京都にいったのは10月の初めだった。
京都は木屋町二条下ルの高瀬川をこの
目でみるために。
まだ汗ばむほどで、川は写真のように
さらさら流れていた。
高瀬川は江戸初期から大正末期までの
約300年間、京都・伏見間の大事な
水運だった。
木材や食料品、生活物資をはこぶため
の。
荷物の上げ下ろしや舟の方向を変える
船溜所(ふなだまりじょ)を「舟入」
という。
二条から四条にかけて、9つの舟入が
あったが、現在はスタート地点である
「一之舟入」のみ残されている。
川の水深はせいぜい50~60㎝と浅
く、普通の船では走れない。
そこで舟底が浅くて平らな高瀬舟が用
いられた。
多いときで一日150隻もが上下往来し、
大阪からの物資を運びいれていたという。
近くには長州藩や加賀藩があったから
最盛時にはたくさんの食料品やお酒など
が運びこまれていたであろう。
(写真は「一之舟入」にある高瀬舟。
観光用だが舟には米俵やお酒が)