 | Weblog
悪があるために善がわかる。
病があるために健康がわかる。
不幸があるために幸がわかる。
負があるために正がわかる。
凹凸が無ければ平坦がわからない。
善と悪があって中道がわかる。
極端は理にあわず。
これが世。
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人で無し

2007-08-30 | Weblog
得てして金持ちは、
貧乏な人がいて、もう何日もおなかをすかしている人がいることを知っているが、
そんな人に直に施す事がない。
そんな人がいるんだね、いまどき
というふうに思うだけで、人生に打ちのめされている人を
蔑むだけである。様々な理由をつけて。

経済的に追い込まれて、自らの命を絶つ人が後をたたない。
彼らは皆、死王に王手をかけられて、一切のなすすべを失ったが故に、
勇気ではなく狂気によって自分を殺すに至る。
僅かながらの金によって、命を絶たなければならない窮地に追い込まれていく人達は皆、人の世に住んでいる。
命は地球よりも重いと、人はいうが、その人の世の中で
助けられる事も無く、生き方の下手な人は死んでいく。

生き方の下手な人ほど、愛をもちあわせていながら、
また一つまた一つとその愛は消えていく。
偽善の世に、本当の愛はすみにくい。
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金さえあれば・・・と

2007-08-29 | Weblog
あたかも世を知り尽くしたかのように
ある人はいう。
世の中、金じゃないよってね。

でも、世の中は金に振り回されていて、
信用も金に依る。
心なんてちっとも役に立たない世になった。

どこかが間違っていると一人ひとりは思うが、
その一人ひとりの集まりが、間違いを作り出し正せないでいる。
どこが間違っているのかわからないで、間違っていると感じているだけ。

その違和感を持ちながら時は進んでいくために、
誰しもが苦しいと感じる。住みづらく大きくストレスとなっている。
金さえあれば楽しいのに と、金に使われている人達はいう。
金を使うべき人が、金に使われて
心が病んでいく。
金じゃないよっていう世は正しいのだけれど、
金がほとんど人を支配してしまった。醜く。
弱いものをいじめて殺す。
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涙を流す事ができるなら

2007-08-28 | Weblog
神も仏も
困っている人を見たら
手をさしのべなさいといいます。
善はいつくしむことを訓えます。
よい事をするのに戸惑いはいりません。
躊躇はいりません。
善は急げと言います。先人達は一様にそういいます。
どんなにささやかな事であれ、善いとされることには
善い果が実ります。
人の一生を終えた人達は、
それも、愛に優れた人達で、悟ることのできた人達が
そろって言うのです。
人生を経験して、極めた人の死後の言葉に偽りはありません。

急ぎなさい、愛に飢えた貧しい人達は弱っています。
あなたが迷っている間にも、彼らはいなくなってしまうのですから。
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試されて

2007-08-27 | Weblog
あなたにはこの私の姿が見えますか?
貧しくて、哀しい境遇にあるこの私の姿を。
何故みすぼらしくてあなたの前にいるのか。
何故哀しい存在としてあなたのそばにいるのか。
あなたの周りに何故こんな私がいるのか。
哀しい絆をあなたに結んでいるのか、わかりますか。
知らなければならないことが無ければ、なにも
その状態が現れることはありません。
病にかかって初めて健康を思う。
あなたに必要だから、あなたが知らなければならないから、
知って、あなたの徳と成るために、負の事柄があるのです。

あなたの目に見えた哀しい人を、
あなたはどうするのでしょう。
幸せはあなたをためしているのかも知れません。
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生き惑う

2007-08-26 | Weblog
生きていてよかったねと思うことが
なさそうだ。
仏様も、神様も信じて生きては来たものの、
想いすごしで、その時々のその場しのぎの心のだましかた。
弱いものは
弱いのだから生きて生けないのが道理。
道理に反して世は動かない。

紛い、偽善、もどきの世であるから、人は苦しむ。
愛が、真実あるなら、人は喜んで生きているはず。
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脳天気

2007-08-25 | Weblog
昔がすべてよかったわけではない。が、
いまよりもずっと時の流れが穏やかだった。
人の心も穏やかで、礼儀作法をよく知っていた。
誰しもが恥を知り、よくつつしみを知っていた。
更に昔々は、急ぐ事を覚えて、よく争いが耐えないでいた。
我が我がと先を急ぐあまりに、仁と義を忘れ
人の道を外れていた時があった。
哀しい時代を経て、ほんの少しの間、平和という気の陽炎を垣間見た。
その僅かながらの平和の絆を引きずりながら、
また、人の心は、過去に無いほどの急ぎ足で先を急いでいる。
仁と義を忘れた心の急ぎ足は、あれ荒む風景を作る。
この百年のうち、悲しい時代を必ず向かえる。
仏は神はそれをこう唱える。
末法説であり、地獄の黙示録と。
法の示すものであり、回避することはできないと。
地球の歴史の中で、悪のエネルギーが満たされるときの道筋であるために。
人類の歴史は誤りの歴史。
法に善悪はないために、絶対善となっている法によって
誤りは裁かれる。
いまだ、この科学の発達した時代において尚、人はそれを信じないでいる。
驕りからくるのだろうか、少しずつ自然が怒り出している変化にさえ、
われわれは大丈夫と思っているようで、
脳天気に構えている。
心の捉え方をいまだに知らず、自然の力を知っているようで、
全く知らないでいる。
地球の歴史の時間から見たら、人の時間の百年なんて
一秒にもみたないほどの直ぐのことなのに。ただただ畏怖の念。


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長生きしたところで・・・

2007-08-24 | Weblog
長生きして何になるのでしょう?
ただ生まれてきたから生きるというのでは、
どんなに長く生きたところで、何の意味ももたないのに、
世の中の大半はそうして生きている。
生まれた縁を思うことなく、何のために生きるのか
考える事もなく、ただ命を維持するために、食する事に活動して
生きている。
人の一日は食うためにあるようだ。
如何に美味しいものにありついて、如何に満足するか。
生きていくために、ほんの少し心地よく生きるために、どうしたらいいのか
に頭を使っているだけで、他の生物より欲が少し違っているだけで、
他はなんら変わらない。
むしろ貪欲でえげつない生物。

頭を使える生物であるにもかかわらず、
生まれてくる意味も、生きていく意味も知らない。
僅かに、情けに優れる人がいて、
生まれる意味と生きる意味とを覚る人がいる。
その力は偉大であるが、俗世に いまだその力及ばずで、
悩める人々を救う事ができないでいる。

その優れた人は言う。
「私がどんな力をもってしても、この世を救う事はできない。
神の、仏の不思議な力をもってしても無理な事。
気がないものに、気をつけろといっても無理な事。
偉大なものをみて、情けをみて、それらに触れた事に気が付いていく者こそ
不思議な力がおよぶものである」
「私はただ偉大なものがあることだけを訓ええられるだけ。
日々の生活を通じて、気が付きなさいと訓えられるだけ」

気がつかない者に、長生きの意味は無く、
ただ苦あるのみ。
長生きして何の得があるでしょう?


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中道

2007-08-22 | Weblog
気の荒いもの、攻撃的なもの、
やたらと警戒心が強く、はむかうものがいる。
その性質(たち)からして哀しいものだ。
生まれながらにして
食うか食われるかの競い生きる中にいる為に、
本能として宿す気性。
生きるということしかなく、どう生きるかということを思えない種の生き物。
なぜ、その性質(たち)があるのかわからない。
意味なくしてその誕生は無いものであるから、何をプラスとしてあるものなのか
私にはいまだわからない。
相対して物事が成り立つのであるなら、善悪はなくならず、
どちらかだけを求めるのは道理に合わない。
修行も努力も無駄ということか。いやいやそうではない。
仏は言う「もっとも下等な者でも、修善を断じつくして、ただ性善あり。
仏は修悪を断じつくして、ただ性悪あり」と。
人間根本の性向の中道的見解がある。
仏は言う「人の諸根は、利益をもたらすもの、
また不利益をもたらすものなり。
よく護られざれば不利益となり、よく護らるれば利益となるなり」と。
どちらかに偏る事は極端であり、どちらもあわせもって道理であるために、
極端は悪であり中道をいくものであると。
「よく護らるれば利益となるなり」と。
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