唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

唯信抄文意に聞く (2) なぜ文意か

2010-10-10 18:48:33 | 唯信抄文意に聞く

 『唯信抄文意』に聞く (2)

          - なぜ文意か -

 「それから、その漢文のものを解釈されるについて、「それはどういうわけか私には分らぬ」ということが、やはりあったのだろうと思いますね。それに対して今度はその訳を説かれる。それで一番終わりのところに、

 「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、たびたびとりかえしとりかえし、かきつけたり。こころあらんひとは、おかしくおもうべし。あざけりをなすべし。しかれども、おおかたのそしりをかえりみず、ひとすじに、おろかなるものを、こころえやすからんとて、しるせるなり。
    康元二歳正月二十七日   愚禿親鸞八十五歳  書写之」

 (この文章は隆寛律師の『一念多念分別事』を釈された『一念多念文意』の結びにも同じ文章が述べられています。日付は 「康元二歳丁巳二月二十七日   愚禿親鸞八十五歳  書写之」 となっており、同じ年の一月・二月に関東の御同行にお送りされたお手紙ですね。ここから伺われることは、関東の御同行に信心の動揺があったものと想像されます。『歎異抄』第二条でも窺う事が出来ます。 誓換)

と、こういうふうに述べてあります。八十五歳というと『正像末和讃』等もお書きになりました年に当たります。

「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚知きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて」と。「やすく」という言葉は、これは聖覚法印が、「やすくこころえさせん」ために書かれたという意味を受けておると思います。「こころあらんひとはおかしくおもうべし」という言葉がありますね。このようなことを、きっとおかしく思うだろう、あざけりをなすであろう、と。「あざけりをなす」というけれども、実際この『唯信抄文意』を読んで、あざけりをなすほどに読んで分かるかというと、そうはゆきませんね。『唯信抄文意』を読んで、これくらいのことをとは思いません。親鸞もおろかなことを書いたものだと、あざけりをなす人間がおるかというと、そうはゆかんと思います。こういう文章を読んであざけりをなすものがいたとすれば、よほど偉い人が、その時分にはいたとみえますね。あざけりとは、そしることです。親鸞がそしられるならば聖覚法印の書いたものもそしられるのですね。そしられねばならぬものをもっているのです。いわんや、その文章は真宗の意義を述べたものですから、おろかなことをいうものだと、あざけりをなす人もいるのですね。つまり叡山で長く学んで帰った学者もそこらにいるわけです。たまたま手にとって読んでみると、やはり「そんなばかなことがあるものか」といって、あざけりをなすわけなのですね。

 以前曽我量深先生が唯識の三相と本願の三心(阿頼耶の三相と本願の三心)とを合わせてお話されたことがある。『如来表現の範疇としての三心観』というパンフレットみたいな本が出たことがあります。これが問題になった。金子大栄先生の『如来浄土の観念』という本と一緒に問題になったのですが、金子先生の方は分かるから攻撃されやすい。曽我先生の方は、おかしいと思うけれどもむつかしいものですから、つかまえてみようがない。それから唯識の専門家から申しますというと、曽我先生の唯識なんて「とんでもないものだ」というわけですね。本格的なものではない。唯識というけれども唯識ではないという批判があったというのですね。「唯識なんか知らんのだ」と、あざけりをなすという。それはそうであろうと思いますね。唯識といえば法相教学ですね。法相教学というものから申しましたら、それはもうきちんとした、出来あがった一つの形式です。こういわねばならぬ、こう考えねばならぬということになっていて、その考えからはずれたら間違いだと。そういうふうに決まっております。

 ですから曽我先生の唯識は唯識といいましても、そういうふうには見ておらぬわけですね。唯識といっても唯識でないではないかよいうわけですね。では何か。何かわからん。そういうわけの分らんものでは困るのです。分かったものでないと困る。そういう問題でありました。それは、まぁもっともだと思って聞いていたわけなのですね。曽我先生の唯識といっても、別に法相宗の教学の唯識ではない。法相宗の教学にこういうことがあると、これはどういうことであろうかと、押しつめてゆくというと、それは何も法相宗の唯識ではないということですね。法相宗の唯識ではないので、人間というものの心の、いわゆる自覚ですね。そういう自覚の立場から見るという意義がある。そういう問題になるのです。それが、自覚という問題を離れた学問であり、一つの形式の体系となったものを法相教学ということになってですね、その方面の学者が沢山いたわけです。今日以上に居ったろうと思いますね。叡山等へ行っては学んで帰って、地方の寺の別当か、何かになるわけです。何になるかはともかく、そこでやる仕事というものは、考えてみるとよく似ているかと思います。実際のところ、大学へ行って勉強する、またこうして本山へ来て勉強する。勉強して帰って何をするかといったら、依然としてお経を読んだり、法事に参ったりするほかに、何もないわけですね。このほかに暇があると勉強しているという、そういうことなのでしょうね。勉強しておりますと、そこへ誰かがやって来て、「こんなものは間違っている、正しいものではないのだ」と、こういうことになりますね。「これはもう真宗の教えとは違っているのだ」と、いくらでもいえるのですね。「おろかなことを書いているものだ」と、こういうふうにいえます。「間違っているのだ」といって、あざけることはできる。けれども、あざけるかわりに自分はその間違いないところの教えというもののもとに修行をしているか、あるいは他の人を教化しているのかというと、それはしていないですね。やはり人々の要求に応じて経を読み、それからご祈祷をしている。それによって威厳を保っているわけですね。学問をしているというのは、それに裏付けしているみたいなものです。ですから、同じお経でも、本山へ行って修行をしてきて、学問もしてきた人にお経を読んでもらう方がよけい効き目があるくらいに、本人が思うだけです。本人だけは、そう思わねばやりきれませんから、そう思っていますが、ほかのものはさっぱり思わないですね。何でもかまわぬのですから、そういうことなのです。

 あざけりをなすべしということは、そういう天台宗なら天台宗という教義等を勉強してきた人から見たら、おかしくも思い、あざけりをなすであろうと。「しかれども、おおかたのそしりをかえりみず」と。「おおかたのそしり」ということは、そういう方面からのそしりでしょう。一人一人が自覚をもって学ぶということに対して、「おおかたのそしり」というものは、何かを立場としているわけです。仏教のそういう形式的な学問を頼りとしてそしるのであります。既に出来上がったものがらを立場として、そしるというよりほかにないのであります。

 そういう意味がありますから、この『唯信抄文意』と申しますのは、ある意味におきましては、田舎の人々によく読ませて、やすく浄土の法門というものを心得させたいという願いをもって勧められたといえるのであります。たまたま、その中の難解な経論とか、偈文等の文章は分かったようなことになっていて、『唯信抄』には解釈してないわけですね。『唯信抄』には、例えば初めの偈文に致しましても、「といえる、このこころか」というふうにありまして、説明はしてないのですね。それにはそれなりのわけがあって、説明はしていないのですけれども、これまで聞いているものですから、あえて説明を加えないわけでありますが、聞かないものに向かって説明をするという時には、そこに親鸞は本領を発揮せられて、明瞭に真宗の教学というものを披歴せられております。そこが『唯信抄』と違うわけです。

 『唯信抄』はどこまでもやすく浄土の門を了解させようとされているのですが、親鸞が『文意』において、『唯信抄』の中の経・論・釈の偈文等によってその心を述べられるところでは、真宗の教学、いわゆる真実教行証という意義を開いておられるのであります。そこが『唯信抄』と『文意』との違いでありまして、本質的な違いではありません。読み比べてみまして、どこが親鸞と聖覚法印との違いが感じられるもとを尋ねますと、それだけの違いがございます。巧みに人々のこころをやすからしめんがために書かれたという立場と、その中から更に真宗の教学、親鸞が開かれた真宗の教学体系が述べられておる、この違いです。簡単な表現ですけれども、又くりかえしくりかえしというところもありますが、普通の人が読んでは理解できにくい解釈が、ぞくぞくと出てまいります。それを理解するというためには、仏教というものは、どこまでも真宗が仏教であるという親鸞の理解がいります。

 真宗が仏教というものの本質であり、それをもとにして聖道門・浄土門という、そういう教学の歴史も出てまいります。教学の歴史も生まれた。普通は、文化としての歴史しか見ないわけですが、いわゆる教学、学仏道の歴史と申しますか、行証の歴史と申しますか、教行証の歴史、これは世間には余り残りません。普通の歴史は文化としてしか残れませんから、平安朝時代の仏教、鎌倉時代の仏教とか申しましても、そのころ出た人の名とか、著書とか、それから建てられた寺とか、いろいろそういう仏事に関した記録をもとにして、仏教が説かれるのであります。けれども「真実教行証」というものをもとにしたところの歴史というものが真宗である、と。そういう意味で聖道・浄土の教義も、「真実の教行証」というものをもとにして出てきているのだと、こういうような意味が述べられてきております。

 田舎の人が、それをはたして理解したかとおもわれますけれども、それは理解したかせぬかというどころではなく、かえって、自覚を鼓舞された、と。それは、ただ目の前にあるものは仏事といっても、それは何らの自覚も与えられず、いたずらに事あるたびに、それに頼るだけのことです。干ばつとなれば頼る。大水がつけば頼る。病気になっても、何をしても皆それに頼るという以外になかったものにとって、「真実教行証」の歴史が自分達の一人一人に恵まれているのだということを知ったならば、理解出来ぬということより先に、むしろ大いに自覚を鼓舞せられるのですね。自覚したかどうかという場合、知識なり分別なりが非常に邪魔するわけでですが、そういうものがないから、かえって非常に自覚を鼓舞せられたのだろうと思います。こまかいことは分からないが、自覚を鼓舞せられて、そして受け入れる。理屈を混えないで受け入れるものがあったと、かようにかんがえられるのであります」。 蓬茨祖運述より

 『唯信抄』と『唯信抄文意』の違いが語られていますが、聖覚法印は師である法然上人の『選択本願念仏集』の要を和語で語られているわけですね。『選択集』を明らかにするということが命題であるわけです。それに対して、親鸞聖人は『唯信抄』を通して真実の教行証を明らかにするという、それは都の知識人の中に明らかにするということではなく、田舎の人々の、命とともに生きておられる人々の中に仏教の歴史を明らかにし、そこに真実の仏道を証明するという課題があったのではないでしょうか。救済の歴史の中で一人でも漏れる人がいたならば、それは真実とはいえない、全ての人々が救済される事実はどこで押さえることができるのかが親鸞の課題であったと思うのです。「親鸞一人がためなりけり」と、どこでいえるのか。田舎の人々の中でどのように理解してもらえるのか、今での課題は総人口総知識人でしょう、その中で仏教の言葉が死語と為っている状況のなかで、真宗を明らかにする課題が『文意』から現代の課題へと問われなくてはならないと思います。誓換 


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