「海と少女」 佐藤泰生 作
これをみた時、かつて子供の言語教育活動を
していた頃に出会った、
「うみがたずねてきた」 らくだ・こぶに 作
(谷川雁さんの筆名)
を思い出してしまった。
日曜日、ヒトデが次から次へと魚やイソギンチャク
など海の仲間を連れて遊びにくるという、詩情ゆた
かな作品である。
……思い出しただけでも磯の香りがしてきそうな
お話でもある。
やがて夕刻になって友だちは帰ってゆく。
賑やかに楽しく遊んだ後にくる寂しさ、ぽっかり
穴のあいたような虚しさ……。
これもまた一度ならず二度三度と、子供の頃に経験
したことでもある。
そして出会いの後には別れが、楽しさの後には必ず
一種の虚脱感に襲われることが分かって、大人に
なるのだ。
つまり、大人になるということは、何事にもそう
期待感を持たない、セーヴする自働制御装置なる
ものを身につけることらしい。
それは一定の枠を越えられない、限度ということを
知ることでもある。
かくしてつまらない人間になるのか、と思うと
これまた寂しいことに思ってしまう。
これをみた時、かつて子供の言語教育活動を
していた頃に出会った、
「うみがたずねてきた」 らくだ・こぶに 作
(谷川雁さんの筆名)
を思い出してしまった。
日曜日、ヒトデが次から次へと魚やイソギンチャク
など海の仲間を連れて遊びにくるという、詩情ゆた
かな作品である。
……思い出しただけでも磯の香りがしてきそうな
お話でもある。
やがて夕刻になって友だちは帰ってゆく。
賑やかに楽しく遊んだ後にくる寂しさ、ぽっかり
穴のあいたような虚しさ……。
これもまた一度ならず二度三度と、子供の頃に経験
したことでもある。
そして出会いの後には別れが、楽しさの後には必ず
一種の虚脱感に襲われることが分かって、大人に
なるのだ。
つまり、大人になるということは、何事にもそう
期待感を持たない、セーヴする自働制御装置なる
ものを身につけることらしい。
それは一定の枠を越えられない、限度ということを
知ることでもある。
かくしてつまらない人間になるのか、と思うと
これまた寂しいことに思ってしまう。