私は特別な宗教も哲学も持たない
から、人の肉体が死んだときが
すなわち「死」だと思っていた。
ところがある人の話だと、
人間は三回死ぬのだという。
一回目はつまり肉体の死。
二回目は彼または彼女が生きて
いたことを記憶し、思いを寄せ
る人の死。
三回目は、その全てが歴史と
ともに忘れ去られるとき。
人間の一生は短くとも、生きた
時間、スピリッツ、関わった
多くの人の記憶などはその後、
何十年、何百年も続くことが
当たり前である。
中でもそれが極めて多く、長く
続く人が歴史に名を残すという
ことなのでしょう。
な~るほど。
とすると、織田信長も豊臣秀吉
もまだ死んでいない。人々の心
に生きているということになる。
身近な人でも、亡くなった両親
や、親戚の叔父さんなど、
私のなかでまだ生きている人は
たくさんいる。
物故者を思い出したり、懐かし
く思ったりすることは決して
恥ずかしいことではないのだ。
そうかそうかと、私はにわかに
納得したのでした。
※ 陽だまりのスイセン